死神の連れ

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村さに / 流血描写あり

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 どうしてそうなったのかはわからない。夢の中であったから。気づいた時にはわたしは男と手を繋いで、暗い山道を歩いていた。ずいぶんと背の高い男で、顔はよく見えない。半歩先を行く男の長い髪だけが、ふわふわと背中を舞っていた。マシュマロに似た、美味しそうな淡い薄紫の、不思議な色合いの髪の毛だった。以前から知っているような気もするし、まるで初めて会ったような気もする。顔がわかればはっきりするだろうとも思うが、そこだけがどうしても影のかかったように見えない。それ以外は、月ひとつない闇の中で男は不思議と光って見える。繋いだ指の美しいのも、剥き出しの腕のしなやかなのも、しっかりと見てとれる。夢だから、そんな不思議もあるのだろうと思った。手を振りほどいて逃げても良かったが、特にそうする理由もないので、わたしは黙って男に着いていった。とにもかくにも夢の中の出来事であるので、なにかあれば起きればいい。男がどこへ行くつもりなのか、見届けてからでも遅くはないだろう。
 男は迷いのない足取りで、ずんずんと山道を進んでいく。ホウホウとどこかで鳥が鳴いている。風のない山の中で、時折体に当たる枝葉だけがパサパサと音を立てている。そのうちに少しずつ辺りが明るくなってきて、どこからか水音が聞こえてきた。体格の良い男が目の前を歩いているので、わたしには彼より前の景色が見えない。近くに川でもあるのかと思っていると、不意に木々が途切れて、わたしたちは山を抜け出たようだった。大きな川が山と裾野を隔てる境のように流れていて、その上に木造の橋がかかっている。アーチを描く幅の広い橋を男に手を引かれて渡っていくと、ぽつぽつと民家らしきものが見えてくる。どうやらどこかの村にたどり着いたらしい。板葺きの屋根に、板張りの壁。屋根の上にはいくつか石が置いてある。時代劇のセットみたいだなと思いながら左右に立ち並ぶ家々を見ていたが、進むほどに家の立つ間隔が狭まって、ほどなく漆喰で塗られた長い塀が現れた。塀の中ほどには頑丈そうな黒の門扉がそびえ立つ。似たような屋敷をいくつか見送りながら、村だとばかり思っていたが、もしかしたらかなり大きな町なのかも知れないと思い直す。それこそお城があるような、立派な城下町なのかも。
 そんなことを考えていたせいか、急に家屋敷がパタリと消えて、大きな太鼓橋が現れた。山を降りてすぐに渡った橋よりも、横幅も長さも倍は大きい。下は自然の川ではなく、石組みで補強されたお堀のようで、行く手には平屋だが今まで見たものよりも格段に立派なお屋敷が建っていた。昔のお城は天守もなく、平屋造りの普通の館のようだったと、誰かから聞いた覚えがある。誰だったろうと思いながら、わたしは男の後を着いていく。コツコツコツ、と男の靴が板張りの橋の上で音を立てるのを聞く。朝も早いからか誰もいない。このままお城の中に入っていくのだと思っていたら、ギィといきなり門が開いて、橋の上に誰かが飛び出してきた。男は足を止めて、その人がやって来るのを待っているようだった。わたしは一歩足を進めて、男の隣に並び立つ。前から来るのはまだ二十を半ば越えたぐらいの若い男で、逃げるようにこちらへ走ってくる。着物の上に古めかしい具足と陣羽織をつけて、一軍を率いる大将のような格好をしていたが、周りには彼の他に誰もいなかった。彼にはどうやら男もわたしも見えていないらしく、こちらを避けようとする気配はまるでない。このままではぶつかってしまうと思うのだが、男もまたここを動くつもりはないようだった。幽霊のようにすり抜けるのかもしれないと思って見ていると、二人の男たちは案の定重なって――次の瞬間、バシャン、と粘ついた水音が辺りに響いた。
 ヒィッ、と喉から引きつった声が出る。橋の上には今や男とわたししか立っていなかった。足元には真っ赤な血溜まりが広がって、とろとろと流れ出しては、男の足を濡らしていく。濃い血臭に卒倒しそうになりながらも、わたしは男の顔を見上げた。男の顔は、やはり、見えなかった。

 しばらくそうして言葉もなく、若い大将の死体の傍に立っていた。日が少しずつ高くなって、あんなにぬらぬらと光っていた血の痕も、早くも乾き始めている。急にぐいと手を引かれて、わたしはたたらを踏みながら歩きだした。死体をそのままに、男は踵を返して元来た道を戻っていく。橋の先は先程歩いてきた町並みとはまるで様子が違っている。コツコツコツ、と男の靴が、石畳を蹴って音を立てる。
 それからも行く先行く先で、人が現れては死んでいった。男も女も、老人も子どもも。道の端から、木の陰から、門の中からパッと飛び出したかと思うと、その姿が男に触れるやいなや、揃ってすぐに事切れる。その度に辺りに鮮血が飛び散って、男の体を濡らしていく。男に握られたわたしの手も、もはや誰のものとも知れない血でぬるりと滑り、今にも外れそうだったが、それでもきつく繋がれている。
 この男は死神かもしれない、と思った。彼の前に現れる人間は、みんな死んでしまうから。それならわたしはなんなのだろう、とも思う。死神の連れなんて、聞いたことがない。魔女の連れなら黒猫だろうけれど。いつか死ぬ予定の魂を、その時まで連れ回しているのだろうか。
 いつ、わたしはこの男に殺されるのだろうか。
 手を引かれるまま男の後を着いて歩く。人が現れ死んでいく。町並みはどんどんと変わっていく。今はもう、わたしが生きていた時代とほとんど変わらないくらいになっている。アスファルトで舗装された道路。立ち並ぶ高層ビル。誰もいない町を、男と二人歩いていく。
 ビル街を抜け、住宅街らしき場所を通る。なんとはなしに懐かしさを感じて目を上げる。高く上がる踏み切りの黄色と黒の縞模様。その向こうに見える、五階建ての小さなマンション。今はもうない、わたしのお城。
 来てしまった、と思った。
 踏み切りの中で、立ち止まる。繋いだ手が一瞬、ピンと伸びて、男が振り返る。わたしは頭を振ってその場に座り込んだ。引きずられるように、男もその場にしゃがみこむ。
「死ぬのね、わたし」
 聞くと、男はわずかに首をかしげる。そこで初めて、この男は殺そうとして殺してきたのではないのだと知った。ただ人の死に立ち会うだけに歩き続ける男が、ずいぶんと哀れに思えた。
「もういいよ」
 腕を引き、体を下げさせ、顔のわからぬ男の頭を胸の中へ抱え込む。薄紫の、柔らかい髪に鼻先を突き込んで、その匂いをかぎながら、安心させるように撫でてやった。
「ここで、終わらない? わたしも一緒に、死んであげるから」
 カンカンと踏み切りが鳴っている。そのうちに、電車がゴーッと行き過ぎて、後には血溜まりだけが残った。

 目を覚ますと、まだ外は暗かった。わたしは夜着の上にさっと上掛けを羽織ると、隣室に続く襖へと手をかけた。鞘の間には、今夜の寝ずの番であった千子村正が、片膝を抱えて壁にもたれ掛かっていた。
「どうかしましたか?」
 パチリ、と赤みの強い橙色の瞳を瞬かせて、村正が聞いた。わたしは首をひとつ振ると、村正の傍に膝をついた。その首へ腕を回し、ぎゅっと温かい体を抱き締める。薄紫のふんわりとした髪に、顔を埋めて息を吐いた。
「……おやおや、随分と甘えたデスね。脱ぎまショウか?」
「ばか」
 そうして夜明けまで、わたしは黙って彼を抱いていた。

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2018/04/11

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