答え合わせはまた明日
丸井、と声を漏らしたのは他でもない私だった。町の喧騒に消えそうな程小さかった声はかくして彼に届いてしまったようで、丸井はこちらを向く。
「どうしたんだよ」
そう言う丸井の表情は至って平然としていて、私はそれに安堵した。なんでもない、と一言で返事をすると丸井は「そんなことねぇだろぃ」と前を向き直して言った。
私は丸井と帰路を共にしていた。同じクラスでもないというのにどういう巡り合わせか。丸井とは3年で別クラスになってからというもの全く顔を合わせていなかった。
先刻下駄箱の前で右往左往する丸井に話しかけられ、一緒に帰ることになったのである。先程のことを思い出しても、なぜ私を誘ったのかはわからない。
「寂しそうな顔すんなよ」
そう言われたが、それに返答する気力も答えも持ち合わせてなかった。
というか自分が寂しそうな顔をしているのか、寂しいのか、なんとなく分かりたくなくて私は話題を逸らすように話しかけた。
「丸井って家こっちだっけ?」
「いや、逆方向」
「遠回りじゃん、なにかこっちに用事でもあるの?」
「いんや、ない」
「一体どうした?」
そう問えば丸井は「どんかん」とだけ言って私の頭を小突いた。
なんだよ、とやり返そうと腕を伸ばせば、丸井はぱしりと私の腕を受け止めた。彼の真剣な目が私を射抜く。私はどうにもその目から逃れたくて、彼から視線を外した。なぜだか真剣な目に見つめられると鼓動が波打つのだ。
「な、なんだよぅ…」
「お前さ、名字ってさ、好きなやついるの」
「急になんだよぅ、手離してってば」
「離さない、答えて」
「ま、丸井ってば、そういう話は恥ずかしくて無理だよ、今度にしよう。ほら、道の真ん中で立ち止まってると邪魔になるし」
「そうやってはぐらかすな」
その言葉にうっと言葉を飲み込んだ。
どうしたらいいのか分からない。追い詰められたようなそんな感じだ。
痺れを切らしたのか丸井ははぁとため息をつく。
「名字はさ、今俺に腕掴まれてるけど嫌?そんなに嫌がってる感じじゃねぇよな」
「いや、じゃない、けど…」
「なら道の真ん中で立ち止まってると邪魔になるし、手貸せよ」
「え?手?はい」
左手を差し出すと「違う逆」と言われ、渋々と右手を差し出した。瞬く間に私の右手は丸井の左手に包み込まれた。
「なっ」
「ほら立ち止まってると邪魔になるぞ」
私を引っ張りながら丸井は歩き出した。
ちょっと待って、ちょっと待ってよ。引きずられながらそう言っても丸井は私の手を離そうとはせず、前を向いて歩いていく。
「ちょっと丸井……っえ」
私がびっくりしたのは、チラリと見えた横顔が照れたように見えたからだ。
「丸井、もしかして」
「うるせ」
「照れてる?」
「ちょっと黙ってろぃ」
「へへ、なんだか、今楽しいわ」
「なら結構、よかったよ」
私も笑っていたが、丸井も笑った。
街中をぬけ住宅街を歩いていく。依然手は繋がれたままで、なんだかこそばゆい。
「お前ん家、もう近いの?」
「うん、あそこに見える赤い屋根のおうち」
「目立つな、もう覚えたわ」
「空き巣でもするのか」
「するかよ」
「てか、手、嫌がんねぇのな」
「まぁ、なんていうか、通行の邪魔になるのは嫌だったし」
もう辺りの人通りは少なくて手を繋ぐ意味はなかったし、私もそれをよく分かっていた。丸井もそれにきっと気づいているはずだ。
「じゃあ、俺と手繋ぐのは嫌じゃないってことでいいのか?」
「そうとは言ってない」
「じゃあ手、離すか?」
「別にどっちでも」
「じゃあ離してやんない」
「素直に繋ぎたいって言えばいいのに」
少し笑いながら茶化すようにそう言えば、丸井は真剣な顔で「俺は繋ぎたいよ」と言った。手に込められる力が強まった気がして、どこか恥ずかしかった。
「丸井と話すの久しぶりだね」
「別クラスになったからな」
「でも、1年の頃も2年の頃も、そこまで話してなかったよね」
「それは、俺ともっと話したかったって意味?」
「え、えっと、なんていうか、その…」
「俺は話したかったよ」
「わ、私もだけど…ほら!丸井と話すの楽しいし、もっと仲良くなれたらもっと楽しいし、友達として…」
そこまで言って私は口を閉ざした。
言い繕うとして出た友達という言葉がどうにもしっくりこなくて、言い訳にしか聞こえなくて。
「俺は友達じゃ嫌だけど」
一言そう漏らした丸井の顔は夕陽に照らされて、私の角度からだとよく見えなかった。
「下駄箱でウロウロしてたのもお前探してたからだし、あっ、お前探してたの今日だけじゃないからな」
「うん…」
「お前すぐ帰っちゃうし、俺部活あったから時間合わねぇし、休憩時間にクラス行ってもいねぇし…、なんつうか神様が与えた試練なのかなって」
「試練?」
「愛を試されてるのかなって。見つからないお前と喋ることを諦めたら、もう神様にお前と会わせて貰えないんじゃないかって」
「丸井って恥ずかしいことサラッと言うよね」
「悪いかよ」
「悪いとは言ってない」
そうこうしているあいだに家に着いてしまった。丸井の家は逆方向にあるのにここまで送って貰ってしまうとは思わなかった。
繋いでいた手が離れる。少し寂しくて、でもそんなことは口に出せずに当たり障りのないことを口にする。
「結局最後まで送ってもらっちゃったね」
「ああ、別にいいよ。勝手に着いてきたようなもんだし」
「ストーカーなのかな」
「ストーカーじゃねぇよ、お前ストーカーと手繋いで歩くのかよ」
「やめて、恥ずかしい」
「いきなり乙女になるな」
まぁ、と丸井はもらす。
「また明日一緒に帰ろうぜ」
「明日土曜日ですけど」
「は?お前土曜講習無いの?」
「私はないよ、進学しないから」
「じゃあ俺もやっぱり休む。だから、明日デートしようぜ」
「えっ」
「約束な、お前俺の電話番号知ってるよな?」
「いや1年の時に水没させちゃってパーになった」
「お前何やってんだ全く」
そう言いながら丸井はカバンの中からスマホを取り出してなにやら電話をかけだした。お前もスマホ出せ、という言葉に渋々スマホを出す。少ししてスマホの画面をタップした丸井は変な顔でこちらを見る。
「お前まさか電話番号変えたのか?」
「うん」
「はぁ、お互い連絡先死んでたのか。なんで、番号変えたんだよ」
「ストーカー被害が凄かった」
「は?!もう今は大丈夫なのかよ?」
「うん、大丈夫だよ。今の所はね」
「今の所はって…。はぁ、番号交換するぞ」
そう言って丸井は私が手に持っていたスマホをさっと取り、電話番号を登録した。そればかりかメッセージアプリでも友達追加され、尚且つ丸井のアカウントがお気に入り登録までされていた。
「もう水没したとか言うなよな」
「無くすか水没しない限り連絡取れないことはないよ」
「気をつけろぃ」
「うん、わかった」
「それでさ…」
「まだ何かあるのか」
「うるせぇ、俺もこんなこと初めてだから戸惑ってんの」
「番号交換が?丸井って意外とコミュ障陰キャなの?」
「いんきゃ?なんだそれ、ってか番号交換じゃなくて…はぁー」
いきなりの溜息に私も少し戸惑ってしまった。もしかして私は物分りが悪い方なのかもしれない。なんて。
「バカでごめんね。バカにもわかるように言って」
「はぁ、だから、お前のことが」
「好きなんだよ?」
「わかってるじゃねぇか!それで返答は?」
私は笑いながら玄関のドアに手をかける。丸井、また明日ね。なんて言いながら中に入ると狡いぞ、なんて声が聞こえた。
答え合わせはまた明日にしよう。
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