「僕を好きになればいいよ」



夜の空と同じ色の髪を春の風が攫っていって、ぶわりと散らばる。あたたかな春の陽の光とは不釣り合いなその色の中で、彼は私にそう言った。



「僕を好きになればいいよ」



▽▽▽



私は、クリソベリルに恋をしていた。

恋。不死なる石にはどだい不釣り合いな感情。

空に舞う鳥とも、地に這う虫とも違う私たちは、生殖活動もできないし、硬度が違えば指先でさえ触れ合うこともできない。無駄だ、とボルツには言われた。無駄。たしかにそうだ。おわりを持たない体は、恋をしてもそれが自分の中から消えていくのを待つしかない。だって、恋をしていたところでどうにもならない。なにも生まれない。


「古代生物の特徴だと、先生は言ったけれど」


ゴーストが本の整理をしながら言った。


「ナマエは、だれかに恋をしているの?」
「んん」


誰にも話したことがない。だから直球で訊かれると返事に困って言葉を濁してしまう。曖昧に笑ってみせるとゴーストはそれ以上は尋ねなかった。聡い彼のやさしさに甘えて、それ以上は私もなにも言わない。古びた本を纏め、麻の縄で縛った。


「これ、持っていってくる」
「ええ、宜しくね」


うんしょ、と持ち上げれば結構重たかった。
図書館を出て、廊下を歩いていく。窓から見える草原はどこまでも青々と茂っていて、蝶や鳥が飛んでいる。春の盛りは美しい。そこらじゅうが生命のにおいでいっぱいに満たされている。


「せいがでるね」


後ろからした声。振り向けば、窓際に腰かけて優雅に読書をするラピス・ラズリがいた。



「手伝ってくれればいいのに」
「今日は僕は当番じゃないからね」
「またそういうこと言って」


春の草原を大きくくり抜いた石造りの窓辺に座っていた彼はふふ、と笑いながらその煌めく髪を持ち上げた。彼の癖だ。
ラピス・ラズリは学校の仕事をあまりきちんとするタイプではない。任されたことは確かにやっているのだが、朝の朝礼に出てこないことも度々あるし、ふらりとどこかに行っては暫く帰ってこないこともある。悪い子というわけでなないのだが、なんとなく得体の知れないところがある宝石。それが私の彼に対する印象だった。
ーーと、


(あ)


ちょうど向こう側にある廊下を、クリソベリルが歩いていく姿が見えた。


「…」


すらりと伸びた背筋。優雅な足運びに合わせて、背中まである髪が揺れる。端正に整った顔立ちの、形良い唇がやさしげな微笑みをたたえている。
胸の辺りがどきどきと鳴っているような気がした。彼を見つめていると、そこが不思議な熱を持って動くことがある。これも先生が言っていた古代生物の名残、なのだろうか。


「僕を好きになればいいよ」


唐突に。
クリソベリルをぼうっと眺めていた私に、ラピス・ラズリは突然そう言い放った。


「僕を好きになればいいよ」


春の風に彼の長い髪が靡く。なにを言われたのか一瞬分らなくなって「え?」と私は顔を顰めた。ラピス・ラズリはんでいた本をぱたんと閉じて、すらりとした脚を組み替えてもう一度言った。


「僕を好きになればいい。彼の代わりに」
「え、いや、急になに言って…、ていうか好きって、」
「君はクリソベリルのことが好きなんだろう?ナマエ、君はいつも彼のことを見ているから分かりやすかったよ。で、どうかな?」
「ど、どうって…」


つらつらと流れるように話しかけてくるラピス・ラズリに、私は動揺の色を隠せなかった。好きになればって、急に何を言うんだろう。というか、私たちは普段はそんなに接点もないのに。なぜそんなことを私に言うのか。
しかし、ラピス・ラズリは私の反応も予想済みだとでもいうように、ふふと笑った。


「まあ、一度考えてみてくれないか。君さえよければ。気持ちが変わったら、また僕の部屋に来てほしい」


そう言って、彼は立ち上がって行ってしまった。風に舞う花が散る廊下に、私は一人残されてしまった。


▽▽▽


それから春が終わり夏を越え、クリソベリルは月へ行ってしまった。
彼といつも一緒にいたアレキサンドライトはひどく動揺して、部屋からまだ出てこない。ほかの皆も、仲間がまた一人減ったことで意気消沈している子が多い。

月へ行って、帰ってきた宝石はいない。

結局、私はクリソベリルに最期まで「好きだ」ということはできなかった。何百年もずっと好きだった相手がいなくなって、毎日毎日見ていた存在を失くして、私の日々は次第に寂れていった。花を見ても、川に移る木漏れ日を見てもなんの感慨も感じなくなってしまっていた。
そして、そんな日々が続いたある日。私は彼が月へ行く前にある宝石と話したことを思い出した。


「…」


初めて訪れた彼の部屋は、棚にたくさんの本が並べられていた。造り自体はどこの部屋もそう変わらないのだが、それらの本のせいか部屋は彼の匂いが感ぜられるような、図書室にいる時にも似た匂いがした。部屋の真ん中で椅子に腰かけて本を読んでいたラピス・ラズリは、顔を上げて「やあ」と笑った。


「久しぶりだね、ナマエ。僕の部屋に来たということは、例の件を了承してくれたということでいいのかな」


あまりよく見たことがなかったのだが、こうしてみるとラピス・ラズリはとても美しい顔をしていた。そんなことに今気づいた。まるで森の入り口で見つけたいつかの蛇のような、優雅で温度をあまり感ぜられない形をしていた。


「………私、あなたのことを、好きになるって決めたわけじゃ、ない…」


頑張ってそう言葉を紡ぐが、頼りなく部屋の空気を震わせただけだった。
長い間ずっと恋をしていた相手がいなくなって、私はずっと喪失感に苦しめられていた。未だ胸に残ったままの恋心は、いつか自分の身体の中で朽ちていくのだろうか。でもそんないつ来るのか分からない終わりの日を、待つことはできなかった。
一方で、ラピス・ラズリを好きになれるのかと自分自身に聞いてもよくわからなかった。それにあの時に言われた言葉は例によって、ただの彼の気まぐれということもある。なにより、好きだった相手がいなくなったからといって別の者のそばへいくなんて、と咎める気持ちもあった。


「そう難しい顔をすることはないよ」


がたりと椅子から立ち上がったラピス・ラズリは私の前に立った。


「罪悪感も喪失感も、いつの日かなくなるだろう。永遠ともいえる時を過ごす僕らが持つには、君のそれは重過ぎる。だけど、忘れろとは言わないよ。君が彼を思い出さなくなる日まで、ずっと待っていられるさ。気は長い方なんだ。それに、悲しげな君も存外好ましい」
「、やめて」
「強情だね」


彼の言葉に「違う」と言えない。ただ力なく抵抗するしかできない。それを面白そうに見て、ラピス・ラズリは「でも、そうだな」窓の外に視線を遣った。


「君がそこまでいうなら、賭けでもしてみようか。君がクリソベリルのことを忘れずにいるか、それとも僕を好きになるか」
「…」
「彼はね、ナマエ。一度僕に君について話したことがあるんだよ。君が勝った暁には、その内容を教えてあげよう。ひとまずキスから始めようか」


そう言って、ラピス・ラズリは私に顔を寄せた。彼の夜色の髪が揺れて、触れ合う唇。古代生物の真似事は、いつか読んだ古い資料の中に載っていた。これが真似事でなく、本当になる日が来るのだろうか。
窓の外では、秋を象徴するような赤い葉が待っていた。季節は移ろい、新しい日がやってきていた。私は彼の肩越しにそれを見て、けれども目の前の重なる彼の影に隠されてしまった。
新しい季節

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