約束は小指から薬指へ

「ぼくのおよめさんになってね。やくそく!」
「うん、やくそく!さっちゃん、だーいすき」

きみの小指とぼくの小指で結んだ固い条約。
君はまだ覚えてる…?




「うーわ、超なつい夢だったなぁ…」

いつでも彼女を泊まらせることができるように、と買ったキングサイズのベッドの上で先程までの夢現を反芻しながら、僕はひとり大きく伸びをする。関節の鳴る音が耳に響いた。

まさか今日こんな夢を見るなんて、意外と僕、緊張してんのかな。
やだやだ、傑や硝子に馬鹿にされそうじゃん。

そんなことを思いながら、いつも通り呪専の制服に袖を通した。


悠仁と灰原(教師なんだから少しは加減しろって話だよね)が体術訓練の授業でハッスルしすぎて校舎半壊させて学長マジギレさせたり、野薔薇は同期からのホワイトデーのお返しがしょぼすぎる!とブーたれたり、今日も今日とてある意味平和な一日が過ぎ去って、今は街中で彼女待ち。


どうやら仕事が長引いたらしく、慌てた声で『遅れそうだから寒くないところで待っててね!』と連絡が入ったのは今から30分ほど前のこと。
圧倒的に僕の方が遅刻魔だからそんな気にしなくていいのに、ほーんと夢子は昔から真面目なんだよね〜。ま、そんなところも好きなんだけど。

夢子と僕は所謂幼なじみ。
彼女の家は非術師の家系だけど、大きな寺の家系なこともあって昔から五条家とは馴染みが深く、家族ぐるみの付き合いってヤツだ。

僕の初恋は夢子で、初恋は実らないなんてことは僕にあるはずもなく、今やしっかり夢子は僕の恋人。だけど家の柵もあって、僕たちの交際はお互いの両親や親族の耳には一切入れていないままだったりする。
正確には、僕はハッキリと話をつけてるけど(アラサーにもなればバカスカと以前にも増して見合い話が持ち込まれまくるから、夢子と付き合ってるから見合いする気はないよ!と啖呵を切っただけだけど)、夢子が五条家の家柄を気にして『ご両親やご親族には言わないで』と言うから黙ってるフリをしてるだけ。
夢子は本当に何も自分の家族に話してないみたいだけどね。彼氏がいることすら言っていないのか、おかげで俺と良い勝負なレベルで檀家絡みとかの見合い話が持ち込まれまくってるらしく、その話を耳にする度、僕が苛々していることに彼女は気付いていない。
まぁ、あんまり小さい男だとも思われたくないから、苛々しても外に出さないようにしてるんだけど。


そうこうしている内に息を切らしながら夢子が登場し、僕たちは僕が予約したお店へと一緒に向かう。

お店に着いた夢子は目を大きく見開いた。
たぶん、この顔は予想よりも良い店すぎてびっくりしてる、とかだろうな。

「ちょっ…え、悟、ここ、めちゃくちゃ高いし、そう簡単に予約取れないよ、ね…?」

「んー、まぁね。でも、ほら、僕こう見えて五条家当主だから。これもあるしね〜」

ポケットから黒いカードを取り出してヒラヒラと目の前に翳すと、夢子は少し呆れたような笑顔を見せた。
呆れられようが何だろうが、そんなことはどうでもいいし、今日のためなら使えるコネもツテもなんでも使うと決めていた。だって、今日はきっとこれからの僕たちにとっては記念日になるし、想い出となる日になるはずだから。

あと、まぁ、傑と硝子にも今日ぐらいはマジでちゃんとしろって言われたのも、なくはない。いや、別に言われなくたって、ちゃんとしたけど!




「はー、しあわせ。美味しかった〜。さすが高級店はレベルが違うよね、いろんな意味で。五条家の凄さを改めて感じたかも。ほんと夜景も綺麗だし、贅沢すぎるよ。悟、ありがとう」

個室でゆったりとコース料理を味わって、デザートも食べ終えのんびりとコーヒーを飲んでいたら、カップをソーサーにそっと下ろした夢子が改まってそんなことを言い出した。僕に負けず劣らず美味しいものには目がない夢子にとって今日のコースは大満足だったらしく、満面の笑顔を見せている。美味しい料理よりもこの顔を見られたことの方が僕にとっては価値があるけど。さて、そろそろ良い頃合いかな。


「はい、コレあげる♡」

1ヶ月前のお返しとして僕が差し出したものを受け取ると、紙袋の中を覗き込んだ夢子は
「あ、今年はバームクーヘン!ここのお店食べてみたかったんだよね。さすが悟わかってる〜」なんて破顔した。


幾つになっても、こういう素直というか、ちょっと無邪気なところ、一緒にいると癒されるよな。腐ったみかんやおじーちゃん達の相手で苛々しても、夢子に会ったら全部チャラだよ、ほんと。そんなことを改めて感じる。

「ところで、バームクーヘンはどんな意味だか知ってる?」

「え、なんだろ。悟は意外とそういうとこロマンチストだよね。私、逆にあんまりそういうの気にしてないからなぁ。ホワイトデーであげるお菓子に意味ある的なこと、よね?」

「そうそう、それ〜。バームクーヘンはさ、『幸せが長く続きますように』って意味なんだって」

「幸せが長く…へぇ、そうなんだ!」

僕の言葉に笑ってみせた夢子の瞳が少し揺れたように見えたのはきっと見間違いじゃない。理由はわかってる。僕たちはもう子供ではなく、大人としてもそこそこ良い年齢だ。頭が固い古臭い既成概念に囚われてる人間からよく投げつけられるのは『結婚適齢期なんだから、いい加減身を固めて…』という言葉で、それは恐らく僕だけでなく夢子だって常に晒されてる面倒な現実に違いない。五条家の息子として生まれた僕、お寺さんの娘として生まれた彼女。時代錯誤とも言える億劫で煩わしいお節介に苛まれる環境であることは否定しようもない現実だ。
それなのに、夢子は僕との将来の話にはいつだって及び腰で、子供の頃はあんなになんてことなく僕のお嫁さんになると笑ってくれていたのに、最近は“今”ではなく“先”の話になりそうになると、どこか誤魔化すようにその話題から遠ざかろうとすることは僕だって気付いている。夢子が五条家という僕の逃れようのない柵である家柄を気にしているなら、それを気にしなくなるまで待っていようかとも思っていたけれど、歳を重ねる程にその気後れはなくなるどころか酷くなっているようだから、もう待つのはやめることにした。

「夢子、あのさ。僕たちの将来の話だけ
「ほんっとに夜景も綺麗だよね!」

僕が切り出した言葉を遮った夢子はあまりにも態とらしい態度で椅子から立ち上がると、夜景が輝く窓辺へと歩いていってしまった。いくら個室でコース料理も終わったとは言え、あまりにも態とらしすぎるでしょ。そんなに僕と将来の話するのが嫌なのかな…。まぁ、嫌がろうと何だろうと今日は譲るつもりはないんだけどね。

小さく息を吐いた僕も同じく椅子から腰を上げると、窓辺で夜景に視線を落とす彼女の元へと足を向ける。そして、何も言わずにただ窓の外のネオンを見つめる彼女の小さな身体を背後から抱きしめた。僕よりだいぶ背が低い彼女は僕の腕にすっぽりおさまって、僕の顎がちょうど彼女の頭の上に乗るような姿勢となった。

「ねぇ、そんなに僕とのこれからの話、したくないの?」

「…そういう訳じゃない、けど…でも、うちなんかじゃ五条家とは釣り合わないし、そもそも呪術師の家系でもないし…。だけど、私、悟が他の誰かと結婚するのはお祝いできる自信ない、から…」

「は、何言ってん
「こんな歳までずるずる悟のこと縛りつけちゃったのは悪いと思ってるけど、でも、今日ぐらいはそんなこと考えないで楽しく終わりたかったんだもの…」
「はぁ…何だよ、それ。なんで僕が夢子以外と結婚することになるの。それ、どんな思考回路だよ。約束忘れたとは言わせないから」

僕は言うなり夢子の左手に触れると、そっとポケットから取り出した指輪を嵌める。そのまま、その左手を自分の口元へ引き寄せると白くて細い薬指に口付けた。

「悟、これ、は…
「お互いの家のこととか全部僕がどうにかするから、結婚しよう。もしかして、僕のお嫁さんになってね、って約束忘れちゃった?」

腕の中でこちらを振り返り、驚きと戸惑いが綯い交ぜになったような表情で僕の顔を見上げる彼女の瞳を見つめながらそう言うと、彼女は否定の意味なのか、俯いて子供のように首をふるふると振る。

「ごめん、ごめん。意地悪な言い方しちゃったね。ほら、顔あげてよ?」

そっと彼女の頬に触れてそのまま顔を上げさせると、彼女の額に自分のそれを合わせて覗き込んだ彼女の瞳はうっすらと水の膜が張っていた。

「そんな顔するなよ。昔みたいに笑顔で、うんって言ってくれない?結婚しよ?」

「…うん、する。さっちゃんのお嫁さんになる…」

せっかく上げさせた顔をまた俯けて僕の胸に幼な子のように顔を埋める夢子の旋毛にキスを贈ると、少し屈んで彼女の耳に唇を寄せた。

「ね、もう一つあげたいものあるんだけど?」
という僕の言葉に此方を窺うようにおずおずと顔を上げた夢子が言葉を発するよりも早くその唇を塞ぐ。
そして、外で輝く夜の光を反射する窓に彼女の華奢な身体を押し付けて、自分の何年分かもわからない想いをぶつけるように夢中で彼女の唇を貪った。