やさしいはなびら

*

長義さに

*

 就活面接とお見合いは似ている、と思う。それが審神者という人間性重視の職業であれば、なおさら。

 四月吉日、わたしは都内の高級料亭の一室で、畳の目を数えていた。事前連絡でスーツは不可と言われていたから、この日のために慌てて成人式の振袖を引っ張り出してきたけれど、赤の市松模様に桜柄が絞りで抜いてある派手な着物は、こんな格式の高い場所では逆に浮いて見えた。今にも吐いてしまいそうなのは、美容院でぎゅうぎゅうに絞められた帯のせいだけじゃなく、どうしようもなく緊張しているからだとは、誰に指摘されずともわかっていた。ピカピカの一枚板の机を挟んだ向こう側から、音でも聞こえてきそうなほどに、こちらをジッと見つめてくる視線が痛くて痛くてたまらない。見返すなんてとてもじゃないけどできなくて、ぎゅっと両手を固く握ってうつむいた。
「えー、本日はお日柄もよく、こうして無事、はじめての顔合わせとなる一席を設けられまして、ワタクシも大変嬉しく思っております! 審神者さま、こちらが政府所属の刀剣男士、山姥切長義さま。長義さま、こちらがこの度、長義さまの主となる審神者さまです!」
 わたしの緊張なんて、わかっているのかいないのか、わかっていたとしてもどうでもいいのか。しっぽをフリフリ揺らしながら軽やかに机の上へとおどりでると、こんのすけという名前のクダギツネは流暢に両者の紹介を済ませてしまった。このこんのすけも今後はわたし付きのクダギツネになる予定だけど、それもこの面接に無事合格できたら、のはなし。今のところ、受かる自信はまったくないし、受かったとしてうまくやっていける自信もない。受からなければどうしようもないから、受かった方がいいはいいんだけど。昨日までは、すこしぐらいはあった自信も、この冷たい視線を前にして、ポキッと折れてなくなってしまった。
 ドヤッと効果音でもつきそうな態度で紹介されて、わたしはますます身を縮こまらせる。主、なんて気の早い紹介をされたせいか、ますます向けられる視線の強さが増した気がした。
「……ということで、あとは若いお二人で! ドロン!」
 紹介の後もペラペラとなにかを喋っていたこんのすけは、その言葉を最後に消えてしまった。えっ、口で言うの? なんて突っ込む間もないあっけなさだった。
「あ、あ、あの」
 司会役をうしなって、わたしはそろそろと顔を上げる。机の向こうには腕を組んでこちらを見下ろすように睨んでくる人、ではなく刀剣男士、山姥切長義さま。
 審神者にでもならないかぎり、刀剣男士にこんなに近くで会うことはないから、わたしが刀剣男士という存在のひとに会うのはこれがはじめてだ。噂どおりのうつくしい、ひとではないひと。鋼のような銀の髪に、ツンとした冷たい美貌。薄い唇は形はいいけど今にも皮肉を口にしそうで、青い瞳はまるで冬の夜空のようにさえざえと輝いていた。その瞳がキッとわたしを見返してきて、思わず、ヒッと悲鳴がこぼれる。
 慌てて口を押さえるも時は遅し。おそるおそるふたたび視線を上げれば、長義さまの顔はこれ以上ないほどに強張っていて、おろかな人間の小娘を軽蔑しているように見えた。
 落ちた、と思った。さよなら、夢の公務員ライフ。
「……君はどうして、審神者になろうと?」
 畳の目を数える作業に戻ったわたしを現実に引き戻したのは、思ったよりも柔らかい声だった。一応まだ面接は続いているのかと、わたしは視線を上げて、そうして急いで下げる。声の柔らかさに騙された。目の前のひとの表情はまったく変わっていない。冷徹冷酷を絵にかいたらこうなるだろう、という表情だ。粗を見つけるだけ見つけて、落としてやろうと思っているにちがいない。それでも、とりあえず用意していた答えを返そうと、わたしは慌てて口を開いて、
「わ、わたひは」
 ……噛んだ。もう、泣きたい。
「その、ひ、ひとの、役に」
「ああ、もういい」
 それでもなんとか続けようとした言葉は、ひらりと手の一振で止められる。黒の皮手袋に気圧されて、わたしはヒュッと息を飲む。もうそれ以上は言えなかった。
「無意味な質問だった。この時期に審神者に採用されるということは、それなりの訳アリなんだろう。俺も政府ではあぶれ者だからね。今更、主に求めることなんて特にない」
 自虐のようにとれる呟きに、思わず長義さまをまじまじと見つめてしまった。長義さまはもうわたしを見ておらず、青い瞳は窓の外に向けられていたから、わたしは顔を上げたまま、長義さまの横顔を眺めていられた。
「本来なら、他の山姥切長義と同じように、俺も今頃はとっくにどこかの本丸に所属して、戦場で敵を斬っている筈だったのにな……」
 その言葉の意味は、わたしにはよくわからなかった。審神者の仕事に業界研究なんてあるわけないし、インターンシップもOG訪問も聞いたことがない。今日の面接だって、ただ、刀剣男士と面接をする、というだけしか教えてもらえずに、審神者がなにをするのかさえわからないのに、ここにいる。歴史を守る、という大義名分だけがわかっているすべてで、だから、わたしはどう声をかけていいかもわからないまま、長義さまの視線を追って、窓の外へと視線を動かした。お日柄もよく、なんてこんのすけは言っていたけれど、終日傘マークの天気予報は大当たりで、大きなはきだし窓の向こう、料亭自慢の日本庭園はすっかり雨に沈んでいた。
 しとしとと、雨の音だけが聞こえている。わたしも、長義さまもなにも言わない。
 長義さまの言った通り、わたしが審神者をこころざした経緯は普通とは違った。訳アリって程ではないけれど、普通は九月の公務員試験と同時期に実施される審神者試験を受験して採用されるのだから、四月に面接を受けるわたしをいぶかしんでも無理はないだろう。わたしは審神者試験を受けなかった。中学でも高校でも、審神者能力はないと言われていたから。だから、短大を出た後、普通に就活を始めて、落ちて、落ちて、落ちて、数えきれないくらいの会社に落とされて、派遣として働き始めた。誰かから必要とされることを、やっと諦められたところだったのに、まさか、派遣先の健康診断で審神者能力が認められるなんて、思ってもいなかった。
「……せっかくだ、庭に出てみないか」
 スッ、と衣擦れの音だけをさせて、長義さまが立ち上がる。こちらをちらりとも見ずに部屋を出ていこうとする長義さまを、わたしは慌てて追いかけた。本当は雨も降っているし、慣れない振袖だし、庭になんて出たくはなかったけれど、長義さまをひとりで行かせてはいけないような気がしていた。

 料亭のツルツルした板張りの廊下を、長義さまは迷いなく歩く。転けないように注意しながら、わたしも必死で長義さまの後をついていく。角を二つほど曲がるとこじんまりとした出入り口があって、庭に出るための下駄が二足、たたきにそろえて出してあった。傍らの傘立てから和傘を引き抜きながら、雨で汚れるから振袖の袖を持っていろ、と長義さまが言う。汚れるとわかっているなら庭に出るのをやめてほしいと思ったけれど、やっぱりわたしはなにも言えなくて、黙って両手で袖をたくしあげた。
「行こう」
 腰を抱えられるようにして、二人して庭へ出る。長義さまがさしてくれた傘越しに、パタパタと雨音が聞こえた。洋傘とは違う、軽いけれど固い音に、ついつられてチラチラと上を見ると、ちゃんと前を見て歩けと叱られる。
「……すみません」
「いや」
 それっきり、また、会話が途切れた。
 中庭は見事だった。雨でなければ、もっとうつくしかっただろう。青々とした芝生が広がって、丸く刈られた低木がそこかしこに点在する。変わった形の石灯篭を横目に進めば、道は池のぐるりを回って太鼓橋を渡り築山へ。築山には桜の花が今を盛りと咲いていた。滑りやすい石階段を長義さまの手を借りて登れば、桜の枝が手の届きそうなほどに近い。けれども、雨に打たれ続けたせいか、満開の桜の花はみんな寒さに耐えるように下を向いて、ぐったりとして見えた。もう少しだけ近づいて見ようと首を伸ばせば、傘の縁がわずかに上がる。
「す、すみません」
 そういえば自分で傘をさしているのではなかったと、慌てて後ろを振り向いて、そうしてやっと、わたしは長義さまの肩が少し色を濃くしているのに気がついた。傘が小さくて片方の肩が出てしまっているのかと思ったが、そうではない、両肩ともに少しずつ濡れているのだ。どういうことなのか、長義さまの背後を確かめようと横に二歩三歩と足をずらしたけれど、動くわたしに合わせて長義さまもくるりと体をずらす。結局、二人で見つめあったまま、180度その場で回っただけで、わたしは観念して口を開いた。
「あの……背中、濡れていませんか」
「君が気にすることじゃない」
 濡れている、と言ったのも同じだと思った。長義さまはわたしが濡れないように傘をさしかけていてくれたのに、わたしが勝手に前へ前へとを歩いて行ってしまったから、長義さまの背中が濡れてしまったのだ。庭なんて出たくない、と思っていたのに、あまりにも自分勝手で、自分で自分がいやになる。うつむく視線の先で、手に抱えた袖にひとつの染みもないのが、わたしの自分勝手のまぎれもない証拠だった。
「……すみ、ま」
「紳士なら当たり前だろう。持てるものこそ、与えなくては」
 謝罪の言葉を奪うように長義さまが言った言葉は、思いもかけないもので、ぽかんと口をひらく。当たり前。ひとにやさしくするのが当たり前なんて、はじめて聞いたような気がする。子どもの頃に聞いた気もするけれど、大人になってからは聞いたことがなかった。それが、大人になるということだと思っていた。
 いらない、と言われ続けたわたしみたいな人間に、自分が濡れるのにも怒らずに、やさしくしてくれるなんて、どれだけやさしいひとなんだろうと思った。
「……ありがとう、ございます」
 ぽかんとしたまま、するりと言葉が出た。
「やさしいひとですね、長義さまって」
 自分で言った言葉の意味もよくわからないうちに、ふわり、と甘い匂いがした。視界の端を、ひらひらと薄紅の欠片が舞う。誘われるように顔を上げれば、雨も寒さもまるで別の世界のできごとのように、あたたかい風にのって、空一面に桜の花が舞っていた。
「さくら」
「はっ?」
 目の前に落ちてきた花びらに、思わず手を伸ばす。驚いたように長義さまが青い目をいっぱいに見開くのが見えた。それでも、からだは自然と一歩前へと踏み出して、抱きつくように両腕を開く。手放した袖がばさりと落ちて、重さに引きずられて腕が揺れる。ひらいた両のてのひらをさっと丸めながら、すくうように花びらをつかまえる。本当につかまえられたかもわからない、ちいさなひとひら。けれども、とじた手のひらのなかで、はなびらの触れた箇所がぽっとあたたかくなった気がした。
「つかまえ、ました! 長義さま! ほら!」
 あわせた両手を目の高さへと持ってきて、ぐいっと差し出す。そこでやっと、目と鼻の先に長義さまの顔が迫っていることに気がついた。くるくる回っているうちに、わたしたちは向かい合っていて、長義さまは桜の木を背にして立ちすくんでいた。花びらはあとからあとから降ってくる。雨なのか、花びらなのか、もうわからないくらいだった。
 降りやまぬ桜吹雪のなか、なにもかもがさくら色に染まっていく。長義さまの白い肌も、さくらの色がうつったようにふんわり朱く染まっていた。
「……あまり、見ないでくれないか」
 長義さまが、さっと顔を背けた。口許にあてられた黒い手袋の指先が震えていた。もしかして、照れている。顔の下半分は隠してしまっても、髪の間からのぞく右耳が、隠しようもないくらい朱かった。
「あの、どうして」
「やさしいと、」
 言われたのは初めてだ、と。ちいさな声が言った。わたしは思わずまじまじと長義さまを見つめる。鋼のような銀の髪に、ツンとした冷たい美貌。薄い唇は今は見えないけれど、青い瞳は冬の夜空のようにさえざえと輝いて、でも、どこか恥ずかしそうにユラユラと揺らめいている。
 コホン、とひとつ咳払いして、長義さまは口から手をはなす。顔はもう朱くない。耳だけはまだ朱いままだけれど。表情だけはすっかり、余裕綽々、という感じで、黒い指先が差し出していたわたしの手の甲を、ツン、とつついた。
「なぜ、桜をつかまえようと?」
 子どもっぽい理由で恥ずかしかったけれど、目の前のひとがわたし以上に照れているのがわかったから、わたしは今度はつっかえずに答えられた。
「こういうの、流行ったんです。高校生の頃。地面に落ちるまでにさくらの花びらをつかまえられたら、願い事がひとつ叶うって」
 たぶん、成功したと思います。そう言えば、長義さまは笑って、どうかな、と言った。青い瞳が柔らかく歪んで、口の両端がきゅっと上がる。笑った顔はどちらかといえば、キレイというよりかわいいという言葉が似合うと思った。
「開けて」
 ツン、とまた長義さまの指先が甲をつつく。風で飛ばされないようにそうっと重ねた手を開く。覗き込むようにして開いた手のひらの中は、からっぽだった。
「……あれ?」
 念のため、上にしていた右の手のひらも確認して、そうして何も残っていないことに肩を落とす。すみません、と言えば、いいや、と長義さまが首を振る。
「君の願いは?」
「わたしの願いは……その、審神者になれますように、です」
 最初の派遣先はもう辞めさせられてしまった。今日の面接で採用されなければ、能力はあっても人間性に問題ありで、二度と審神者になれる機会はないだろう。また、一から求人を探して、面接をして、そうして仕事を決めるのは、短くても三週間はかかる。貯金もろくにない社会人一年目、収入のない状態が続くのは、つらい。
 今後を考えてうつむきがちになるわたしの手に、そっと黒い手袋に包まれた左手が重なった。うながされるように視線を上げたさきで、長義さまが晴れやかに笑う。
「その願いなら、もう叶ったよ。主」

*

2020/04/16

*

+