春が始まって67日目の朝、ジェードは月に連れ去られた。顔半分と、右腕だけを残して。
彼は宝石の中でも古株のひとりで、生真面目な堅物だったけれどみんなから議長と呼ばれ慕われていた。だから彼が粉々な状態で帰ってきたとき、学校は騒然となった。
ある宝石は砕けた彼の破片に話しかけ、ある宝石はその場を離れ、ある宝石は言葉を亡くした。それからジェードの身体は安置所へと運ばれ、更に七十二日が経過した。
春の空は美しい。新緑の季節である。とくにこの季節の海は、どこまでも透き通った海面と空とのコントラストによって言葉で言い尽くせないほど見事な色合いだった。
「きみに見せたかったんだよ、ジェード」
舟を漕ぎながら、ナマエは言った。
すぐ傍で横たわるジェードの右目から顎にかけてが欠けてしまっている肌が、朝の陽光を受けてきらきらと煌めく。彼の身体が抱く深い翠色が、そうやって輝くさまは、かつて彼が普通に動いていたころとなにも変わらない気がする。しかし、ジェードはもう二度と起きることはないだろう。安置所に保管される、月に連れ去られたほかの宝石たちの身体がそうであるように。
「ジェード、今日はいい天気だよ」
舟を漕ぎながら、ナマエはまた話しかける。
ほかの宝石たちの目を盗み、長い時間をかけてこの舟を作りあげた。夜や朝に集めた流木を部屋に持ち帰り、麻の紐で縛って作った、簡素な軽い舟。
誰かに見つかるわけにはいかなかった。ほとんど恋人、といっていいようなふたりの関係から、ナマエは自分が彼の身体を持ち出したりすることは決してないと宝石たちにわかってもらう必要があった。そのためにも、すぐに彼を連れ出すことはできなかったのだ。
「ジェード、ねえジェード」
舟は進む。あてもなく。ただ、光が照らす先がこの舟の行く末が、自分たちがたどり着く場所である。
朝早い時間の太陽が照らす海面を、鳥たちが渡っていく。
「二人きりだね」
どこまでも広がる海の水面がきらきらと輝いて、それを見ているとナマエは、自分の鼻の奥に不思議とツンとした感触を覚えた。傍らで眠る、愛しい相手はナマエになにも答えはしない。
しかし、ナマエには隣で彼が困ったような微笑を返すのをはっきりと見た。ナマエにはそれだけで十分だった。
ふたりを乗せた小さな舟は、広い海原へと漕ぎ出していった。
どこまでもどこまでもその小舟は進んでいき、朝日の向こうへと進む舟が残した波形の痕も、大きな波にさらわれて、やがて静かに消えていった。
楽園までともに行こうね
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