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ホラー / 刀剣破壊
※友人とのプロット交換作品です

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 友人が死んだ。同期入庁者のなかでも特に親しくしていた、親友と呼べる相手だった。右も左もわからない新人の頃からたがいに支え合って、刀剣男士にも相談できないことだって、彼女になら素直に言うことができた。曲がりなりにもまともに審神者としてやっていけるようになったのは、彼女がいてくれたからだった。
 彼女と最後に顔を会わせたのは、ちょうど一月前のことで、その時には、こんなことになるとは夢にも思っていなかった。話がある、と呼び出されたのは演練会場に併設された小さな喫茶室で、わたしたち以外の客は、刀剣男士を連れた審神者が二人いるきりだった。カウンターに置かれたサイフォンの湯がコポコポと沸き立つ音だけが、店内に響いていた。
 結婚するの、と彼女は言った。
 数分の沈黙の後、思いきったように口を開いた彼女の声はひどく小さかった。静かな店内でも、耳をそばだてないと聞き取れないほどの小さな声。けれど一度口に出してしまえば、もうためらうこともなくなったのだろう、続けられる言葉は、次第に早くなっていった。
 上司の薦めでお見合いをしたら、先方に気に入られちゃって。これといった理由もないし、断りきれないまま、話だけがドンドン進んじゃって。相手も審神者なんだけど、所属国が違うから、結婚したら向こうの国に引っ越さなくちゃならなくて。
「……ねぇ、どう思う?」
 その言葉に込められた不安げな響きを、その時のわたしはただのマリッジブルーだと、軽く笑って流したのだ。わたしたちももういい歳だし、そろそろ婚活しないとね、なんて、前から何度かそんな話をしていたから。このままだとまじでやばいね、と笑って頷いていた彼女が、いざという時に見せた不安を取り除きたくて、いい話だね、とつとめて能天気に見えるように笑い飛ばした。わたしがもっと真面目に話を聞いてあげていれば、こんな結末を迎えることはなかったかもしれなかったのに。
 彼女が亡くなってからもう今日で丸四日が経った。一向に集中できない書類仕事の手を止めて、わたしはそっとため息をつく。指先は、無意識に右手の小指に光るピンキーリングを撫でていた。
 友人の死因は自殺だった。自室で首を吊っていたのを、彼女の刀剣男士が見つけたそうだ。どうして彼女が自死を選んだのか、その理由は誰にもわからない。彼女は遺書さえ残してくれなかったから。
 けれど、なにも残してくれなかったことこそが、かえってわたしにあの時の会話が彼女の死の原因なのだと確信させた。彼女のすべてを知っている、なんてうぬぼれるつもりはないし、わたしの存在が彼女に死を選ばせるほどの影響力を持つとも思っていない。でも、なにかあったら相談してくれるぐらいの絆は、あったはずだから。それなのに、彼女がなにかを伝えたかった時に、他ならぬわたしが彼女を追いつめてしまったのだとしたら。
「あるじさま」
 スゥと障子が桟を滑る音がして、小さな足音が背後から近づいてくる。一定の速度で聞こえていた足音は、背中から体の左側へと歩を進めると、ちょうど頭の横の辺りでぱたりと止んだ。伏せていた顔をのろのろと上げて、文机の傍らに立つ子どもの姿をした刀剣男士をあおぎ見る。絹糸のような銀の髪に囲まれた、いとけない小さな顔。普段は見下ろすことの多い、兎に似た赤い両目が、パチパチと瞬きながら、わたしをじっと見下ろしていた。
「あるじさま、げんきをだしてください」
「……ありがとう、でも」
「それがにんげんのかたちをしていないのが、そんなにかなしいんですか?」
 わたしの初めて鍛刀した刀剣男士、齢千年を越す、源頼朝の守り刀。今剣の真っ白な細い指先が、小指にはめたリングを指さす。昨日営まれた葬儀の際に、人目を盗むように彼女の燭台切光忠から渡された指輪だった。
 これは君が持っていて、と握り込まされたのは、華奢な細工が施されたピンクゴールドのピンキーリングだった。トップには小ぶりなダイヤがついていて、光を受けてキラキラと光る。その光のあまりのまばゆさに、本物のダイヤモンドだと思ったわたしは、こんな高価なものはもらえないと断ったけれど、彼女がわたしの為に作っておいたのだと言われれば、受け取らないわけにはいかなかった。よくできたイミテーションのジルコニアだから思っているよりずっと安価なのだと、それでも彼女の気持ちがこめられているからどうか断らないで欲しいと、そこまで言われてしまっては。
 光忠の言うことがすべて本当かはわからないが、生前の彼女は手先が器用で、アクセサリー作りに秀でていた。しかも、作られたアクセサリーは不思議な力を持っており、政府の依頼で特別に作成することもあったらしい。詳しい力については彼女は話したがらなかったから、よくは知らない。けれどもそれが理由なのか、遺品はすべて、ひとまず政府の預かりになったのだと、同期の一人が言っていた。有益なものがあれば、遺族に文句を言われる前に秘密裏に回収してしまうつもりなのだろう。だから、もしもその一つがわたしの手元にあるのが政府に知れたなら、わたしも、それを勝手に渡した燭台切も、大目玉を食うに違いない。危ない橋を渡っていることはわかっていたが、それでも、わたしは指輪を受けとることを選んだ。歴史修正主義者の手に遺体が渡らぬように死ねばすぐに荼毘に付され、写真も手紙も残すことのできないわたしたちにとって、今となってはこれだけが、唯一彼女を偲ぶよすがだった。
「……そうだね、あの子ともう二度と笑ったり、抱きしめあったりできないのが、かなしい。でも、これだけは遺してくれた」
 ダイヤを支える台座部分の細工を撫でる。彼女の好きだったブーゲンビリアの花の意匠が、絡みつくように中石のダイヤを飾っている。好きな花の話をしたのは、出会ってから初めての誕生日を迎える前日のことだった。本当はアクセサリーのデザイナーになりたかったの、という彼女に、それって今からでも叶うんじゃない、と言ったのが始まりで、それからは会うたびに、こんなデザインを考えた、こんなアクセサリーを作ってみたいと楽しそうに話してくれるようになった。いつかあなたの為にアクセサリーを作りたいから、と好きな花を聞かれて、ミモザと答えたわたしに、デザインが難しいなあと笑っていた。がんばってよ、なんて返したけれど、彼女がわたしのために作ってくれるものならなんでもよかった。ミモザだろうが、ブーゲンビリアだろうが。
 今剣と話している間にも、次々と彼女との思い出があふれてきて、気を抜けば勝手に涙が溢れてくる。なんとか止めようと、ぐっと両目をつむってみれば、かえって押し出された涙がポロリ、と頬を伝っていった。
「ぼくのことも、そうやって、ずっとおそばにおいてくれますか」
「……今剣」
 静かな声に、顔をあげて今剣の顔を見返す。陶器の切れ込みに嵌め込んだガラス玉のような、作り物めいたきれいな眼がじっと私の返答を待っていた。その時になってやっと、わたしはこの、自分よりはるかに歳上の、それでいて庇護すべき子どもの成りをした刀剣に、随分と心配をかけていたことに気づいたのだった。
「うん、ずっと、ずっとそばにいてね。今剣」
 指輪を撫でていた手を止めて、両腕を広げる。ポスリと飛び込んできた小さな体を抱きしめれば、石とは違う、生き物だけが持つ温かさと柔らかさがあった。私にはこの子達がいる。彼女もきっと、いつまでも私に泣いていてほしいとは思っていないだろう。
 強くならなければ、とそう思った。

 あれから丁度、三年が過ぎた。日々を過ごすうちに、彼女のことを思い出す時も、痛みではなく、ただただ懐かしさだけを覚えるようになっていた。あの日、渡された指輪は、今でも右手の小指に嵌まっているけれど、これを外す日も近い。
 あの後、奇しくも彼女と同じように上司の薦めでお見合いをした私は、半年後に結婚が決まっていた。相手は政府に勤める公務員で、刀剣男士のような強さや美しさは持っていないけれど、とても優しくて誠実な人だ。彼と結婚できるわたしは間違いなく幸運だ、と思えるほどに。
 結婚を機に、私はあと半月で審神者を辞める。大学を出てすぐに新卒で本丸の主となって、もう六年もの月日が経っていた。大して才能もカリスマ性もない自分が、よくもここまで無事に続けられてこれたなとしみじみ思う。なにもかも、時に厳しく、けれども優しく、献身的にわたしを支えてくれた刀剣たちのおかげだった。わたしの審神者人生における一番の誇りもまた、彼等を一振たりとも折らなかったことだった。
 わたしが審神者を辞めた後、刀剣男士たちは皆、刀解処分となる予定だ。刀解とは刀剣たちが現世で私が与えた肉の体を捨て、再び歴史と逸話の存在へと戻る儀式である。そうして彼等が守った先の未来で、私はただの人間として生きていく。これは刀剣たちとも話し合って、納得して決めたことだった。
 叶うならば、彼女にもこんな未来を迎えてほしかった、と思うのは生き残った者の傲慢だろうか。小指に光るダイヤモンドは、あの日から変わらぬ輝きを保っているが、自分自身の心持ちはあれから随分と変わったと思う。昔ならきっと、審神者を辞めるという選択はしなかった。こんなにも傍にいて、命をかけて戦ってくれている存在たちを、自分の幸せのために切り捨てるような気持ちがして。けれど、彼女の死を切欠に、体が傍にいるだけが絆ではないのだと気がついた。どんなに遠くにいても、たとえ死んでしまったとしても、心は傍に居続けることができるのだと。
 審神者を辞めるのと同時に、彼女の指輪もまた、外そうと決めていた。彼女のことを忘れるのではない。指輪がなくても、もう十分に彼女のことを覚えていられると思ったから。
 残り少ない日々を惜しむように、陽の光に指輪をかざす。カットの仕方が良いのだろうか。結婚指輪を選ぶ過程でいくつかのダイヤモンドを見たが、このダイヤほどの輝きを持つものはひとつもなかった。宝飾店で、なかなか納得がいかずに何点も指輪を出してもらい、店員を困らせたことを思い出して笑いが漏れる。きっと自分だって困っていただろうに、一生ものだから、と嫌な顔ひとつ見せず、何時間も付き合ってくれた彼のことも。
 彼のことを思うと、胸がほんのりと温かくなる。きっと、一生に一度なんていう、そんな激しい恋ではない。けれど、この人を選んだことをけして後悔はしないだろうと、そう思える人に、自分もまた選ばれたのだと、そう思えることが嬉しかった。
 しばらくそうやってしあわせを噛み締めていたのだが、不意に表がザワザワと騒がしいことに気がついた。出陣部隊が戻ってきたのか、と部屋を出る。入側を覗けば小狐丸が大股でこちらへと歩いてきたところだった。
「ぬしさま」
「おかえり、怪我は……」
「今剣が折れましてございます」
 さらりと、まるで天気を告げるように口にされた言葉を、瞬時には理解できなかった。
「え……、今、なんて?」
 聞き間違いに違いない。まさか、まさかそんな、今剣が折れるなんて。そんなことが、あるはずがない。引退が決まってからというもの、日課の出陣も政府に許可をとって、今の本丸のレベルよりも低い場所を割り振ってもらっていた。最後の日を、皆揃って迎えたいというわたしの我が儘を、聞き入れてくれたのだ。なのに、
「こちらを」
 小狐丸は両手に載せた紫の包みをズイと差し出した。無地の紫の絹布が陽に当たっててらてらと光る。大きさは弁当箱ほど。しかし何も包んでいないのではないかと思うほどに、ぺったりと薄い。前に垂れた布の角をそっと摘まんでめくっていく。心臓が早鐘を打つ。耳にはもう、自分の鼓動の音だけしか聞こえていなかった。嘘だ、嘘だと頭のなかではうるさいほどに叫んでいるのに、唇は震えて、なんの声も出せなかった。震える指先で、けれどあまりに現実味のないままに、中心に向けて四つに畳まれた布を、順々に剥がしていく。
「……嘘」
 パサリ、と最後の一辺が落ちる音がした。
 たとえ破片になったとしても、見間違える筈がない、この六年、誰よりもわたしの傍にいた、懐刀の変わり果てた姿がそこにあった。鞘も柄もない、ただ砕けた刀身だけが、バラバラと布の上に散らばっている。欠片の一つ一つが覗き込むわたしの顔を反射して、そのなかで口がはくり、と動くのを他人事のように眺めていた。
「さ、どうぞ。ぬしさま」
 固まるわたしの手をとって、小狐丸は絹布を両手に載せる。あまりに軽すぎる重みに、じわじわと現実感が戻ってくる。反射的に溢れだしそうになる涙を、目に力をぐっと入れて耐える。あの日耐えられなかった涙は、今は溢れていきはしなかった。数日後には本丸を離れるとはいえ、今のわたしはまだ審神者だ。こんな日は一生来ないでほしいとは思っていたけれど、審神者として覚悟もしていた。最後まで、歴史のために戦ってくれた刀剣のために、人間が出来ることは、まだある。
「今剣を連れて帰ってきてくれて、ありがとう」
 小狐丸に笑いかけて、わたしはその脇をすり抜けた。それが本当に今剣の救いになるかはわからない。けれども、なにもしないこともできなかった。こうして破片でも帰ってきてくれた、それならば、わたしのするべきことは、
「どこに行かれるのですか、ぬしさま」
 すれ違いざま、パシリ、と腕をとられて、思わずよろめく。たたらを踏んだ体を、小狐丸が両腕で支えた。今剣と同じ、赤い瞳が不思議そうにわたしを見下ろしている。
「……刀解を、試してみようと思って。一度折れてしまったら、本当はできないんだけど。もしかしたら、少しでも今剣を歴史に戻してあげられるかも、」
「ぬしさまは勘違いをしておられる」
 あまりの声の冷たさに、びっくりして小狐丸を見返す。見上げた小狐丸は笑顔だった。いつもと変わらぬ、優しい笑顔。
「今剣は自ら折れたのです。ぬしさまのお側にいる為に」
「……え?」
「すべて、ぬしさまが悪いのです。ずっとお側に置いてくださると言ったのに、我らを捨てて人の男を選ぶなぞ」
 掴まれた二の腕を痛いほどに握りこまれて、わたしはヒッと悲鳴を上げた。尖った爪がプツリと肌に穴をあける。痛みにしかめた顔に、小狐丸の笑顔が迫った。
「なぜですか? 元は人でも物と成れば、それほど大事にしてくださいますのに。我らも人の体を捨て、もう一度、ただの物へと戻ったならば、どこまでも連れていってくださるのですか」
「なんの、話……?」
「生きている時分から、私はあの娘が気に入りませんでした。ぬしさまを見つめる目のおぞましさたるや。幾度切り捨ててやろうかと思ったかわかりませぬ」
 大きな手がずりずりと腕を動く。振りほどけぬまま、手首を掴まれて、くるりと手のひらが下を向く。その拍子に、なんとか掴んでいた布が落ちて、廊下にバラバラと破片が落ちた。
「や、め」
「ぬしさまには我らがおります。もうこれは必要ないでしょう?」
 右の手首がグイと上に引っぱりあげられて、急な乱暴に腕の付け根に痛みが走った。顔をしかめるわたしを無視して、小狐丸は持ち上げた右手へと顔を寄せる。生温い息が甲を撫でた。まさか、と思っている間に、左手首を押さえていた手が離されて、小指の指輪に小狐丸の指先がかかる。指輪が第二関節を通る、その感触に、はっとして右手を握りしめた。
「だめ!」
 そのまま体を捻り、自由になった左手で、小狐丸をつきとばす。刀剣男士が本気を出せば、ただの人間が逃れられるはずがない。けれど、その時、小狐丸はぱっと右手を解放したのだ。わたしはそれを不思議とも思わず、慌てて彼から逃げ出した。床に散らばった破片が、足の裏に突き刺さるのも構わずに。
 そうして、鍛刀部屋へと逃げ込んだわたしは震える手で、今度は自分の意思で指輪を抜き取った。華奢な意匠のピンクゴールドのピンキーリング。ブーゲンビリアの台座の上で小さなダイヤモンドがキラキラと光る、彼女の形見。
「……こ、んの、すけ」
 呼べば管狐はすぐに現れた。くるりと宙で一回転して鍛刀部屋へと降り立った管狐は、指輪を見てすぐに、
「こんなところにあったんですね」
 と言った。お預かりします、というこんのすけに素直に指輪を渡して、わたしもすぐに本丸を離れた。それ後、わたしの刀剣男士がどうなったかは知らない。

 遺骨からダイヤモンドを作る技術があるのだと、後に知った。
 彼女の遺体には一ヶ所だけ、欠けている部分があったという。政府が遺品を回収したのは、その欠けている部分を探すためだったそうだ。
 首をつった彼女の右手、切り落とされたばかりに見える小指の付け根からは、血が――まるで赤い糸のように垂れていたのだと。

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2020/09/13

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