「春ですねぇ」
「そうだね」
縁側で桜の木を眺めていると、いつの間にか隣にしのぶがいた。いつもは怪我人が常にいるような蝶屋敷なのに、今日は誰もいないかのような静寂が辺りに落ちている。珍しい。しかし、怪我をした人がいないのは良いことだ。脇においた熱い玉露茶のことを思い出して、隣にいるしのぶに声をかける。
「しのぶ、お茶飲む?」
「いいえ、結構ですよ。ありがとう」
「昔は私の茶器から飲んでたのに」
「いつの話をしているんだか」
断られてしまった。私の茶器から勝手にお茶を飲むことはしなくなったものの、つんと勝気なところはまだ健在のようである。ずず、とお茶を啜りながら咲き誇る桜をなにをするでもなく見上げる。
「時間がすぎるのって、なんでこんなに早いんだろ…」
カナエさんの後ろにいつもついて回っていた同期のしのぶも今では柱である。私より階級が上なのだ。血もにじむような鍛錬を重ねて上へとあがったしのぶの手は、剣だこよりも雪のような白さがめだった。それは今では亡き人の優しい手のようだった。
その手に上から手を重ねると、しのぶは少しだけ私を見上げて、でも何も言わずに同じように桜を見上げた。
「本当に」
「しのぶ、次の任務は長いの?」
「どうでしょう。今度は薩摩の方へ下るんです。水の育手の元を尋ねることになっているのですが、帰るのもいつになることやら」
「そう」
しのぶの横顔はいつも通りの穏やかさで、表情が悟れない。そして空をゆっくりと流れていく雲の動きは緩慢で、ここがかつてカナエさんたちと一緒に過ごした懐かしく平和な春の世なのだと錯覚させるほどだった。時折、肌を撫でていく風はひんやりとまだ冬の気配を含んでいるのに。
昔、私たちがまだ鬼殺隊に入ったばかりの頃。
何度か皆でお茶をしたことがある。それぞれの任務で時間が合わないことも多かったのだが、お菓子屋お茶を持ち寄って日が暮れるまでお喋りを続けた。永遠に続いてほしいと願わせる、平和な時間だった。
ー時間が流れ、カナエさんは亡くなり、私たちもそれぞれの道を歩くようになった。蟲柱として毎日を忙しく過ごす彼女と、一隊士である私。たまに思う。先に死ぬのはどちらだろう。もし、鬼舞辻を私たちの代で殺すことができたならば、またしのぶとこうして同じ春を望むこともできるのだろうか。
「私、もう行きますね」
「うん。私もそろそろ行くよ」
「なまえ、」
「ん?」
立ち上がって、空になった湯飲みを載せた盆を持ち上げる。声をかけられてそちらを見ると、しのぶがこちらを見ていた。
「また、会いましょうね。次は一緒に茶屋でも行きましょう」
「昔みたいに?」
「そう、昔みたいに」
それだけ言って微笑むと、しのぶは瞬きの間にその場から姿を消した。あとに一人残された私は、空になった急須の底の方に残っていた緑の濁ったお茶の最後の一滴を、湯飲みに移して呷った。すっかり冷めてしまったお茶は、舌の上で苦く溶けて次第に消えてなくなっていった。空を見上げる。どこまでも高く青い空を、桜の花びらが風に乗って飛んでいく。どこか、知らない遠くまで。
君死にたまふこと勿れ
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