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人気のない場所を探して歩き続けてから気がついたことがある。それは皆スタジアムの本戦に夢中ですれ違う人が1人もいないという事。そして迷子になってしまったという事。これなら何処で魔法を使っても構わなかったんじゃないかと思ってしまう。

人も来ないだろうし、もう此処で使ってしまおう。

私は降りてきた階段の踊り場の壁に背中を預けた。ここなら前方の廊下と横にある階段が見えるから人が来たらすぐにやめられる。そう考えもう1度“凍(フリーズ)”のカードを発動させた。氷で出来た金魚がカードから出てきて私の周りをゆらゆらと泳ぐ。

「何度もごめんね。また冷やしてほしいんだけどいいかな?今度は目と頬と二の腕なんだけど」

氷の金魚はゆらゆらと私の腕に近寄り、柔らかいとは言えないそのヒレで火傷で変色してしまっている肌に触れた。触れたところから薄い氷の膜が変色した部分を覆い、冷やしていく。1箇所ずつしか冷やせないが微調整がきくとても便利なカードだ。
あまり冷えすぎると腕の感覚が無くなってしまうので休み休み冷やしていたら不意に冷やしていない方の腕を後ろから誰かに掴まれた。

「ひゃっ!」

人肌よりは幾らか冷たいその手には覚えがあった。

焦凍くんの手だ。

間違いないと確信して咄嗟に振り返ろうとしたが、今の私の目は泣き腫らしており、見るに堪えない顔をしてるに違いないと思い、少しでも見られないようにと顔を俯かせた。

「何でこんなところにいるんだ」
「えっと、迷っちゃいまして」

素直に伝えると焦凍くんは私の腕を掴んだまま歩き始めた。私の腕を掴み何処かに歩いていく姿は初めて会った日のことを思い出させた。

焦凍くんは適当な部屋のドアノブを掴み勢いよく開け私を放り投げ入れた。いつもなら絶対にしたいその扱いに困惑していると、静か過ぎる空間にカチャっと鍵が閉まる音が響いた。普段ならこんな音たいして響きもしないのに、今は固唾を飲む音すらクリアに聞こえる。

ドアの前で立ったまま動かない焦凍くんに違和感を感じる。彼は首を擡げているため私からは表情が見えない。なにを思っているんだろう、何かあったんだろうか、私に怒っているのだろうか。
様々な予測が頭の中を駆け巡るが答えは出なかった。

「しょ…焦凍くん?」
「…れだ」
「え?」

やっと発した焦凍くんの声はか細くて聞き取ることが出来なかった。私がもう一度聞き返そうと口を開くより先に低く、唸るような声がこの部屋に響いた。

「誰がやったんだ」
「えっと、何のことですか?」
「何の事じゃねえだろ。腕と頬に火傷がある、誰かにやられた以外考えられねえだろうが」

火傷を見られてしまったのか。隠そうとはしてたけど放り投げられた時は予想外すぎてコケないようにね気を取られていたから、腕の事まで気に出来なかったもんね。その隙に見られてしまったのか。

だけど、あなたの父親ですよ。なんて言うときっともっと怖い顔をしてしまうだろうから、ここははぐらかしておこうとにっこり笑って誤魔化した。

「少し、魔法を間違って使ってしまって、だから誰かに何かされたとかそういった事はありませんよ」
「…俺に嘘つく気なのかよ」
「嘘なんてそんな…っ」

確かに苦しい言い訳ではあるが、焦凍くんはあの場にいなかったのだからこの言い訳でも通用するはずだ。なのに何故彼は他者が火傷を私に負わせたと確信しているのだろうか。

「いつ、何処で炎系のカードを使う必要があったんだ。例え敵が侵入してきても、此処には全国から来たヒーローが警備している。観客席にもプロヒーローがいる。そんな中カードを使う場面なんか出てこねえだろ。それに目も腫れてるぞ」
「あー、えっと…」
「言えよ。誰にやられたのか」

焦凍くんの顔が言葉を重ねる毎に怖くなっていく。どうしようなんて話せば正解なのかが全くわからない。

いつまでも話さない私に痺れを切らしたのか、足音を立てて私に近寄って来た。私は無意識に後ろへ逃げるがすぐに壁にぶつかり逃げ道を失った。
焦凍くんの腕がのびてきたと思ったら、私の耳の横で大きな音が鳴った。更に私が逃げないようにと私の足の間に自身の足を挟め固定した。

今までとは比べ物にならない程の至近距離で心臓が暴れまわっている。正直今の焦凍くんはとても怖いし、体は竦んでいる。それでもすぐ側で感じる彼の息遣いに胸が締め付けられる。こんな感覚は初めてだ。怖いのに怖くない。今は俯いているその顔を私に見せて欲しい。

「焦凍くんが、なんで…そんなに、怒っているのかが私にはわからないのですが」
「…あいつにやられたんだろ…」
「えっと、あいつとは?」

俯いた顔を勢いよく上げ彼は私を睨んだ。

「分かってんだろ!クソ親父だ。あんたのその火傷はあいつがやったんだろ!」

左手で私を閉じ込め、右手で私の頬をゆっくりと触り冷やしていく。言葉とは裏腹なその行動に彼の根っからの優しさを感じた。

「お前、あちこち火傷しるのに痛くなかったのかよ」
「頬はなんかじんじんするなぁ、とは思ってましたけど火傷してるとは思いませんでした」

焦凍くんは落ち着きを取り戻したようで、いつもみたいに話してくれた。それに安心して思ったことを言うと、焦凍くんは深い溜息を吐いた。吐いた息が顔にかかる。いまだに近いこの距離に私は気が気でなくなってしまいそうになる。触れられている頬は冷やされている筈なのにとても熱い。

違う。私の顔が熱を孕んで熱いんだ。

赤くなっている顔を見られたくなくて、蓋をした気持ちを開けないようにと顔を俯かせると、焦凍くんは許さないと言わんばかりにすぐに私の顔をあげた。

「顔、赤いな」
「…み、ないでください」
「けど、熱あるのかもしれねえし」

今朝のやり取りを彷彿させる。あの時彼が私の肩を押したのは、赤くなっていたであろう顔を見られたくなかったからなのかと、どうでもいいことを考えないとこの状況に耐えられない。
私が焦凍くんの胸に火傷をしていない右手を当て、押し返そうとするが彼はびくともしなかった。それだけではなく、近かった距離を更に詰めて顔を近づけた。

「跡、残るかもしれないな。リカバリーガールのところへ行くか?」
「いえ、そんなに重くないでしょうし跡くらいなら魔法で消せます」
「…俺の氷を消したやつか」
「はい」

彼は頬に触れるのをやめて今度は私の目の上に手を翳した。視界は暗くなり自然と目を閉じた。すると、手が触れられている箇所が冷たくなって、腫れている目が冷やされていく。
顔が熱い。これでは赤くなっている顔が隠せない。
腫れも良くなったであろ頃に、もう大丈夫だよ。と言葉にしながら瞼の上にある手に私の手を重ねた。焦凍くんは私の目を確認すると触れていた方の手を掴みそのまま私の手を引いた。
手を引かれながら移動した先にはパイプ椅子がありそこに腰をかけた。
やっと離れた2人の距離にホッと息をついた。

「で、なんで火傷をするやような事になった」
「えっと、意見のぶつかりあいですか…ね?」

彼は机に肘を起き真っ直ぐに私を見つめた。唯一の出入口は彼の後ろにあって逃げることは出来ない。もう炎司さんによって怪我をしたとバレているのだから素直に白状してしまった方がいいのだろうか。
無表情で見てくる彼の目は私の言う事を真実かどうか見定めている様だった。

「えっと、さっきも言いましたけど…、意見のぶつかり合いと言いますか、少しだけ口論しただけですよ」
「それで暴力か」

その言葉には苦笑いするしかなかった。すると今度は焦凍くんが口を開いた。

「…思い、出せないんだ。母の言葉を」
「…はい」
「俺の話をする。お前に、柚華さんに聞いて欲しい」

焦凍くんは自身の出生を、どんな15年間を生きてきたかを話してくれた。炎司さんがNo.1ヒーローと謳われるオールマイトを超えたいがために都合のいい個性を持った焦凍くんの母と結婚したこと。焦凍くんが兄弟の中で丁度よく2人の個性のいい所取りをしている事。自分の存在が母を苦しめていた事。左目の火傷は母によって出来たこと。実の父親である炎司さんを強く恨んでいるその理由を。ゆっくりと吐き出されるその言葉に彼はどんな意味を込めているのだろうか。

「だから俺は母にもらった個性だけで使って一番になることであいつを完全否定する」
「…前にも言いましたね。そんな顔して語る夢は夢ではないと」
「あぁ、だけど俺はそれ以外の道に生きる気はない」

そう言い切った焦凍くんの表情は何処か悲しげだった。

そうじゃない。そうじゃないんだよ。

教えてあげたい。憎しみを持ち続けたまま生きるなんてそんな悲しい人生を歩んでも何にもならない事を。
私はあの時のように焦凍くんの頬を両手で包み、彼と向き合った。
今度は抵抗されなかった。

「聞いてください。きっとこれで最後だから伝えられなかったら私は後悔してしまうから」
「…?」
「貴方がこの世に産まれた時から持っていたものは全てあなたのものです。だから貴方の、焦凍くんの個性だって貴方のものです、他の誰のものでもありません」

焦凍くんは顔を俯かせながら小さな声で呟いた。

「俺は、あいつによって作られたんだ」

よく耳を澄ませないと聴きこぼしてしまうほどに小さな声だった。十数年そう言われ続けていたのだから私の言葉一つで考え方が変わるとは思っていない。けれど、少しでも彼が前を向けるように、憎しみから解放されるように言葉にして伝えたい。

「焦凍くんは焦凍くんだけの夢を追いかけてもいいんですよ」
「俺の…」

焦凍くんの言葉の続きを聞くことは出来なかった。室内、いやスタジアム中に爆音が鳴り響いたからだ。
この爆音はなんなのか敵に襲われているのかと考えていると彼が答えを出した。

「…爆豪か」

無表情のまま冷静に答えを導き出した彼は立ち上がり私の手首を握り歩き出した。鍵を解除してドア開け早歩きで歩き出す。私は小走りでついて行くのに必死だった。どこに向かっているのかもわからない。何も言ってくれない。私からは彼の背中しか見れない。
なのに、心臓がゆっくりと脈打つ。

蓋をしたはずの気持ちが零れそうになる。これはダメだ。このままだと閉じ込めた気持ちが溢れ出す。

「しょっ、焦凍くん!手を、手を離して!ちゃんとついて行くからっ!」
「…ああ、悪かった。速かったな」

そういう理由で離して欲しかったわけではないので苦笑いをしてしまうが、彼が立ち止まり、手を離してくれたので良しとしよう。

残念だと思った事は頭の隅に追いやって、私は歩きながら何処に行くかを聞いた。

「えっと、何処に行こうとしてたんですか?随分と急いでますけど」
「観客席まで柚華さんを送ろうと思って。急いでいるのは、爆豪の次が俺の試合なんだ」
「そしたら私なんか置いて行ってください!焦凍くんの知っている通り、私は知り合いのいる所まで案内してくれる魔法も使えますし」

今も爆豪くんが試合をしているとは限らないから急いでいるのは分かるが、何故私を観客席まで送ろうとするのかがわからない。

「お前どうせあいつの、クソ親父の所に行くんだろ」
「…そうですね」
「お前を怪我させた奴の所に行かせるわけないだろ。だから俺が適当な場所に連れて行く」

それって焦凍くんが炎司さんから私を守ってくれるみたいに聞こえるんだけど、違うんだよね?焦凍君が私に好意があるように聞こえるんだけど、勘違いしちゃダメなんだよね。焦凍くんは自分みたいな目に遭わないようにってしてくれてるんだよね。優しい貴方だから私じゃなくても同じことをするんだよね。

勘違いしちゃだめだ。

「優しいんですね」
「……普通だろ」

ほらね。

蓋をしたはずの気持ちが彼の優しさに期待してしまう。だめだよ。彼の中で私との婚約を破棄することは炎司さんに抵抗する手段の一つでしかないのだから。彼にとって私の存在はそれだけの価値なのだから。彼にとやかく言うのは私のエゴでしかないのだから。

そうこう言っている間に観客席付近まで着き、いつの間にか走っていた足を止めた。ここまでくればもう大丈夫。そう思い焦凍くんに声をかけた。

「ここまで来たらもう大丈夫ですよ。焦凍くんは早くステージに行ってください」
「ああ…一番前で、見ててくれないか」
「分かりました。しっかり見ておきますね!…さぁ、頑張って下さい!」

焦凍くんは頷くと私に背を向けて走り出した。その背中が見えなくなるまで見送って、言われた通りに一番前で見ようと下に続く階段を降りた。付近には彼のも思惑通り、炎司さんの姿はなくステージ腕相撲している2人に盛り上がっている観客しかいなかった。

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