緊張の所為もあり、放課後まであっという間に過ぎたがこの雄英高校ヒーロー科は7限目まである為、その分の疲労感がどっと押し寄せてきた。
疲れた…。他の授業は兎も角ヒーロー科特有の授業には普通についていけない。
頬杖をつき、教科書を睨んでいると茶髪のボブカットをした可愛らしい目をした女の子が近寄って来た。
あれは確か麗日お茶子さんだっけ?
このクラスは女の子が少ない為比較的女の子の名前は覚えやすかった。
「佐倉さんすごい疲れた顔してたけど大丈夫ですか?」
「敬称も敬語もいらないよ。普通に下の名前で呼んでね」
「ありがとう柚華ちゃん!私の事もお茶子でいいよ!」
お茶子ちゃんの笑顔にものすごく癒される。なんだこの可愛い子は。
「そう言えば轟くんと知り合いなんだっけ?」
「あー、うん」
「何処で知り合ったん?」
こてんと首を傾げるお茶子ちゃんの可愛さにまた癒されながらも視線は焦凍くんに向けていた。炎司さんからは話してもいいと言われていたが、本人の意思なく私がベラベラ話していい内容でもないだろう。
後に振り返ってくれないかな…。
いくら視線を送っても焦凍くんは鞄に荷物を詰めるだけで私の方を見てくれず、お茶子ちゃんが私の視線を受け取った。
「あ、ごめんね!話しづらい話題だったよね!」
「ううん、そうじゃないんだけど…ごめんね」
眉毛を八の字に下げて申し訳なさそうに謝られてしまい、私も謝ると焦凍くんが私に声を掛けてきた。
タイミングが悪いというのか合わないというかなんというか。
「帰る前に職員室に寄ってもいいか?」
「いいですけど…」
「2人一緒帰るん?」
お茶子ちゃんの言葉に教室に残っていた生徒が食いつき、焦凍くんではなく私に詰め寄ってきた。
「佐倉さんだっけ?マジで轟とどーゆー関係なの?」
「あ、えっとね」
なんて答えようか迷っていると焦凍くんが私の腕を掴み、帰るぞ。と声をかけて歩き出した。私の腕はあの時のように掴まれたままで少しもたつきながら鞄を肩にかけクラスの人に声をかけた。
「また明日!」
「あ、うん!また明日ね」
お茶子ちゃんの戸惑った声は聞こえたけど姿を見ることは出来なかった。
「焦凍くん!いきなりどうしたんですか?」
「…あんまりクラスの奴ら、特に男子には一緒に住んでること言うなよ」
「何でですか?」
「なんでもだ」
理由を何度聞いても答えは一緒で私は聞く事を諦めた。ただ女の子に話してもいいのかと聞くと焦凍くんは首を縦に振り頷いた。
「分かりませんけど、わかりました」
私の顔はきっとうまく笑えてはいなかっただろう。けれども焦凍くんは振り返る事なく歩き続けていたから見られることはなかった。
その日の夜に連絡アプリを使って梅雨ちゃんにメッセージを送った。
“こんばんわ梅雨ちゃん、伝えたいことがあるの”
“こんばんわ柚華ちゃん、伝えたい事って何かしら?”
“今日ね私達が一緒に住んでるって事をなるべく内緒にするようにって言われたの…だから…”
“わかったわ。私も何も話さないでおくわね。峰田ちゃんに知られたら大変だろうし”
梅雨ちゃんの頭の回転の早さと気遣いの良さには見習いたいものがある。ありがとう梅雨ちゃん。と返すとカエルのスタンプが送られてきた。スタンプまでカエルで可愛い。
焦凍くんが男子には特に話すなって言ってたのは何でだろう。別に私焦凍くんの弱点とか家での過ごし方とか誰かに言うつもりないのに。
そんなに信用されてないのかな?
最近は打ち解けて歪ながらも家族のようになってきたと思っていたのはどうやら私だけようで深い溜息を吐いた。
勘違い情けない。焦凍くんは警戒心強いみたいだし、無意識的にまだ私の事を本当の意味で受け入れてくれてないのかもしれない。
それなのに勝手に胸をときめかせたりして恥ずかしいことこの上ない。
「はぁ、打ち解けたと思ってたんだけどな」
もう一度溜息を吐き、シャープペンを握り教科書に向き合った。ヒーロー情報学、基礎学等のヒーロー学は皆より完全に遅れをとっている。頑張らないと追いつかない。
「…焦凍くんに報告した方がいいのかな?」
時間を見ると23時を回っていて隣の部屋に今なら行くのははばかられるので、連絡アプリでメッセージを送ることにした。
“お休み中にすみません。梅雨ちゃんには内緒にしてねと伝えときましたので安心して下さい”
iPhoneの画面を暗くして教科書に向き合うとすぐにiPhoneが小刻みに揺れた。
電話…?誰からだろう。
チカチカと光る画面には焦凍くんの名前が表示されていた。
えっ、起きてたの?もしかして起こしてしまった?
私は慌ててiPhoneを取り、画面を指でスライドさせて耳に近づけた。
「…遅くに悪い」
聞こえたきた声は寝起きのものとは違ってはっきりした声だった。
よかった。睡眠の邪魔をしたわけではなかった。とほっと胸をなでおろして焦凍くんの言葉を待った。
「蛙吹の件、ありがとうな」
「いえ、お礼を言われる程ではありません」
焦凍くんは少し沈黙をおいてから私の名前を呼んだ。
「柚華さん…」
その声は緊張を孕んだようなどこか固い声に息を飲んだ。何を言われるんだろう。全く想像が出来ない。
「…なんで俺に敬語なんだ?」
「……へ?」
唐突な言葉に一瞬思考が停止した。いきなり何を言っているんだと思いつつも答えないわけにはいかないので稼働しきれてない脳でたどたどしい声を発した。
「そ、れは、ご厄介になっている家の方ですし」
「あいつに世話になっているから俺にもって事か?」
「…平たく言うとそうですね」
瞬間。しまった、間違えたと正直思った。2人の間に流れる一瞬の沈黙が私にはとても長く感じた。
「…俺は、俺だけを見てほしい」
「見てると思うんですが」
「…知ってる、けど今日の件を含めて俺に遠慮している」
えっと、つまり焦凍くんは私とぶつかり合える仲になりたいという事なんだろうか。と言うか今日の件は焦凍くんが何も答えてくれなかったくせに。と心の中で悪態をつく。
「えっとつまり…」
「つまり、俺に敬語を使わなくてもいいって話だ」
そんな話だっただろうか。電話で相手の顔が見れない分彼の伝えたい事が分からなかったのだろうか、と思ったがそんな事は無いと考えを一蹴した。
「わかりまし…わかったよ。敬語止めるね」
「ん」
ほっとしたように息を吐くように彼が返事した。
私は彼の部屋と私の部屋を隔てる壁に手を当てた。
この壁の向こうに穏やかに笑う彼がいる。
見たかったな。
そろそろ電話を切ろうと壁から手を離し、そのまま立ち上がり窓に近づいた。空を見ると当たりは深い闇に包まれている中柔らかく輝いている月が綺麗な円を描いていた。
「焦凍くん!満月ですよ!」
「敬語」
「あ、ごめんね」
窓を開けると少し肌寒い風が部屋の中に入ったが気にすることなく軽く窓の外に身を乗り出した。すると隣からからからと窓を開ける音が聞こえ、乗り出したままの顔を横に向けると焦凍くんが窓から顔を出した。
「焦凍くん!」
iPhoneを片手に握ったまま端末を通さないで話しかけると鳴音が響いた。耳に障るその音に顔を顰めると焦凍くんが無表情のまま電話を切った。
ぷつり。と音が小さく聞こえた。
「焦凍くん」
「なんだ?」
今まで使っていた敬語を急に止めるのは中々難しいが慣れていきたい。受け入れられていないのかもしれないと思っていた焦凍くんからの私への甘えだと思ったから。
「月が、綺麗で…だね」
「っ!…そう、だな」
焦凍くんは大きく目を見開いてほんのり頬を染めながら穏やかに笑った。どれも微少な変化でよく見てないと見逃してしまうようなものだったけど、私の目にはゆっくり動いて見えた。
見たいと願った彼の笑った顔は想像よりも穏やかで優しげでゆっくりと私の胸を締め付けた。頬が熱を持ち、吐き出す息が熱を孕む。
彼を出会ってから何度も経験したこの感覚は、この感情は何度も私が蓋をしてきたものだ。
やめて、溢れないで。蓋を開けないで。
「どうした」
彼の声にぎゅっと目を瞑り首を横に振った。彼の顔はもういつもと同じ顔だった。私もいつもと同じ顔に戻さなきゃ。この熱を早く冷まさなきゃ。
「何でもないよ。もう寝るね、おやすみなさい」
「あぁ」
「…良い夢を」
きっと素っ気なかったと思う。けれどすぐ冷めそうにないこの頬を見られたくなくて窓を閉めた。
時刻は23時36分。
あと30分足らずで明日が来る。
私はそそくさと床につき目を閉じた。
窓からは月明かりが差し込んでいた。
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