羽化登仙

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薬さに / 死にネタ

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 己に人の似姿を与えた娘が不治の病を患っていることを知って、薬研藤四郎が真っ先に求めたのは、ありとあらゆる種類の鉱物だった。薬研が刀の身で在った頃には、草や木や獣の肉やらで薬を作るのが常であったが、そのうちでも最も上等な薬種は黄金や丹砂といった鉱石の類いだった。大陸の書物に曰く、草木で作った薬というのは下品なものであるという。何故かと言えば、草木の薬は時の流れと共に腐り、土に戻り行くからで、己自身をも救えぬ薬に他人の身が救えるわけもないということだった。一方、金石の薬は腐ることも燃えることもなく、永遠にこの世に在る。本能寺でうつそみは燃え尽きたとはいえ、それまでの三百年程で、薬研自身も鉄である己が人間よりもよほど長くこの世に残ることは重々知り得ていたから、この講釈はすんなりと身に馴染んだ。部屋中を石だらけにして、昼夜の別なく暇さえあれば古文書を紐解く薬研を、主である娘もこんのすけも、咎めることは一度もなかったが、その結果として薬を作ることはただの一滴も許すことはなかった。どうして、と薬研は主を問い詰めた。
「どうして、許可をくれないんだ。薬さえ出来れば、大将の病だって治るし、普通の人間よりずっと長生きもできるんだぜ」
 どれほど必死に訴えたところで、主はいつも首を横に振り、
「ごめんね」
 と言うだけだった。
「未来のお薬があるから、せっかく作ってもらっても、ムダになっちゃう。だから、ごめんね」
 主はこんのすけの手配で、未来の技術だという白い粉薬を毎食後、服用していた。それでも寒暖の厳しい日には決まって主は寝込むことになったし、季節の変わり目には必ずと言っていいほど体調を崩した。審神者の間で流行り病があれば真っ先にかかり、その度に本丸は上を下への大騒ぎになった。薬研には果たしてあの粉薬によって主の体が良くなっているのか、疑う気持ちがないでもなかったが、それでもまだまだ主が生きているうちは、彼女の意思を尊重しようという気を持てた。
 薬研の主は線の細い、風に吹かれれば倒れそうな風情をした若い娘である。病人特有の、不健康に色の白い肌をして、髪も目もどこか白茶けている。全体的に色素の薄い、今にも儚くなりそうな、というのが、娘を見た者達の共通の印象で、薬研とて例に漏れず、励起されて初めて主を目にした瞬間に、紙に描いたような娘だなと思った。骨の入った、生身の女とは到底信じられぬ。破ればびりり、と音のしそうな。
 今となっては、いっそ本当に紙に描いた絵であれば良かった、と思う。濡れれば弱り、虫にも食われ、燃やせば灰となろうとも、紙の娘であったなら、大事に大事に扱えば、百年の後も残る希がある。あるいはそれほどの年を経れば、己等と同じく、魂だけの存在となり、人の姿を得ることもまた可能かも知れない。
 薬研には本能寺からこの本丸に呼び出されるまでの記憶がない。気付けば己の刃は記憶にあるのと寸分違わぬ輝きを放っており、兄弟達のように火に焼かれたような確信も持てなかった。ある時、長谷部が付喪神にはあの世がない等と言っていたが、それもまた薬研には覚えのあることで、とにもかくにもある時期の記憶がすっぱりと抜け落ちている。もしか、自分は本当は薬研藤四郎では無いのかしれないとも思うが、答えは誰も分からない。そんなだから、たとえ人の似姿を得たとしても、もう一度死んだところであの世に辿り着けるとは、薬研には到底思えなかった。
 だからこそ、初めて言葉を交わしたあの娘には、出来うる限り長くこの世に在って欲しいと思っているのに、当の本人はただでさえ脆い人の身で、他人よりずっと弱くある。それが薬研には恐ろしくて仕方がなかった。

 ある年、梅が綻びだした頃に、主が遅い風邪を引いた。今年は体調が良いようだ等と言っていた傍からのことだから、皆も油断しきっていた。主の病気に慣れきっていた所為もある。あれっと思った時にはもう何もかもが遅く、誰も打つ手がないまま、枕頭に侍ったこんのすけが静かな声で、もってひとつきの命です、と言うのに啜り泣くばかりだった。
「俺は納得できない」
 誰もが現実を受け入れるなか、薬研だけは病床で声を張り上げた。
「大将、後生だ。どうか、俺に薬を作らせてくれ。こんな病で大将を喪うなんざ、到底、俺っちには納得できない」
 主がちらりとこんのすけを見る。表情のわかりにくい審神者付きの管狐は、何も言わずにこくりと頷いた。
「わかった、薬研。お薬を作って。きっと飲むから。わたしが死ぬまでに、間に合わせてね」
「当たり前だろ」
 薬研は飛ぶように部屋へと駆け戻ると、この日の為に集めに集めた雑多な薬種の数々を引っ張り出した。雄黄、礬石、赤石脂に辰砂。すべての材料は揃っている。作り方の手順も暗記するほどに読み込んだ。後はただ作るだけだ。薬さえ出来れば、主が死ぬことは二度とない。部屋に持ち込んだ簡易炉に火を入れ、鍋を掛けると、薬研はひたすら薬を焼いた。薬の完成には一月以上かかる。それまで主の身がもつかどうか。それだけが気掛かりだった。

 薬を作り始めてから三十と六日が過ぎた頃、やっと薬は完成した。薬研は出来上がったばかりの薬を持って主の部屋へと走った。床の主は目を瞑っていたが、眠っているだけで、薬研のおとないに目を覚まして力なく笑って見せた。
「よかった、間に合ったね」
「遅くなってすまん、大将。これでもう大丈夫だ」
 飲めるか、と薬研が聞くと、主は、うん、と頷いて、薬へと手を伸ばした。薬研は主の背中に腕を回し、布団の上で上半身を起こしてやると、その口許に白磁の吸呑みを差し出した。
 主の色の抜けた唇に吸呑みの口が当てられて、青い水薬がとろとろと流れて行く。主は僅かに顔をしかめたが、それでもそれ以上は嫌がる素振りは見せず、用意した薬をこくりこくりと少しずつ嚥下した。すべてを飲み干した後、それだけで疲れきったのか、崩れるように薄い体が布団に伏す。
「すまんが、後六日、薬を飲んでもらわにゃならん。耐えられるか、大将」
「うん、わかった。……明日も、よろしくね」
「ああ、これさえ乗り切れば、もう何も心配ないからな」
 薬研はもう骨と皮ばかりになった主の手を握って、にっこりと笑った。

 二日、三日と薬研は主の部屋に通った。四日、五日と主は薬を飲み干した。後一日を残した六日目で、いつものように薬を口に含んだ主が、急に首を振ったかと思うと、げほげほと激しく咳き込み始めた。驚いた薬研は吸呑みを離し、慌てて主の背中を擦ったが、そのうち咳に粘ついた音が混じるようになり、ぼとり、と布団に赤いものが垂れた。
「っ、大将!」
 血が喉に溢れて、息が出来ないのだ。事態を把握した薬研は真っ青になって、弱々しく布団を掻き寄せていた手を引くと、急いで主の口に吸い付いた。舌を差し入れ、唾液混じりの血を啜る。戦場に在る時より血にまみれながら、薬研は必死に主を掻き抱いた。喉を落ちていく主の血が、燃えるように熱かった。噎せ返るような濃密な血臭に、薬研は己を叱咤して、こくこくと血を飲み続けた。まだ温かい。まだ彼女は生きている。大丈夫、後一日、後一日で主は救われる。時の権力者達が争い求めた不老不死の妙薬によって、主は仙人となる筈だ。だから、
「大将……ッ!」
 次第に冷たくなる四肢を抱いて、薬研は泣いた。ぼろぼろと溢れ落ちる涙もまた、恨めしいほどに熱かった。

 四十九日を過ぎて数日後、亡くなった主の後継として、新しい審神者が本丸へ派遣されることになった。残された刀達は皆、使命に自覚的だったので大した反対も起こらなかったが、それでも主を喪った悲しみを人の身で扱うことには慣れきらず、ぼんやりと日々を過ごしていた。新しい審神者は若い男で、少しやせぎすではあるものの、主とは違い、一目で健康と分かる体つきをしており、顔色も明るかった。刀達はそれだけで随分と救われたような気がしていたし、新しい審神者もまた主を亡くした刀に同情的であったので、この引き継ぎは概ね上手くいくものと思われた。
「それでは、本日をもって、薩摩の国は‐716349号本丸の刀剣男士26振りを引き継がせていただきます。皆様、向後は宜しくお願いいたします」
 広間にて審神者がそう言って頭を下げた時、ざわりと刀達に動揺が走ったのは、前の主が顕現した刀の数と、彼が口にした引き継がれる刀の数が一致しなかったからだ。この本丸には、薬研藤四郎を含め、27振りの刀剣男士がいた。
 薬研はそれまで伏せていた顔をふと上げて、そうして気づいてしまった。審神者の視線は真っ直ぐに薬研を見つめていた。悲しげに眉を下げ、同情するような表情を浮かべて、彼は言った。
「私の引き継ぐ刀剣男士は26振りですが、たとえ付喪神の理を外れたとしても、前の主様の大切な方を追い出すような真似は致しません。どうぞ、貴方様の望むようになさってください」
 そうして深々と頭を下げた。

 薬研の作った薬は、主を人の理から解き放つことは出来なかったが、主の血は薬研を付喪神の理から物の見事に解き放ったようだった。もはや手入れでは治らぬ体を眺めながら、薬研は思う。
 この身であれば、主を追って、いつの日かあの世にも行けるだろうか。

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2018/04/01

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