「名字さんって面白いですね」

喫煙所の中。二人きりの空間。観音坂さんの向かい側に座った私はゆっくりと手を挙げ、声をかけた。真っすぐ、目の前にいる彼を見つめる。
彼は、何か言いたいことがあるのか?とでも言いたげな顔をしながら、ふぅと煙を吐く。
そんな動作もとてもステキで、自身の胸の高鳴りが彼に伝わらないかドキドキしてしまう。
すぅ…っと空気を吸って吐いてを繰り返し緊張をほぐしていく。
今日こそは彼に聞きたいことがあるのだ。

「観音坂さん」
「はい、なんでしょう」

ごく普通に返事をする彼の眼は真っすぐ私を見ている。私だけを見ているその眼差しが、私の心臓を締め付ける。
彼に聞きたいこと、それはズバリ連絡先だった。

「お聞きしたいことがあるんですが」
「ええ、それでなんでしょう」

私は彼のことが好きだ。
あまり会話を交わしたことはない。喫煙所でたまたま一緒に休憩をとった時にライターの貸し借りをしただけの関係。仕事上での絡みは全くないに等しい。
それなのに彼に惚れてしまった理由はたくさんあるのだから不思議だ。
パソコンのキーボードを叩いているときの表情、消えたところを見たことがない隈、手は男らしい上に指が長くて私は初めて煙草になりたいと思った。あの指で触れてほしい。身長は平均より少し上くらいかもしれないけど私からすると大きくてカッコいいし、誰とも仲良くする気が感じられないあの低い声も、私は好きなのだ。
彼がどんな表情をしていたってドキドキしてしまう私は相当彼にのめりこんでいる。
私、顔赤くなってないかな。

「あの、えっと…」

沈黙。
どうしてもその先が言えない。怖じ気づいたのか、はたまた恥ずかしいからか、両方か。
十秒、二十秒と時は過ぎていく。時間が過ぎるにつれて、言いづらさが増してくる。
私は目を右へ左へと泳がせる。ぎゅっと目を瞑ったり開いたり。きっと観音坂さんも、コイツ焦ってるなと思っているだろうな。
本当はもっとクールに言えていたはずだった。連絡先教えてください、と言えていたはずだった。
今になって声をかけたことを後悔する。
きっと彼は私のことを変な人だと思っているだろう。いきなり手を挙げて言葉を発したかと思えば無言になる。私が変でなかったら誰が変なのか。
どうしよう、この空気。
張り詰めた緊張感は私しか感じていないかもしれないが、その緊張感を打ち破ったのは意外にも観音坂さんだった。

「名字さん、でしたっけ?」
「あっ、は、はいっそうです!名字名前です!」
「観音坂独歩といいます、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします!」
「それでもしかしてなんですけど……」
「は、はい……?」

ごくりと、生唾を飲む。
もしかして私の気持ちがバレたのだろうか。
観音坂さんは、私の気持ちを知ったらなんて返答をしてくれるんだろうか。

「ライター」
「へ?」
「もしかして、名字さんが前に貸してくれたライター、その場で返し忘れてましたっけ?だから喫煙所に来たのに煙草を吸っていないのかと思いまして」
「あ、ああ、えっと、その時に返してもらってます」
「じゃあ……」

また観音坂さんは何かを思案しているようだ。
数秒で答えに行き着いたらしく口を開く。

「察せなくてすみません」

彼は自身の煙草とライターを私に渡した。
そうじゃなくて、と言いかけたが、観音坂さんが口元に人差し指を当てて「しぃ」だなんて言うもんだから、私は開いた口を閉じてきょとんとしてしまった。
そのまま彼は立ち上がり喫煙所の扉を開ける。

「それ、吸ってていいですよ。…早目にどうぞ」

そう一言残すと、彼はこの場を去っていった。少し口角が上がっていたような気がした。早目にとはどういうことだろうか。確かに煙草は放置しすぎると湿気てしまうけど。
結局連絡先を聞けなかった悔しさと、たくさん喋れた嬉しさで複雑な気分になる。
観音坂さんから貰った煙草を吸おう。これ、もう直接本人のデスクに行くか、喫煙所でバッタリ出くわさないと返せないな。もう観音坂さんグッズとして部屋に飾ろう。
そう思いながら目線を箱に向けると、側面にボールペンで書かれた11桁の数字。

観音坂さんのことだから営業しに外へ出る時間だろう。それとも会社を出ていないだろうか。いや、あの人ならもう既に出ているだろう。まだ電車に乗ってないことを願いながら、11桁の数字にコールした。

「名字ですけど、番号…!」
「聞きたかったんじゃなかったんですか?」

最初から観音坂さんは気付いていたのだ。私が彼の連絡先を聞こうとしていることに。
この人は一体私のどこまでを知っているのだろうか。

「そのとおりです…」

私はそのまま観音坂さんの質問に返答したのだった。

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