ふわふわ

「名前さーん!」

その青はいつも突然来る。
出勤前にいきなり朝ご飯を食べに来たり、昼休憩にランチをしに来たり、私が外回りの合間に喫茶店に入ればどこからともなくお茶をしに来る。
夜も仕事終わりに1人で居酒屋に行けばいつの間にか隣に来ている。
毎日「今日の昼一緒に食べよーぜ」とか「今晩はどこ行くんだ?」とか連絡が入る。私が毎度のこと馬鹿正直に返信してしまっているので私の動向はバレバレなのだ。
会社のすぐ裏手にある公園のベンチでお弁当を広げていると今日も彼はやってきた。

「ランチ一緒しよーぜ!」
「いいけど大丈夫?」

「なにがだ?」と言いながら彼はベンチに座り、持参してきたであろうコンビニ弁当を開ける。50円引きのシールが貼ってあるお弁当はお肉ばかりで帝統の健康が気になるところだ。

「いや、友達付き合いとか」
「今してるから平気」
「私が友達なのか…」

パクパクと唐揚げを口に運ぶ帝統は食べながら私に喋りかける。今日は天気がいいなとか、仕事何時に終わるんだ?とか、この子はもしかしたら私以外に友達がいないのかもしれない。
不憫に思った私はそっと弁当箱から人参のマリネを帝統の弁当箱へとうつした。

「くれんのか?」
「うん、野菜も食べなきゃ死んじゃうよ」
「へー、でもこれ不味いぞ!」
「手作りにケチつけんのか」
「名前さんの料理美味しいです」
「よし、それでよい」

もぐもぐとお弁当を食べながら帝統の話を聞く。午前中はパチンコに行っていたとか午後は競馬場に行こうかなとか、そういった話だった。
ギャンブルも程々にしないとそれこそ死んじゃうぞ、と思ったけど口を突っ込むのもなんなので黙っておいた。
空になった弁当箱を包みに入れて立ち上がる。
それじゃあ仕事に戻るねと言うと帝統はえーと言った。

「えー、じゃないの。仕事なんだから」
「もっと名前さんと喋りてぇ」
「ワガママ言わないの」
「だって俺名前さんがいねぇとつまんねぇよ」
「はいはい、また今度お喋りしようね」

今度っていつだよー!と帝統は駄々を捏ねたが、もう子供じゃないんだからと諭せば不服そうな顔をしたものの口を噤んだ。

「なぁ」
「なに?」
「俺、名前さんと一緒にいれるなら子供でもいい」
「そういう意味で言ったんじゃないんだけどなぁ」
「じゃあ、仕事終わるまで待ってるから」
「はい、はい」
「どうせすぐ帰ると思ってんだろ」
「競馬場行くんじゃないかなと思ってる」
「行かねぇ!待ってる!だから早く仕事終わらせて定時にあがれよ!絶対だからな!」

分かったよと一言言えば、帝統は大喜びして、絶対!約束だぞ!なんて必死に私に訴えた。

「俺の事考えて仕事頑張ってな!」

にっこりと笑顔でそう言う帝統を見て、満更でもないなぁなんて思って人間大概単純なものだなと憂いた。

*

職場へ戻ると私は自身のデスクの席についてスリープモードにしていたパソコンを立ち上げた。仕事は山ほどあるから何とかしないと帝統を待たせてしまうと、せっせと指を動かす。
どれほど経ったことか、座ったまま体を伸ばすとパキパキと背骨の音が鳴った。休憩をしに自販機まで缶ジュースを買いに行き、ついでに小窓から裏手にある公園を覗く。

「ありゃ本当にまだいるわ」

ベンチに座り鳩に餌をやる帝統の姿がそこにはあった。その様子はとても微笑ましいものだったが、このまま待たれてしまっては本当に定時で上がらなければいけなくなってしまう。
きっと遅れてしまったら怒られるだろうなと思った私は足早に事務所に戻り作業を再開した。

数十分は経ったろうか、なにやら隣の席の同僚が喋りかけてきた。

「名前ちゃん、外雨すごいね」
「えっ…」

そう言われてバッと窓の外を見ると雨がザーザーと降っていた。
集中していたせいか雨音にも気づかなかったらしい。

「仕事はまだまだ終わらないの?」
「いや、あともうちょい…」
「じゃあ定時で帰れるね!」

はは、そうだね…と相槌すると彼女はまた業務に戻った。
さすがにこの雨では帝統はもう待っていないだろうな、心中でそう呟きながら残りの業務を片付け始めた。

*

「お先に失礼します」

そう言って私はタイムカードを通し、事務所から出た。逆三角のマークを押してエレベーターを待つ。その間に、私と同様に仕事を切り上げた先輩が来て、一緒にエレベーターに乗り込んだ。

「名前ちゃん、今日は急いでたみたいだけど何か用事でもあるの?」
「特に何も無いですよ、この雨ですし」
「確かにそうか。まぁ何も無くても早く帰りたいしね」

俺なんか毎日定時でもいいよと嘆く先輩は本当にそう願っているようで、はぁとため息をついていた。
チーンという音と共にエレベーターの扉が開く。そのまま出入口の扉に手をかけて外に出て、先輩と別れた。

さて帝統はこの雨の中本当に待っているのだろうかとスマホを取り出す。
着信は5件、メッセージは10件来ていた。なかなかのメンヘラ加減にクスリと笑ってしまった。
電話をかけるとものの数秒で帝統はもしもし?と電話にでた。

『名前さん仕事終わったのか?』
「うん、帝統はもう帰っちゃった?」
『今着くから待っててくれ!』
「どっかいってたの?あとどれくら…」
「着いたぞ」
「うわぁっ」

いきなりの声にビクッと体が震えた。
パッと隣を見るとそこにはビニル傘を差した帝統がいた。やっぱり笑顔を浮かべていて、一日の疲れが癒されるようだ。

「今って言ったじゃねぇかー」
「今着くって、ジャストって意味だと思わないじゃん…あーびっくりした」
「じゃあ帰ろうぜ」
「うん、あっ傘ロッカーに忘れてきた」
「名前さんってドジっ子だよな、人参もまずかったし」
「ああん?」
「すみません、よければ傘入っていってください」
「よろしい」

帝統の傘に入り歩き出すと、肩濡れるだろ?と帝統は私の肩に腕を回し自身に引き寄せた。わっ、と声が出て少しよろけたが帝統に寄りかかったおかげで転倒は免れた。

「スーパーとか寄るのか?」
「今日は寄らないでいいや」
「余り物でなんとかするのか?夕飯なんだ?」
「昨日作りすぎたハンバーグだね」
「やりぃ、名前さんのハンバーグは美味いから楽しみ」
「えっ遠回しにほかが不味いって言ってる?」
「イッテマセン」

ははは、と笑いながら私は帝統と帰路を共にしたのだった。
後日、目撃情報が流れ名前ちゃんに彼氏が出来た!と噂されるのはまだ知る由もない。

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