待ち合わせ時間よりも早くに到着した。
"天人五衰"として昔馴染みのニコライと共に仕事に参加してから暫く、予定があった今日の一日を、彼は横浜を探検してみたいなどど言ったのだった。
他の仲間に引き留められるかとも思ったのがそんなこともなく、ドストエフスキーさんなどは「見つからないならば好きにしていいですよ」と言っていた。そして今、私は約束の時計台の前で待っているわけだ。
日曜日の横浜の繁華街は、たくさんの人々で賑わっている。カップルや友達同士のグループ、小さな子供連れの家族など。ざわざわと人が歩く街並みを見ていた時だった。


「あ」


一人の青年がこちらへ歩いてきた。いつもの道化師の衣装ではなく、シンプルなパンツとシャツを着ている。色の合わせかたもどことなく上品で、こうしていると彼はどこにでもいる普通の好青年に見えた。
こちらへ歩いてきたニコライは、遠くからでも私を捉えることができたらしい。そのまま真っすぐ向かってきて、そして私の前で止まった。


「待たせちゃったかな」
「ううん、さっき来たところだよ。なんか、そうしてると凄く普通の人みたいに見えるね?」
「変身も道化師の領分だからね」


そう言って悪戯っぽく笑ったニコライは「はい」と私に手を差し伸べた。いつもは手袋に包まれている彼の手を握り返すと、暖かな人肌のぬくもりが伝わってきた。そして雑踏の中へと私の腕を引き、歩き始める。彼は車道側を歩き、歩幅も私に合わせてくれた。彼の肩よりも低い位置から見上げたその横顔に、長い睫毛があるのが見える。そういえばこの人って綺麗な顔なんだよなあと思う。きらきらと降り注ぐ日曜日の日差しが、色素の薄い彼の髪に透けている。


▽▽▽

一通りの観光スポットを回り、もう夕方になっていた。横浜の港に、赤い夕陽が落ちて行こうとしている。寄せては返す波の音が聞こえるそこで、ニコライは私を振り返って言った。


「ねえなまえ。僕、行きたいところがあるんだ。君と一緒に」


そう言われて着いていった先には、大きな観覧車があった。横浜を象徴するその有名な観覧車は閉館直前のパーク内でも特に人がまばらで、二枚のチケットを切ったスタッフの女性は「これが最終なんですよ」と言った。
開けてもらった観覧車に、ふたりで乗り込む。ゆっくりと時間をかけて上がっていく観覧車。ニコライはその間、なにも喋らなかった。


「今日は楽しかった?」


ちょうど観覧車が頂上へ到達しかけたとき、ニコライは言った。
その言葉に頷く。


「うん、とても。日本の街も楽しいね。私たちが生まれ育ったと所にもちょっと似てる気がする」
「なまえ、目を閉じて」


なんだろうと思いながら、言われた通りに目を閉じる。耳元に彼の手の感触があって、暫くしてから「もういいよ」と目を開ける許可を貰えた。


「え、なんでこれ、」






「…なんでもない」そう言って俯く私に、「そっか」と優しく彼は返してくれた。聡い彼は私の頭の中のことなどお見通しだったのだろうが、気づかないふりをしてくれた。私たちを乗せた観覧車はゆっくりと動く。切り取られた窓から眺める世界の夕暮れに熔けて消えてなくなる夢をみる。
世界の終わりに寄せて

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