男が去った後の喫茶店には沈黙が降り、壁に掛けてある古めかしい時計の秒針が音を刻んでいた。
店内にいるのはマスターと男性客、それに先程出ていった男と話していた少年の三人。
マスターはグラスを磨き、カウンター席に居る客は新聞を広げ、テーブル席では少年が通りへと消えていく男の背を見つめ笑っている。
各々が無言を貫いている中、午後の三時を告げる鐘が中央広場の方向から鳴り響き、その直後、沈黙を破るようにマスターが溜め息をついた。

「どうやら、代金を誤魔化されたようですな」

憐れみと侮蔑を含んだ呟きを正面から受けた客は顔を覆うような形で読んでいた新聞を降ろし、苦笑を漏らした。

「ま、今のご時世テロリストは何処も資金不足だからしょうがねェよ、『マスター』」
「だとしても我々の商売が資金不足に陥っては生計が立てられんのですよ、『お客様』」
「否定はしねェ。……で、『少年』。てめェはどうするつもりなんだ?」

『客』に問い掛けられた『少年』は先程男が置いていった袋から札束を取りだし、数え始める。数十秒の沈黙の後にわざとらしく肩を竦め、カウンター席へと顔を向けた。

「どうするも何も、彼は情報料をきっちり支払いましたよ」
「む? どういう事ですかな?」
「恐らくこの袋には元々50万の他に端数分を加えていたのでしょう。なるほど、バルト様も考えましたね」

数え終えたらしい五つの札束をこれまたわざとらしくテーブルの上へと落とす。すると『客』は感心したような表情を『少年』へと向けた。

「だから珍しく引いた訳か、『少年』」
「私が今までちょろまかした客を逃がした事がありましたか?」
「ありませんでしたな」
「ねェな」
「でしょう?」

うふふ、と大通りに消えていった男の背を思い出しながら楽しそうに笑う『少年』は既に『少年』らしさを失っている。
その口元に浮んでいるのは『女』独特の微笑みと言っても過言ではなかった。

「……それにしても、『アキ』嬢。ワタクシはいつまでこの格好をしていれば良いので?」
「あれ、『ジャック』ならまだしも『リック』から演技を辞退するなんて珍しいですね」
「俺はそんなに飽き性だと思われてるのかよ……」
「この格好は少々首もとが苦しいですから」
「なるほど。まあ、私も帽子が鬱陶しいと思ってた頃合いですし、ここまでとしましょうか」
「しかも俺の発言は完全無視かよ……」

そんなぼやきもなんのその、と言ったような具合に『少年』、もとい『女』であるアキが帽子を取り去れば其処から長い黒髪が露となった。
同じくして喫茶店の無口な『マスター』役を務めていた壮年の男、リックが自身を苦しめていた蝶ネクタイを外し、深い溜め息を漏らす。

「慣れない演技はするものではないですな。本来のワタクシはお喋りな男なのですから」
「おいおい、リック。情報屋がお喋りってどうなんだよ」
「此処のマスターとしての本来のワタクシは、という意味ですぞ、ジャック殿。貴方だって先日は此処で女性をはべらかしてべらべらと情報を喋っていたではありませんか」
「あ、あれはサービスだよ、サービス!」
「サービスの割にはタダでお帰しになってましたよ、アキ嬢」
「大丈夫ですよ、リック。ジャックが最近金遣いが荒いという事は情報屋の中でも噂になってますから」
「誰だ、そんな情報を流したのは!」
「マダム・クリスマスですな」
「マダム・クリスマスですね」
「……あんのババアめ……」

いつかギャフンと言わせてやる、とジャックが三流の台詞を呟いた頃、おもむろにアキは時計へと視線をやり、「じゃあ私はこの辺で」と言って札束の一つだけを懐へとしまいこんだ。

「おや、北から帰還したばかりだというのにもう次の仕事ですかな、アキ嬢」
「ええ。ちょっとバルト様の仕事振りでも観察しようかと思いまして」
「はっ、そんなに客が自滅するところを見てェのかよ」
「無論です。もしあの男が善人だったならば我々は50万と端数分を頂ける予定だったのですから。……それに」
「それに?」

ジャックの聞き返しに対しアキはにっこりと、狡猾に笑ってみせた。

「テロリストを潰すのは市民の義務でしょう?」
「それを言うならテロリストを通報……って、もう居ねェし」

いつの間にか席を立ち上がったアキの姿は既に店内になく、テーブルの上には札束が四つ残されているだけだった。
ジャックはやれやれと溜め息をつき、再び手元の新聞を読み始める。
其処にはリオールという町で興っていたレト教の信者と市民の間に暴動が起きた、と小さく取り沙汰されていた。

「……相変わらずアキ嬢の趣味は悪いですな」
「ん? あー……確かにそうだな。ようやく北から帰ってきたかと思えば不機嫌なんて何かあったのかねェ?」
「……まあ、訊かない方が身のためでしょうな」
「……それもそうだな」

- 2 -


[*前] | [次#]
ページ:



白昼夢