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全力で走った所為じゃない。徒歩5分の移動距離を全力で走ったくらいで心臓が忙しなくなる程の鍛え方をしてはいない。

それなのに焦凍くんの姿を見ると、どうしようもなく心臓が動く。

走っていた足が自然とゆっくりになり、そして止まる。目の前には焦凍くんがいて、腕を伸ばせば触れられる距離にいる。
伝えたい事を言わないと。心配かけてしまってごめんって、そしてありがとうって。

「…っ、」
「柚華さん?」

息が詰まる。喉が引っ付き声が出ない。
何か言わないと…焦凍くんがこんなに心配してくれているんだから。

「…好き」
「…は?」
「焦凍くんが好き…」

頭の中で考えていた言葉と全然違う言葉が口から零れた。もっとちゃんと考えていたはずなのに。1度口にしてしまえば止まれなくて私は焦凍くんを抱き締めて、また口にした。

「…好きなの」
「柚華さん?…わかったから取り敢えず落ち着いてくんねぇか?」

焦凍くんの固くて厚い胸元に顔を埋めようとすると、焦凍くんが私の肩を軽く押して引き剥がそうとする。

「ねぇ!あれ轟くんじゃない?」
「1人かな?話しかけちゃう?」

微かに聞こえてきた女の子の声に顔を上げて焦凍くんを見ると、彼は目線だけで辺りを確認して私の手を引っ張り雄英敷地内にある林の中に入って行く。

結構奥まで入り、私たちは大きな木の幹に背を預けて腰をかける。
別に彼女たちに追いかけられたわけじゃないのに、どうしてここまで深くまで入る必要があったのだろうか?
横目に見る焦凍くんの表情は読めなくて、心情を察することが出来ない。焦凍くんの表情は最初の頃より豊かになったけどそれでも乏しい方だと思う。

文化祭の準備期間特有の騒がしい、賑やかな声がこの林の中までは届かない。小鳥の囀りすらない静かすぎる空間。

「さっきは取り乱してごめんね」
「言われた事は嬉しかったから、謝んねェで欲しい」
「う、うん…」

どうやって切り出せばいいのかが分からなくて、取り敢えずさっきの失態を謝ると焦凍くんは謝るなと言ってくれた。
そしてまた無言の空間が出来上がってしまった。

「悪ぃ、そのままだったらスカート汚れちまうな」
「え?!あー気にしないで」
「そういう訳にはいかねェだろ」

焦凍くんが私の手を引っ張り、無理矢理私を胡座の上に座らせる。右肩が焦凍くんに触れ、その距離の近さに一瞬だけ息が止まった。

キスだってしてるのに。なんで今更こんなことでこんなにも胸が忙しなく動くんだろう。

「話してくんねぇか?柚華さんが何に悩んでたのか」
「うん」

私はここ数日のことを包み隠さずに全て焦凍くんに吐露した。焦凍くんは話を遮ることなく全て聞いてくれて、話し終わったあと私の頭をゆっくりと撫でてそっと抱き締めてくれた。
そしてゆっくりと私の唇を啄む。形を確かめるように何度も角度を変えながら唇を重ねる。

「…っ、ん」
「柚華さん」

名前を呼ばれ顔を上げると焦凍くんの大きな手が私の視界を覆い、世界が焦凍くんの温もりと指の隙間から漏れる光のみとなってしまった。

「心配した」
「うん、ごんね」
「取られる心配はしてないが、絶対的な確証があるわけじゃねぇし」

ん?私が焦凍くんの事を捨てるってこと?そんな事はありえないと声をあげようとするよりも先に焦凍くんが言葉を続ける。

「取られたとしても取り返す」

焦凍くんの手がが私の視界を塞いだ所為で、いつになく焦凍くんの声が頭に反響してじんわり広がり溶けていく。まさかこれを狙ってたのだろうか、と疑ってしまう位に私の神経は焦凍くんにしか集中してない。

「しょ、とくん…顔が見たい」
「悪ィ。ちょっと待ってくれ」

あぁ、きっと彼も今顔が赤いんだろう。自分から言っておいて照れているんだ。

なんて、なんて愛おしいんだろう。

瞼の上にある焦凍くんの手に私の手を重ねると、ゆっくりと光が射し込んで視界が開けていく。一回りよりもその大きな手は私の何もかもを受け止め掬ってくれる。

「ありがとう」

赤くなっている顔を見たいけど、我慢して私は焦凍くんに抱きついた。首に腕を回して隙間なく抱き締める。

いらない不安を与えさせてしまった。私の方が歳上なのに、透ちゃんや焦凍くんに諭されてしまった。
情けない。しっかりしていたいのに、それが出来ない自分が情けない。

「ごめんね…ありがとう」
「俺は、嬉しかったけどな」
「なんで?」

少し距離を取り下から焦凍くんを見上げると、彼は無表情に近いながらも切なそうな顔をしている。

「俺は柚華さんを守りてェのに、守られてばかりだ。対等でいたいと思うのに僅かな差が埋まらねェ」
「私は…!焦凍くんに無理して欲しくないよ」

社会に出たら私達の年の差なんてあってないようなものなのだろう。だけど学生という身分で学校に縛られている限り、この年の差が大きな壁のように感じる。
私だってクラスの人と若干ながらも感じているし、事実歳上なんだからって気持ちでいる。でもそれは焦凍くんにとって重荷なのかもしれない。

「俺のなりてェヒーローになる為には柚華さんを守れるように強くなられねェとな」
「…守ってもらいたいわけじゃないよ」
「柚華さん?」

決意のようなその言葉に思わず声が漏れた。小さく漏らした声は運良く焦凍くんの耳に入らず、笑って誤魔化した。

きっと焦凍くんは私を守るのも自分の務めだと思っている。だから守れるように頑張ろうって、強くなろうって思っているんだ。
その事は嬉しい。

…でもね、私だってヒーローになりたいんだよ?
助けを求めてる人を救ってあげれるような、そんなヒーローになりたいって思ってるんだよ。

「…ありがとう」
「ん」

もう1度焦凍くんを抱き締めた。
今度は作り笑いを見られたくなくてだ。

些細なすれ違いはこれからの関係になんの障害もない。私はそう思って何も言わないでいた。

それが正しい選択なのかは、今はわからない。


文化祭前日。私は近藤くんを呼び出す事にした。ちゃんとお断りの返事をする為だ。
焦凍くんは近藤くんに会う時一緒に行こうかと、心配してくれたがそれを断って1人で指定した場所で待っていると近藤くんがやって来た。
短い髪に勝気な印象を与える瞳。私よりも大きな身長だけど、焦凍くんよりも少しだけ低いかもしれない。

「…返事は要らないって言ったのにな」
「うん。だけどすっきりしないから」
「あぁ、そう」

どうやって切り出そうか。と考えていると近藤くんの方が先に口を開いた。

「轟、だっけ?彼氏なんだろ」
「彼氏…っ!」
「違うのか?」
「そうだけど、改めて言われると…照れる」

近藤くんに白い目で見られたけど仕方ないじゃないか。私達はだいたいの生活の時間を学業、主にヒーローに関することに費やしててデートとかに行くことの方が少ない。だから両思いなのは知ってるがそれを言葉に当てはめて考えた事など殆どないのだから。

「そっか…それを返事と受け取っておくよ」
「…ありがとう。嬉しかったよ」
「…おう」

悩みの種がなくなったはずなのに私の心は今も曇っている。
時間とともに晴れてくれればいい。そう願いながら文化祭当日を迎えた。

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