私は、自分たちはいつか永遠になるのだと思っていた。
肌も髪も声も何もかも、今のまま時を止めて、私たちは年を取らずに永遠になる。当時は本気でそう思っていたし、自分の考えを疑っていなかったから、彼ももちろん私と同じ気持ちだろうと思い込んでいた。
「耀哉」
広大な敷地の裏庭には、たくさんの菖蒲の花が咲いていた。私はこの花が好きだった。
昨夜の雨で黒く濡れた石畳の上を、駆け足で急ぐ。耀哉が待っていると思えば自然と足は速くなった。縁側へと息を切らして辿り着くと、書物を読んでいた耀哉はそっと視線を上げて私を見た。目元が優しく細められ、彼は書物をたたんで口元に笑みを浮かべた。
「おはよう、なまえ。ここまで走ってきたのかい」
「うん、母上がこれをあなたにって持たせてくれたから」
そう言って私は持っていた包みを開けた。中は重箱で、甘い芋の茶巾絞りが所狭しと詰められていた。それを見た耀哉は「ありがとう」と口元を綻ばせた。
「覚えていてくださったんだね。僕がこのお菓子を好きなこと」
「そりゃあ、母上は小さい頃から耀哉を知ってるもの。ほら、あーん!」
私が茶巾絞りの一つを眼の前に差し出すと、耀哉はなんの躊躇いもなく口を開けた。そして私よりも小さな口の中でもむもむと咀嚼し、嚥下する。美味しい、と笑って、彼は自分でも茶巾絞りを手に取った。
「はい。なまえもどうぞ」
「うん!」
私も差し出された茶巾絞りを頬張る。口の中いっぱいに広がった甘い味は、普段は厳しく育てられている私たちにとっては貴重な優しい味のする甘味だった。お互い良家の子供として毎日忙しく教育される日々だったが、母はたまに私に手作りのお菓子を持たせてくれ、こうして幼馴染の元を訪れる機会を作ってくれていたのだった。
季節は美しい初夏だった。
夏の気配が少しずつ感じられる庭は時折、涼しい風が吹いてきて、私たちの黒髪を揺らしていった。私は、彼との日々がこのままずっと続くと信じて疑わなかった。
私たちの関係が大きく変わったのは、十三歳の頃だった。
「もう、耀哉の元へ行ってはいけない…?」
母から告げられた言葉を口の中で繰り返す。頷いた母は、私の方へ向き直って続けた。
「産屋敷家の御子息は、この春の末に祝言を挙げられるのよ」
「祝言…」
「貴女にも幾つかの縁談がきているのよ。そろそろ、彼のもとへ通うのも辞めなければならないわ」
私が幼馴染である耀哉の元へ通うことを咎めなかった母でさえ、十三歳になった私が男子と一緒に過ごすことを問題だと感じるようになっていた。いつかは家の為に結婚しなくてはならないことは分かっていたはずだった。良家に生まれた女子は、子孫を繋ぐために婿養子を取るか、どこかの家へ嫁がなくてはならない。私の姉たちもそれぞれ結婚していった。だが、頭の中では分かっていたはずのことでも実際に現実に起こると、それを受け入れる気には到底なれなかった。
「、っはぁ、は、」
私は雨の中、外へ飛び出していた。
(結婚だなんて、聞いていない…!)
耀哉が結婚するなんて、母から聞くまで知らなかった。この間彼に会ったときは、いつもと変わらない様子だったのに。どうして私に教えてくれなかったんだろう。耀哉が大切なことを私に黙っているなんて、そんなことは今まで一度も無かったのに。
息を切らして、私は彼の住む屋敷へ向かった。裏口から入り、水に濡れる草木の間を進むたび、泥が足袋を汚していった。
「あ、…!」
耀哉を見つけた。
よく見知った少し華奢な背中が、屋敷の縁側に見える。かがや。そう、彼を呼ぼうとした時だった。
「耀哉様」
鈴を鳴らしたような透明な美しい声が、私が呼ぶよりも先にその名前をかたどった。え、と思う私の視界に、着物を纏ったひとりの美しい女性が映った。
長い睫毛と、雪のように白い肌がここからでもくっきりと見えた。とても綺麗な人だ。その人は、耀哉の傍へ寄って彼に話しかけた。
「お身体に障ります。中へ入られては」
「ああ、ありがとう。あまね」
"あまね"。その女性の下の名前なのだろうそれを耀哉が口にした途端、急に私は今の今まで焦っていた自分の気持ちが醒めるのを感じた。耀哉はあまねと呼ばれた女性に微笑みを返し、庭先をなにかを探すように視線をうろつかせた。しかし視線をすぐに彼女の元へと戻して、優しくその細い肩に触れて部屋に戻るように動かした。
今まで見たことのない彼の優しげな仕草を見ていると、なぜだか耀哉がまったく知らない人のように見えた。そして、自分がもう何も感じていないことに気づく。
ふと、耀哉が視線に気づいたようにこちらを振り返った。だが、私はそれを無視するように庭を出て行った。泥濘に汚れた足袋は冷え、とても心地悪かった。
▽▽▽
「…」
そして、十年の歳月が流れた。
夜の闇夜を照らす、黄金の月。私は、この光の中でしか憩えない鬼になっていた。
無惨様が鬼狩りの柱たちとともに消えた無限城が閉じ、そこにはごうごうと恐ろしい音を立てて燃える産屋敷家があった。かつて私が通っていた屋敷ではない。あれから、彼はここへ移り住んだのだろうか。彼の妻子たちと共に。
そう思って足元を見ても、人間の髪の毛一筋、爪のひとかけらも残っていない。
「私、あなたのこと好きだったのよ、耀哉」
恋と呼ぶほど、甘く熱烈なものではなかったかもしれない。だが、穏やかな子供時代に生きる私は、あの頃の耀哉に拙い"好き"という気持ちを持っていたのだと思う。それが、今になれば分かる。だが。
「まさか、あなたがそんなつまらない生き方をするなんて思わなかった」
愛する女性と一緒になり、ふたりの間に子供を授かった耀哉。かつての日々の中で、耀哉とふたりで見たたくさんの美しい思い出が、胸の中を過っていく。獰猛な獣の蠢きのように炎を揺らめかせる屋敷。あの中で、彼は妻と子供と共に死んだというのか。想いあう相手のと共にいれば、きっとどんなに熱い灼熱の炎も、身体ごと消し飛ばされる恐怖も感じないのだろう。そう思えば思うほど、眉を強く顰めてしまう。
耀哉と永遠に一緒にいたかった。だが、私が愛していた耀哉はもういない。今の爆発による死ではなく、あの日、妻と共にいた耀哉を見たときに私の恋心は死んでしまったのだ。
「なまえ」
隣を見下ろせば、耀哉がいた。大人になった耀哉だった。彼は何かを言おうと、私に向かって口を開く。だが、それよりも先に私は彼の身体を鬼の爪で引き裂いた。
飛び散った血が、頬を濡らしていく。しかしそれも次の瞬間には消えてしまっていた。私の服にも肌にも血はついておらず、ただ目の前で燃える業火の揺らめきだけがあった。
「もう二度と、私の名前を呼ばないで」
吐き捨てるように言った言葉は、誰にも聞かれないままに火焔の中へと落ち、そして灰となって消えた。私はその場を去り、もう二度と振り返らなかった。
企画サイト晩餐様に提出
かしこ
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