気紛日-Whim day-


 帰り道、帰り道。
(学校帰りー、歩道橋、歩道橋ー)
ふらふらと一人帰り道。至る所に人、人、人。
ガシャンっと音を立てて歩道橋にもたれかかった。まるでフェンスのような音。もう結構ぼろいようだ。
「ここだったらいいかなー」
電車が下を通過する。ここは五分もせず次の電車がやって来る。その気になればいつでも飛べる。
背中をぼろい鉄橋に押し付けてそのまま体を逸らし始める。視界が空へ、架線が映った時だった。微かに視界の先に電車がやって来るのが見えた。電車が独特のクラクションを鳴らす。
微かに口角を上げて目を閉じた。
「危ない!」
「!」
急に体が引っ張られて視界が灰色に染まった。いつもの鉄橋、歩道橋。コンクリート。
「落ちたらどうするんですか!」
何が何だかわからない。目の前には髪の長い……男子制服を着た女子がいた。
「……えっと、みずき、ちゃん?」
学校で見た時、女子生徒がそう呼んでたのを思い出した。
「話を逸らすな! 落ちたらどうするんだ、電車も着てたし死ぬところだったんだぞ!」
翡翠色の瞳が見開いた。目の前の彼女は本気で自分を心配しているようだ。
「あ、うん。そうだね。ありがとう」
「それと、私は男だ」
「……は?」
「……は?」
「いやいやいや、学校で逃げてたみずき、ちゃん……だよね?」
むっとして言い返す。
「確かに女子からは逃げてたが、女子の話聞かなかったのか? 私は男だ。今回ばかりは嫌になって逃げ出しただけだ」
「……彼氏取らないでとか言われて陰湿ないじめ受けて、みずき"くん"なんて呼ばれてそれで今度は男子制服着せられてるんじゃないの?」
「どこにそんなアホが居る」
「いや、だから目の前――」
「違うと言っている。私は正真正銘のおと――!?」
「あ、ほんとだ」
ぎゅむっと男の証があるであろう場所に触れた。
「っ…。貴様……」
「じゃあ、そのみずきくん。ご忠告ありがとう。それじゃオレは帰るので、痴漢に会わないよう気をつけて帰ってね」
微かに含んだ笑みを向けて、軽く手を振る。その表情は暗くて見づらかったけどやっぱり困ったような顔をしていた。どうせまた怖がった表情をされているのだろうと、駅の方へと歩いて行った。
「あいつ……」
(私の事をやはり男だと思ってないな……、くそっ)
彼もまた駅の方へと歩いて行く。

 改札口を通り駅のホームへ立つ。
毎回思う。人身事故を起こす人の気とやらを。人の足を止めさせてそれで死んで何が面白いのだろうか? でも、跡形もなくっていう意味でなら確かに興味はあるかもしれない。ただの肉の塊がミンチになるくらいにしか変わらなそうだが。
「はぁ……死にたい……」
ちらっと駅のホームを眺める。電車はまだ来ない。駅の線路ってレアだと思う。普段は電車が通るので人が立ち入ることは出来ない場所だ。時と場合において。
 ふと鞄に吊るしていた鈴の付いたキーホルダーに目を向ける。次に天井に吊るされた電光掲示板と見比べる。赤字で次の電車の時刻等を知らせている。
「………」
幸稔(さじ)は鞄からキーホルダーを外してホームの方に投げた。誰もこちらなんて見ていない。
 シャリンっと小さな鈴の音を響かせて線路の方へ消えた。
特に躊躇いもなくホームを降りた。それには居合わせた人がざわつき出した。
(うるさい、一体なんだっていうんだ。ちょーうざい)
「君、何してるの電車来るよ」
「あ、ああ。キーホルダー取れちゃったみたいで。こっちに落ちたっぽいから……」
キーホルダーくらいで、といった表情をする老け込んだサラリーマンを無視して、キーホルダーを探す。
(へぇ……線路って結構めんどうな造りしてるんだな。なんかいくつも重なって線路になってるのか)
こんな近くで線路なんて見たことがない。少しは面白いと思えた。キーホルダーもその線路の先に落ちていた。剥げた鈴が微かに駅のホームを照らす蛍光灯に反射している。
 ホームの方へ振り返る。そこに先程会った彼が。
彼と目が合った。
(面倒なのと視線合っちゃったな……)
「ちょ、お前なんでそんな所に!」
少々離れてたのもあって何を言っているのか聞こえなかった。
回りの奴がみずきちゃんに何かを話しているのはわかった。何を話しているのかはどうでもいい。
やれやれとホームの方へ戻って来た時だ。女子の悲鳴に近いものが駅のホームを響かせた。
「やめてよ!」
「うっさい、あんたが悪いんだから!」
(あー……あっちは本当に彼氏とられたぁーとかそういう奴かな……他所でやれよ)
ぷつっと何かが切れたようだ。何かがホームに落ちて行く影。鞄を奪われそうになっていた方の女子が血相を変えて駅のホームの方へ身を乗り出した。けれども彼女の手は虚空を掴むだけだった。
電車のヘッドライトがなんとなく見え始めていた。
ホームに上がるのをやめて、その女子の居る辺りに視線を凝らした。落ちたであろう物が見つからない。何なのかはわからないけど。そうしている内に電車はどんどんと確実にホームへと近づいてくる。気にはしなかった。だって、死にたいわけだし。
「あ、これか……」
独り言を言うくらいに余裕だった。線路の間の砂利と木片みたいなのの間に隠れるように落ちていたそれをつまみ上げた。凄く不格好なクマ(?)のマスコットだった。
 電車がやってこない。あの距離でならもう此処についているはずなのにと電車が来ている方向を見る。確かにヘッドライトが凶悪的にこちらを睨みつけている。けれどもホームに到着する気配がなかった。
よっとホームを不格好によじ登ると駅員が二人やって来た。こちらに気付く。
手にしていたマスコットを女子に無言で渡すと、駅員の方を特に気にした様子もなく凝視していた。
「君! 線路に立ち入っては駄目じゃないか」
「すみません、キーホルダー落としちゃいまして。取りに行って戻って来るには大丈夫かと思ったんですけど意外と時間が掛かって……」
「これでどれだけ他のお客様の迷惑になったと思って――」
「すみません。電車のダイヤって乱すと直すの大変ですもんね……本当にすみ――」
「違うんです! その人、私の大事なキーホルダー見つけてくれて……。私も悪いんですごめんなさいっ」
頭を下げて謝罪する彼女に、ため息が出る。
「あ、というかなんであの電車止まってるんですか?」
「君ね、君が線路に立ち入ったからに決まってるでしょう!」
「うわ! ――そ、それはそうでしょうけど……」
「そこの彼女が非常停止ボタンを押したから大惨事にならなくて済んだんだよ」
(彼女……?)
血の気が引いたような感覚だった。先程視線の合った彼の事ではないかとなんとなく思ってしまう。これで別の一般人やら他校の生徒ならどんだけよかったことか……。
「失礼、私は女子ではない。なので訂正していただければ嬉しいのですが」
(やっぱり……)
頭痛くなりそうだと思った。
凛とした表情で駅員に言ってのける同じ学校の生徒の姿がそこにはあった。
 「では、駅員室に来なさい」
そう駅員に促される。
「それで察に引き渡して、補導受けて親が迎えに来てくれるまで 監獄(ぶたばこ)ですか?」
「まずは聴取です。警察沙汰にまではなりません。ですが場合によっては警察にも出てきてもらうこともありますが、今日はそれはないでしょう」
「そういうもんですか。まぁ、家今親居ないんで。引き取りは大分かかりますけど」
特に悪びれた様子もなく淡々と言う彼に、隣にいた他校の生徒は困惑した表情で駅員と彼を見つめている。
「君ね、少しは反省とか」
「まぁ、少しはしてますよ」
(嘘だ……)
「………兎に角話です。さぁ、そちらのあなたも」
「はい」
そう言って幸稔とその女子生徒はそこから居なくなった。電車が二十分遅れでホームに入って来た。取り残されたように 泉希(みずき)は立ち尽くしていた。電車に乗ってさっさと帰ればいいのにそれをする気が起きなかった。何故だろう?
出会う彼が遠くばかりを見ているようなそんな気がしていて、それが気掛かりだったのかもしれない。
 足が駅員室へと向かう。
頭の中には会った彼が映写機で映しているかのように繰り返し現れる。その表情はどれも遠くばかりを見ている。青みを帯びていると言えばいいのだろうか……。
駅員室の引き戸をノックする。カラカラっと乾いた音がして駅員が顔を出した。
「さっきの……。何か?」
「あの、さっきの男子の方は」
「ああ、それなら先程出て行きましたよ」
「!?」
「聞くことは聞きましたし、帰しても問題ないと判断いたしました。女子生徒の方ももうすぐ終わります。……友達だったのですか?」
「あ、いえ……。失礼しました」
頭を下げるとその場を逃げるように去った。
(帰ったって……電車になんか乗ってないだろ?)
先程ホームに来た電車に乗る彼の姿は見ていない……。ただでさえ電車が遅れたため人で一瞬溢れかえったので見逃したということもある。
気にはなるもののどうすることも出来ず、帰宅するためホームで電車を待つ。
不敵そうな翡翠色の瞳が離れない。普段なら気にもしない。それなのに気になってしまう自分に気付いた。



 電車がやってくる。今度こそそれに乗って帰宅するのだった。

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