結婚したのは夏の終わりだった。彼と海に行った帰りに、「結婚しないか」と言われたのだった。長い間ずっと恋人同士としてやってきた私たちの関係が変わることを予想していなかったわけではなかったけれども、まさかラピスのほうから切り出されるとは思っていなくて、とても驚いた。
結婚式にはお互いの親と、ゴーストとカンゴーム、それから昔馴染みの友達を数人。学生時代の恩師の金剛先生も呼んだ。「あんたたち、やっと結婚したのね…」「ふたり、死ぬまでずっと恋人のままなんじゃないかって言ってたんですよ」「幸せになってね〜ナマエ!」「フォス、ナマエのこと心配してたのよ?ラピスったら割と無頓着なところがあるし、ナマエはあれで幸せなのかって」「まあなにはともあれ」
「結婚、おめでとう」
「ナマエ、足元に気を付けて」
飴色の階段は小さく作られていて高さが急だ。鞄を持っていないほうの手を私に差し出して振り返ったラピスの顔を、不思議な気持ちで見上げる。その手につかまりながら「ありがとう」と階段を上り、顔の距離が近くなると彼は私の顔を見てふふと笑った。
「僕だって自分の妻を支えるくらいするさ。ダイヤたちに固く言われているしね」
「言われなかったらしてない?」
「まさか。折角のハネムーンに君がけがをしたら大変だ」
じゃれあいながら部屋のドアを開ける。私たちの部屋はこの小さなペンションの二階の一番奥にあって、屋根のかたちに天井が斜めに傾いている。ふたつあるベッドにはシーツがかけられ、飾られたコスモスの花が清潔ながらも愛らしい雰囲気を添えている。部屋の中にはすでに先に送っていたスーツケースふたつぶんの本が運び込まれていた。
近頃は大学の用事で、なかなか本を読む時間が取れなかったらしい。
「これを皆に見られたら色気がないって怒られてしまいそうだね」
「まあ、私たちふたりともそんなに新婚旅行とかしようってなってなかったしね。皆も言うし、じゃあ折角だからって感じだったから」
「ナマエ、おいで」
窓を開けて外に広がる景色を見ていた私に、ベッドに腰掛けたラピスが腕を広げていた。おずおずとそちらに近づくと、クスリと笑われて私は彼の膝の上に収まった。
「どうして照れるんだい。僕らは新婚のパートナーなんだから何もおかしなことじゃないだろう」
「や、いやまあそれはそうだけど…」
「学生のころから変わらないね、君は」
「は、恥ずかしいっていうか」
「可愛いよ」
瞼の上にキスが落とされる。触れるだけの優しいキスからは、彼の形の良い唇の体温が感ぜられて思わず頬に熱が籠った。「夕飯まで時間があるから、もう少しこうしていよう」そう言って、また優しく抱きしめられる。同じようにラピスの背中に腕を回して、その肩に頭を預ける。開け放たれた窓からすっかり涼しくなった秋の風が入ってきて、私たちふたりの髪を揺らしていった。
▽▽▽
それから私たちは夕飯を食べた。この辺りで獲れるらしい鹿や鴨を使ったいわゆるジビエ料理と呼ばれるものを、私は初めて口にした。赤く煮詰められたベリーソースとよく合って、お肉はとても美味しかった。
「この方が結婚なさったナマエ様ですね?まあ、とても可愛らしい方」
「ええ、そうでしょう」
「ふふ、ラピス・ラズリ様がご結婚なさったと聞いたときはとても驚きましたが、ふたりともとてもお似合いでいらっしゃいますね」
食事の配膳に来たペンションの奥さんが私を見てふふ、と微笑む。継がれたワインに口をつけていたラピスが揶揄われてしどろもどろになる私を見て、また面白そうにクスリと小さく笑う。彼のこういうところは結婚しても変わらない。恥ずかしくなって、付け合わせのサラダを、フォークでいじりながら顔を下に向けた。
「ふたりして揶揄うのはよしてってば」
「君の反応が面白くてつい。さっきの奥さん、僕のことを両親と来ていたころから知っているんだ。引っ越しをしてからは長いこと来ていなかったけれど、今回のことを話したらすごく喜んでくれていたんだよ」
「14歳のときに引っ越したんだよね」
「そう、それで君と出逢ったあの町に来た」
ゆらゆら、テーブルの上のキャンドルの火が揺れる。
「あの時は将来、君と結婚するなんて思っていなかったよ」
「そりゃあそうだよ。本当、考えると不思議だよね」
思い返すと懐かしい。そういえば、彼と初めて会ったのは夏の始まりのころだった。私が住んでいた町の古いお屋敷に越してきた家族が、ラピスたちだったというわけだ。
「君と結婚してよかった」
そう言ったラピスの声が優しくて、驚く。普段はなにかと私を揶揄ったりすることが多い彼は、今のような率直な言葉で気持ちを伝えるなんてことはほとんどしないのに。
睫毛を伏せて言ったラピスに、「私もだよ」と返すと、彼はキャンドルの向こうで嬉しそうに微笑んだ。
▽▽
それから、私たちは一週間に及ぶハネムーンを満喫した。雨の日は本を読んだり、星空を窓辺から見上げながらバルコニーでふたりで哲学の議論をしたりもした(ちなみに私は今まで彼に勝ったことがない)。美味しいお酒に秋の実りをふんだんに使った料理、真っ赤に色づく森の景色、澄んだ美しい湖。普段の都会の暮らしでは体験できないゆったりとした時間は楽しく過ぎて行って、あっという間に七日は過ぎていった。
帰る途中。二両しかない人も疎らな電車に乗り込んだとき、ラピスは「ナマエ」と急に話しかけてきた。
「うん?」
「君は知らないだろうけれど、僕らは中学生の時よりもずっと前に逢ったことがあるんだよ」
「えっ」
ぴしゃん、とドアが閉まり、窓の向こうで見送ってくれたペンションの奥さんが手を振っている。ガタゴトとゆっくり進み始めた車内、ラピスの長い髪が揺れて私と彼の距離が近くなった。
「それっていつ?」
「いつだと思う?」
そう言って、また意地悪な笑みを浮かべたラピスと間抜けな声を上げた私を乗せた列車は、秋の夕暮れが迫る田園の中をゆったりと進んでいった。金色に輝く茜色の世界で、秋の風が稲穂を揺らしていく。
秋の森
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