2018/03/06(Tue) 試しに


良岑宗貞の許嫁さん

「すまないが明日から此処に通えなくなる」
「はい…あの、何かあったのかお聞きしても?」
「…いや、それは話さないでおくよ。お互いの為にも」

そう言って宗貞様は組まれた御帳台の畳の上に横になり、私にも横になるように促した。寝ようにも先程の言葉が気になって眠れない。
もしかして宗貞様は私以外のいい人を見つけてたのかも知れない。別に私がいながらとは言うつもりもないし、それが男の世界のステータスである事も分かっている。
私達女は家で大人しく待つ事しかできないと言うことも。

その日の夜私は宗貞様の腕の中で眠り、朝日に目を覚ますと彼の姿はなかった。温もりはとうになく大分前にご自宅に帰ったのだとわかった。

今日の夜から宗貞様はここには来ない。それを想像するだけで胸が締め付けられて痛む。


それから何日も何日も一人の夜を明かしては涙で袖を濡らす。どんなに泣いてもあの優しい人は慰めに来てくれない。
私の所に来てはくれない。

宗貞様が来られなくなってから、もう満月が2回も過ぎた。

もうこれは捨てられたのかも知れない。そう諦めていたその時、私はたまたま藤原業平様とお話する機会があり、そこで宗貞様が何をしているのかを聞いてしまった。

「君も可哀想だね」
「と、言いますと?」
「何やら婚約者は百夜通いをしているそうじゃないか」
「百夜通い…」
「結婚してほしいならその誠意を見せなさいってところだろうね」

つまり宗貞様はその百夜通いをしているから私の所には来れない。まさかこの方から殿方の浮気を知る羽目になるとは思わなかったが、今はそんな事を軽々しく言える気分じゃない。

「私だったら君のような器用のいい人を放っておいたりしないけどね」
「お戯れを」

そうでもないんだけどね。なんて軽口を叩きながら業平様はどこかに行ってしまわれ、私は一人思考の海に溺れる。
気が付けば外には雨が降っていて、この気持ちも一緒に流してはくれないかと外に出る。着物が雨粒で濡れはじめずっしりとした重さが肩にかかる。この重さもまるで今の私の気持ちのようで目頭が熱くなり、涙が零れる。

「わぶぬれば つれなし顔は つくれども 袂にかかる 雨のわびしさ」

恋うる気持ちを隠したくて平気な顔を作っても、空が泣くから貴方を想って涙を流す私の心を隠せない。

こんな和歌をうたってもきっとあの人には届かない。なのにあの人が私のもとに帰って来てくれるんじゃないかと期待してしまう。

……だが、そんな私に父上が新しい縁談を持ち込んで来た。それも帝に入内しないかと言うもので、明日行われる新嘗祭で帝に気に入ってもらえれば更衣として後宮に入ることが出来ると。宗貞様との婚約はなかった事になってしまう。そんなのは絶対に嫌だ。でも私はこの身と一族の為に帝に気に入られ寵愛を受けられなければならない。それが私の役目なのだから。

「わかりました」
「これで我が一族も少しは安寧に近づく。わかっているな」
「はい」

せめて、せめてにと宗貞様に最後の恋文を送る事にしよう。この百夜通いの間ずっと出すことも出来なかった私の想いを和歌に乗せてあの人に伝えよう。

文を使者に持たせて届けてもらい、私は新嘗祭に向けて準備を進めていると、侍女が慌ただしく私の部屋に駆け込むと同時に御簾が上がり宗貞様が乗り込んできた。いきなりの状況に顔を隠すことも忘れただただ驚き宗貞様を見ていると、彼は怒ったように顔を顰めて侍女に人払いをするように言いつける。

「宗貞様…?」
「君は私のお嫁さんだろう?」
「ですが、入内すれば我が一族も…」
「駄目だ!更衣なんて女官と大差がない!一族にも大した意味がないんだ!!」

宗貞様が私の事を抱きしめて単衣を一枚一枚解いていく。なんて勝手な人だ。私の事を振り回しているくせに私が離れようとすると縛りつけようとする。

「でも宗貞様には新しいお嫁さんがいるのでは」
「吉子は妹であって私の嫁は君だけだ」
「でも百夜通いをしたんでしょう?」

そういうと宗貞様は気まずそうに顔を逸らし、深いため息を吐く。

「通った結果が妹と兄だったんだ。確かに詰め寄ったがすんなりと諦める事が出来た。でも君は違う!どうしても手放せないんだ!君がどんなに泣いて懇願しても私はこの手を離せないんだ!」
「宗貞様…」

「いにしへに なほ立ち帰る 心かな 恋しきことに もの忘れせで」

会えばたちまちまた君に恋をする。君を好きだという気持ちだけが今も昔も変わらない。

宗貞様は私の頬に手を添えて顔を近づける。強引に重なる唇に懐かしさを感じるのは2人を隔てていた時間の所為だ。

「宗貞様、私だけですよ?今後私以外を見ちゃダメですよ」
「あぁ、誓うよ」

そう言って宗貞様は今度は優しく口付けをしてくれた。指を絡めて握り合う。なんて幸せな時間なのだろう。

私だけと言ってくれた。その幸せで私は生きていける。

「明日餅を食べよう」
「え、でも父上には…」
「私から言うよ。殴られるかもしれないけどね」
「その時は私も一緒に父上の拳を受けます」

みたいな連載を書きたい生涯だった。