「三日振りだな」


 かつん、と何かが反響する音がする。わざわざ顔を上げて確認するまでもなく、それは私をここへ攫ってきた男が履いている磨き上げられた高価な革靴のものだった。

 かつん、かつん。
 一歩一歩と男が歩を進めるたびに反響する靴の音は、この場所が地上から遠く離れた地下であることを嫌でも私に理解させた。


 「身体の状態はどうだ」
 「…」


 私が閉じ込められているこの部屋には、窓がない。外へ続く唯一の道は、今この男が下ってきたこの階段のみで、しかしそこへと私が行けないように太い鉄格子が部屋を囲うように取り付けられている。
 伏せていた顔を上げ、伸びた前髪から男を見上げた。ゆるやかな巻き毛のような黒い前髪から、男のふたつの瞳が見える。なんて冷たい輝きだろうか。猫のような縦長の瞳孔が刻まれた男の目は、ゆらゆらと行燈の灯が揺れる部屋の中で不気味な色をもっていた。

 なにも答えようとしない私に苛立ったのか、男は格子の中へと移動した。瞬きの間にこちら側に来た男は、その腕で私の喉を締め上げた。


 「お前は全く可愛げがない女だ。私がお前ごときの身体の状態を案じてやっているというのに、そのような態度しか取ることができないとは。躾が必要か?きつい躾が」


 私はそれでもこの男に、鬼舞辻無惨になにか応えるのは嫌だった。負けてしまう気がするからだった。この男に、完全に屈してしまう気がするからだった。

 鬼舞辻は私のそんな気持ちを理解しているのかしていないのか、ふんと面白くなさそうに鼻を鳴らすと私の身体を畳の上へと投げつけた。
 解放された喉に急に空気が入ってきて、噎せる。げほげほと咳を繰り返す私を見下ろして、鬼舞辻は美しい薔薇のような唇に冷たい笑みを浮かべた。


 「腹が空かないか」
 「…」
 「もう九日、なにも食べていないだろう」
 「…」
 「お前の身体はもう鬼になってしまったんだ。だから、いい加減屈してしまえ。人間を食え。そして完全に私のものになればいい。そうすれば、永遠にお前をここで飼ってやる。私の傍で。ずっと」


 そう言う鬼舞辻の口調は、どこか甘やかな、夢見るような気配が感じられないこともなかった。だが一貫してその物言いは高飛車で、冷たいもので、しかもたくさんの人間を殺す鬼達を生み出した元凶なのだと思うともうなにも言いたくなかった。
 ーこの男が言うには、私は平安の世、彼の恋人だったらしい。平安なんて何百年も前の時代のことを懇々と話し出されてその時の私が戸惑ったことは言うまでもないのだが、しかしそれは作り話ではないようだった。曰く、鬼舞辻はやっとの思いで私を見つけ出し、そして自身と同じ鬼の身体にするために私をここへ連れてきたらしい。永遠の命を私に渡し、ずっと自分の傍に置くために。


 「お前は未来永劫、私の物なのだ。それが運命で、はじめから決まっていたことなんだ。お前が人間として暮らしていた時のことなんて、そちらの方がまやかしなんだ。お前には、太陽の光よりも月の光のほうが相応しい」


 そう言って、鬼舞辻は自身の抜けるように白い首筋に爪をたてた。途端に筋から血が滲み、あふれ出す。その匂いときたら、鬼になってしまった私の食欲を掻き立てるにはたとえ微量にすぎない量といえど、眩暈がするほど馨しいものだった。なにか、身体の奥の方が熱くなって、咥内に自然と唾液が溢れた。噛みつきたい。貪りたい。そう願ったが、私はなんとか顔を鬼舞辻の頸筋から顔をそむけた。


 「…ふん」


 分かっていた反応だ、とでも言うように鬼舞辻は鼻を鳴らした。ふぅふぅと荒い息を繰り返す私を見下ろして、そして手を伸ばす。冷たい、ひんやりとした血の通わない温度の手が、私の喉を這った。獲物をいたぶるような、もてあそばれているような、しかしどこか恋人にそうするような愛撫にも似た手つきだった。「なまえ」


 「早く、私と同じ存在になれ」


 つう、と。鋭くとがった爪が、顎を撫で上げて唇で止まった。化生の瞳をふちどる長い睫毛の合間から落とされる視線。鬼の目だ。
 独白なのかこちらに話しかけているのか分からないその言葉にはなにも返さない。黙りこくった唇に仕置きだとでも言わんばかりに、うつくしい鬼は少しだけ血のついたその指を、私の口へと差し入れたのだった。この血の味を、覚えてしまえとでもいうように。
月を眺む

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