おとぎばなしの解法

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肥南

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 文久土佐藩に対する特命調査期間終了後、政府顕現の南海太郎朝尊が配属されたのは、呪われた審神者を擁する相模国の本丸であった。それを南海に教えてくれたのは先に本丸へと着任した肥前忠広で、南海と同じように政府で顕現され、調査報酬として本丸配属となっていた彼は、おれも詳しくは知らねえけど、と前置きしてから、己が籠手切江から聞き及んだ限りの事情を教えてくれた。
「事が起きたのはちょうど五年前、夏も近い頃のことだ。最初に呪いに気づいたのは遠征帰りの骨喰藤四郎で、出先から帰ってきたら、どこもかしこもいやに静かだったんでおかしいと思ったらしい。物音ひとつしないのは妙だと、御殿中を探し回って他の刀や審神者を見つけたが、その頃にはもう誰も彼もが手遅れで、肝心の呪いの主も見つからない。その上、運の悪いことに、外に出ていたのは比較的新参の奴等ばっかりで、古参の奴はみんな本丸にいたもんだから、審神者がなんで呪われたかさえ検討がつかないんだとよ。それで仕方なく、残った奴等で本丸を運営してるらしいが……。なあ、おれたち、えらいところに来ちまったな、先生」
 前を行く肥前が振り返ってにやりと笑う。確かに呪われたとは穏やかではないが、聞く限りでは残された刀剣には影響がないようだ。政府は、と聞けば、
「問い合わせたが、答えがない」
 と言う。いよいよ見捨てられた本丸のようで、そういえば、先行監査官として派遣されていた山姥切長義の姿も見当たらない。監査するべき審神者が呪われているのだから、監査のしようもないのかもしれないが、聞けば聞くほどにどうにも引っ掛かる話だった。
「まぁ、実際のところ、言うほど大仰な話じゃねぇよ。審神者がいたところでやることは変わらねぇんだから。いなけりゃいないで、いっそ気楽なもんだろ」
「そういうものかね」
「そういうもんだよ」
 この話は終わりだ、と肥前は無理矢理に話を切って、面白い話じゃあるまいし、と呟くようにぼやいた。
「ふむ、僕としては実に興味深いと思うがね」
「先生が興味持つのは勝手だけどよ、面倒は起こすんじゃねぇぞ。どうせ、本丸にいるうちは審神者は死なないんだ。百年も待てば術者も死んで、自然に呪いも解けるだろ」
 あらゆる時空を股に掛け、歴史を守る任務を担う刀剣男士たちが暮らす本丸は時が流れるということがない。だから、只人である審神者さえ、ここでは永遠の命を得る。通常の歴史の中に身を置く人間であれば当たり前のようにいつか死んでしまうから、肥前の言うことは正しい。正しいのだが。
「ねぇ、肥前く」
「なぁ、もういいだろ、先生。……そうだ、来た頃に西洋に似た噺があるって言って、冊子絵を貰ったんだよ。部屋に戻ったら探してやるから」
 宥めるように手を引くと、それっきり肥前は審神者について語ることはなかった。途中になっていた本丸の案内に戻ると、何事もなかったかのように審神者のいる本棟を避けて、あれが厩、あれが浴場だと一々に教えてくれる。けれども、その晩遅く、肥前は約束通り、ねむりひめ、と題された草子を南海に渡してくれた。
 ――とつくにの高貴な美しい娘にかけられた百年の眠りの呪い。姫とともに眠りについた召しつかいたちをも巻き込んで、城はいばらの棘をまとい、ただひとりの王子を待ち望む。
 肥前の部屋に新しく運び込まれた南海の机から、その晩の間、灯りが消えることはなかった。

「肥前くん、僕は王子様とやらを探しに行こうと思うのだが」
「……寝惚けてんのか、先生」
 翌朝、朝日の昇る前に起き出した肥前は、己の布団の傍らにしょぼしょぼと切れ長の目を余計に細くして辛そうに瞬きを繰り返す南海を見つけて仰天したが、目が合うなり口にされた言葉の頓狂さに、どうやら本丸配属初日から持ち前の研究心を大いに発揮したらしいと当たりをつけた。
「まさか一晩中起きてたのか? 人の身は寝ないと死ぬって、先生だってわかってんだろ」
「いやはや、君のくれた草子が思いの外興味深くてね。昔話には意外にも真実が隠されているものと言うが、それを踏まえて、思うに、」
「はいはい、後でちゃんと聞いてやるよ。とにかく、他の奴等にはおれから説明しておくから、少し寝て……」
 立て板に水とばかりに持論を展開しそうな気配を察して、肥前は慌てて口を挟んだ。初日だからといって特別な事は何も無いが、先住への挨拶回りぐらいは必要だ。勿論、それをしなかったところで除け者にされるということはないだろうが、この先、いつまでこの本丸で暮らしていくかわからない以上は、無駄な波風は立てたくない。
 とにかくまずは目の前の南海を寝かしつけようと、無理矢理に腕をとって布団へと導こうとすれば、ぱしり、と叩き落とされる。思わず顔を覗き込めば、存外に強い眼差しが肥前をキッとねめつけていた。
「肥前くん、僕は、大事な話をしているんだがね」
 南海の拒絶に肥前は少しだけ傷付いたような顔をしたが、それも瞬きの間にいつもの気だるげな仏頂面へと戻る。差し出した手を戻して腕を組むと、逆にギロリ、と南海を睨み返す。
「大事な話だあ? あんた、まだここへ来てから一日も経っていやしないだろ。それなのに何がわかるって」
「重要なのは時間ではない。それは共に土佐藩の調査に当たって、君もよく知っているのではないかね?」
「それとこれとは話が違うだろ」
 南海は、フン、と鼻だけで笑って見せた。小憎らしい態度に、肥前の眉間の皺が増える。
「違わないね。それでは肥前くん、君や、ここの刀剣男士が審神者の呪いを解く為に何をしているか教えてくれるかね?」
「何って」
 昨日も話した通り、百年を待っているのだ。人ではなし、物の百年は眠る間もなく過ぎて行くものだから。不確定な方法ではあるが、政府の協力も得られず、こういった類いに詳しいであろう刀剣男士は呪いによって審神者と仲良く夢の中だ。他の方法を探れる筈もない。そんな状況で、ただの人斬りの刀でしかない肥前に一体何が出来るというのか。肥前に提示されたのはただひとつの選択肢だけで、それに素直に従う他はないと思ったし、この本丸の誰からもその他の方法を探してみようという声は聞いたことがなかった。
 それなのに、昨日来たばかりのこの先生は、いとも簡単にその他の方法を見つけ出す。
「……大体、先生が何かしてやる必要こそないだろ。おれたちは政府権限の顕現で、審神者の顔すら見たことがないんだから」
 肥前としては至極真っ当なことを言ったつもりだった。刀剣男士としては己より幾分か年嵩の姿を与えられているとしても、南海の打たれたのは肥前よりも随分後のことで、物としての振る舞いは己の方が熟知している自負があった。しかし、南海は姿に相応の落ち着き払った表情を浮かべて、まるでできの悪い生徒に教師が言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「僕はね、肥前くん。腰に佩かれるだけの刀も、倉に仕舞われて手に取られることもない刀も、それでもやはり、所有する人間がいるのならば、その人間の持ち物と言えるのだと思う。たとえ……その一生において、主の敵を斬ることがなくとも」
 それは自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。南海の伏せられた瞳の奥がわずかに揺れる。その揺らめきで、肥前には分かってしまった。元の主の面影が確かに存在する癖、己を刀工寄りの顕現と言って憚らないのは、ただの気紛れだと思っていた。けれども、違うのだ。元の主との繋がりを誰より求めているのは、南海だった。
「まぁ、それはさておき、己の仮説を検証したいというのも学者の刀としての本心だがね」
 道化たように続けられる言葉も、もはや照れ隠しにしか聞こえなかった。けれども南海が隠したいというのであれば、肥前にそれを殊更暴き立てる趣味はない。仕方ねえなあ、とわざとらしいほど大きく声をあげながら立ち上がると、肥前は座る南海の肩をそっと押した。今度の南海は、さしたる拒絶も見せず、布団の上に仰向けにぽすりと倒れる。
「肥前くん?」
「王子だかなんだか知らないが、急に二人もいなくなったら騒ぎになるだろ。おれが説明してくるから、準備ができるまで先生はちょっと休んどけよ。絶対にひとりで行くんじゃないぞ」
「つまり、どういうことかね」
 こてんと首をかしげる南海に、はあ、と肥前はため息を落とす。
「先生ひとりで行かせちゃ、よしんば呪いが解けたとしても、本丸まで帰ってこれないだろ。……おれも行く」
 丸眼鏡越しにぱちぱちと存外に長い睫毛が瞬いて、次の瞬間、にっこりと笑顔の形を作る。その一部始終を見終えてから、漸く肥前は相談の為、部屋を出ていった。

 そんな風にして南海と肥前が本丸を出てから、もうすぐ一年になる。
 鋼色の雲が重苦しく垂れ下がる空の下、二人は荒い波飛沫を上げる海を見ていた。時間は夜明け前。春先の、冷たい風が刺すように強く吹いて、二人の着物の裾がバタバタとせわしなくはためいている。何もかもが薄暗く、憂鬱な景色だった。かつて己の主たちが、おそらく希望や畏怖をもって見つめた海。浜に立つ二人の間に会話はない。暫くの沈黙の後、南海がかじかむ指で懐から取り出したのは、鮮やかな橙の下げ緒だった。南海と肥前とは深い所縁のある刀剣、坂本龍馬の佩刀、陸奥守吉行のものである。肥前が本丸に来た頃には、既に審神者の呪いの余波を受けて共に百年の眠りについていた彼の刀剣男士としての姿を、二人は一度も見たことがない。陸奥守が南海や肥前のことを、一度でも懐かしく思ったことがあるのかさえ、わからない。けれどもふとした瞬間に、彼の存在を強く感じることがある。それは陸奥守吉行が審神者のはじまりの刀だったことにも、関係するのかも知れなかった。
 審神者の呪いの解き方について詳細を求められた南海が、本丸の男士たちに対して語った話はこうである。曰く、人の呪いは人にしか解けぬ。百年の眠りについた人間のねむり姫は人間の王子によって救われた。永久の眠りの呪いをかけられた審神者もまた、人間であるがゆえに、刀剣男士でなく人間の手によって救われるであろう、と。しかし、本丸は只人の辿り着けぬ場所、王子が来れようはずもない。そこで南海が考えたのは、本丸と現世との縁を無理矢理に繋ぐ方法である。彼は母屋に眠る刀剣も併せ、本丸中の刀剣男士たちから各々の一部を貰い受けた。下げ緒に小刀、目貫、鍔、切羽、鎺。特に眠る刀剣からは刀身と柄、鞘以外のほぼすべてを拐っていった。そうして、時代と場所を変えながら、南海と肥前は刀剣の欠片を方々に落としてゆく。ありとあらゆる場所にあり、ありとあらゆる場所にない、本丸という場所へと縁を繋ぐために。ただそれだけでは足りないが、いつか必ず呪いを解く王子が拾い上げた欠片をよすがにして、本丸へとたどり着くだろう。
 時空は入り組み、手放した欠片がいつの間にか手元に舞い戻ることもある。そのお陰で、有限である筈の欠片たちは、いつまで経っても二人の手元から無くなることはない。誰にも手にされぬまま、朽ちてしまったのか。それとも拾われたものの、運命の王子ではなかったのか。戻ってくる理由は定かではないが、再び手にした欠片たちを、今度こそはとまた手放す。陸奥守の下げ緒とも、これで三度目の別れになる。
 早く手放せ、とでも言うように、揺れる橙の下げ緒を見つめ、南海は指先からそっと力を抜く。途端に空中へと解き放たれた下げ緒は強風に乗って、海の上へと飛んで行く。もはや追いかけることも出来ないほどに、早く、早く。南海や肥前では、辿り着くことさえ出来ない場所へと。気流に乗って上下を繰り返していた下げ緒だったが、けれども遂に水面に落ち、海の色に染められながら沈んでいく。横から大きな波がざっと来て、もうどこにも見えなくなるまでを、二人固唾を飲んで見守った。
「こんな調子で本当に呪いが解けるのかね」
 ぽつり、とひとりごちるように肥前が呟いた。風の音が強いのに、肥前の声だけが、南海の耳にはっきりと届いた。
 先の見えない旅の中で、泣き言に近い愚痴がどちらからともなくこぼれる日も勿論ある。今日の泣き言は肥前の番のようだった。
「おとぎばなしというのはね」
 南海は、幾度も繰り返したいらえをまた今日も口にする。大して声をはっている自覚はないが、肥前の耳にはキチンと届いているだろうと思った。
 聞こえていなくても問題はない。肥前にも、もうわかっている筈だから。物は神に祈らないが、幾度も口にしたその言葉は、少しだけ人の真似事じみている。
「大団円と決まっているのだよ。古来からね」
 そうして、二人は、いつ終わるともわからぬ旅を続けるのだ。

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2020/04/01

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