目の前に置かれた美しい銀細工の髪飾りに、思わず眉根を寄せてしまう。しかしその男はそれに気を悪くした様子もなく、美しいかんばせに頬杖をついて私の表情を覗き込むように首を傾げた。


 「おや、それはお気に召さなかったかい」
 「やめてください。あの、本当に。こういうのは、困ります」


 俯いたまま言う私に、男はなおも余裕の態度を崩さない。するりと手を伸ばしてきて、私の髪に触れた。細身の体躯とは裏腹に、存外男らしい形の指が耳を撫ぜて、そのまま髪をかけて耳をあらわにする。「明日は、」


 「明日は、君に似合うピアスを持ってこよう。この白い肌に映えるような、青や翠の石はどうだろうか。持ってきたら、つけてくれるかい」
 「あ、明日は私はいません。明日も、明後日も。だから、あなたと会うのも今日が最後、です…」
 「おや、つれないねえ」


 なんとか彼を拒否しようと精いっぱい言ってみるが、クスクスと笑う男ー大般若さんは、まったく相手にしていない。いつもそうだ。この人は、私のもとにやってきて揶揄うだけ揶揄って、美しい品を貢いでは去っていってしまう。なにも私じゃなくても、綺麗な人ならほかにもたくさん、彼ならよりどりみ選り取り見取りだろうに。なぜ私のもとへやってくるのだろう。
 釈然としないまま、日々繰り返されるこの戯れにはあ、と内心ため息をはいたその時、障子が開かれた。


 「失礼します。大般若さん、そろそろお時間です」
 「おや、もうそんな時間か」


 黒いスーツを着た、大般若さんの部下の一人だった。業務的な淡々とした口調で告げられた言葉に、大般若さんは畳の上から立ち上がった。やっと終わった…。終わるのか分からない遊びがやっと第三者の手により終結を迎えたことに、安堵のため息を吐く。ーと、
 つい、と。
 大般若さんの大きな手が私の頬を持ち上げた。それにえ?と思う暇もなく、頬に与えられた柔らかな感触。それが口付けだと気づいたときには、彼はもう部屋を出かけていた。ふいに私を振り返り、にやりと笑う。


 「また来るよ」


 ぱたん。そうして襖は閉まった。



▽▽▽


 「なに、これ……」


 ごうごうと、恐ろしい音を立てて燃える屋敷。茜色の夕焼けが夜の闇夜にどんどん浸食されている空へ広がるように、火焔がどんどん大きくなっていく。屋敷からは数メートルほど離れているのに、ここにいるだけで肌が燃えるように熱い。漆塗りの古く豪奢な屋敷を支える柱が、どさりと燃え落ち、瓦がガラガラと瓦解して庭の池へとぼちゃりと落ちた。
 正門の方では、たくさんの人だかりが出来ているのが見える。叫び声、戸惑うような声。どこからかサイレンの音も聞こえてくる。
 目の前に広がる景色に言葉を失くし立ち尽くす私の後ろに、ひとつの気配が感ぜられた。


 「お帰り、今日は早かったんだなぁ」


 恐ろしい光景とは不釣り合いな間の抜けた声は、聴きなれたもので。後ろを振り返ると、大般若長光が、いた。美しい顔はいつもと変わらず、その冷たい美貌には似合わない人懐っこい笑みを浮かべている。

 私は後ずさった。


 「……あれは、あなたが、…」
 「いやぁ、俺じゃなくて俺の上司が命じたことなんだけどね。まあ俺がやったようなもんか。しっかしよく燃えてるなあ」
 「…」


 言葉を失くして立ち尽くすが、彼は飄々とした態度のまま燃え盛る屋敷を見やった。私の手から滑り落ちた柿がころころと黒い影の伸びるアスファルトに転がっていく。「おっと」すらりと背の高い彼は屈んでそれを拾い上げた。


 「これそこの丸亀スーパーの特売のやつだろう?今年の柿はよくできたらしいよ、と」


 すり、と。
 大般若はその大きな手の親指を使って、私の頬を拭った。まるで恋人のような手つきに背筋が凍って、思い切り叩き落としていた。


 「やめてください!!!なんの、つもりですか…あなたは、私のことをどうするつもりなんですか!!?組長は、私の義兄をどこへやったんですか!?」


 熱気を吸い込んだ喉に、焼き切れそうな痛みが走る。煙のせいで涙が流れ落ちる顔を拭いながら精いっぱいの力で睨み付けると、大般若は少しだけ首を傾げた。表情は笑ったままだが、それが今の状況と合っていなさすぎて気持ちが悪い。恐ろしい。

 こつ。高級そうな革靴が鳴って、一歩私に近づいた。


 「あんたのとこのシマは、うちが買収することになったんだよ。まあ兼ねてからその話はあったんだが、兄さんの方はあんたには話してはなかったみたいだね。別に危ない目には遭っちゃいないよ。大事なあんたの家族をどうのするなんてことは、俺はしないさ」
 「じゃあ、じゃあ私を義兄に会わせてください!!!」
 「残念だが、それはできない」
 「できないって、…どういうことなんですか…!!!」


 その時、はたと気がついた。


 「…"俺は"?俺はって、じゃあ…」
 「尋問は俺の管轄下じゃないからなあ」


 ポケットから取り出した煙草を口に咥え、ライターで火を付けながら悠長な口ぶりでそう言う大般若は、取り乱す私とは正反対の落ち着きようだった。形の良い唇から洩れた煙が、夕方の空から吹いてきた風に散らされて、不思議な模様を描きながら広がり、消えていく。煙を纏って微笑んでいる男の顔は、百合の花のように美しかったし、どんなけだものよりも恐ろしかった。
 大般若は、ほんの少しだけ吸った煙草を地面にひらりと落とした。そして黒光りする質のよさそうな革靴の踵で、ざり、と押しつぶしてしまった。


 「あんたは、俺と一緒に来るんだ」


 大般若は、優しくも有無を言わせない声でそう告げた。

 遠くから、サイレンと人々のざわめきが聴こえてくる。


 「……あなたと一緒に行ったら、私の義兄には何もしないと約束してくれますか?」
 「そうだなぁ、なるだけ被害を少なくするように取り計らってみるよ。それにしてもあんた、アイツに妙にご執心だな。俺にはあんなにつれない態度を取るのに」
 「、私のたった一人の、家族なんです、」
 「そうかい」


 殆ど俯いたまま私は言った。もう、口からは弱々しい声しか出せなかった。大般若は、小さな子供に言うような口調で私の言葉を肯定するような相槌を打ってから、私の右手から下がったスーパーの袋をするりと抜き取った。
 柿がたくさん入ったそれを右手に下げて、左手で私の腰を自分の方へと抱き寄せた。てくてくと道の端に止められた、こんな小さな町には不似合い真っ黒な高級車のドア。それはこちらから開けなくても人の気配を感知して、勝手に開いた。
 先に乗り込んだ彼に合わせて、私も隣へと座る。ぱたんと静かな音で止まったドアの向こうで、私の今朝まで住んでいた屋敷が燃え落ちていく。
 走り出した車の中で、長い脚を組んだ大般若は「そういえば」と思い出したようにどこからか小さな白い四角形の箱を取り出した。中には、彼の瞳と同じようなピンクがかかったルビーのような色合いの宝石が輝くピアスが入っていた。


 「結局、このデザインにしたんだ。青も翠もあんたにゃ似合うだろうが、折角なら俺と揃いの色にしたくてね」


 ちょっとベタだったかもなぁ、なんて言いながら、彼は箱の蓋を閉じて掌を開けようとしない私の膝の上へと置いた。そして、私の顔を覗き込んだ。美しい顔は愛しげに私をじっと見つめていて、宝石と同じ色の瞳からはどこか得体の知れない狂気の欠片のようなものが見えた気がした。
 

 「なまえ。家に着くまで寝ているといい」


 すらりとした長い指先で私の頬をゆるりと撫でて、まるで夢の中にいるような甘い声でそう言った。この男が、私の名前を呼ぶのは初めてのことであった。頭を撫でる彼の手の温度は、ピアスホールなど開いていない私の耳にあの宝飾品を贈った気狂いさとは程遠い、優しい温かさだった。
星を飼った日
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