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“今日退院出来る。17時には病院を出れる。来れるか?”

連絡アプリで届いたそれを見て深い溜息をついた。正直焦凍くんに会いづらい。勝手に勘違いして、期待した。

「怪我の具合が悪いって言おうかな…」

それはダメだ、嘘になる。嘘はいけない。それに逃げる為の言い訳だ。彼に対して逃げたくない。

それなら行こう。

いくら考えても会う理由はあっても会わない理由がないのだから。

私は時間までに間に合うように家を出た。ここから保須病院まで距離があるので公共機関ではなく空を飛んでいった。

病院の中に入り焦凍くんに連絡を入れた。

“玄関付近の待合室で待ってるね”

すぐに既読が付き返事が来た。

“わかった”

その言葉を確認して私は待合室のソファーに座って待つ事にした。そして昨日の事と、今日の事を思い返した。ヒーロー殺しに斬られそうになった焦凍くんを庇って、話があると言われた。その話とは今日のエレベーターの事だろうか。

…それだといいのだけど。


「悪い待たせた」
「待ってないよ」

時間より早めに来た焦凍くんは私の前に手を差し出す。それを見て私が手を差し出すと人肌より冷たい手が私の手を握って引き上げた。焦凍くんはそのまま私の手を繋ぎ歩き出したので、私もその手を解くことなくついて行く。

「あの、焦凍くん…昨日、言ってた事って」
「…あの時、柚華さんが俺を庇った時、心臓が止まるかと思った。何してんだよって怒りたくなった」

私の顔どこか前も見ず、下を向いて話し出す焦凍くんの歩く速さはいつもよりもうんと遅くて、今にも止まってしまいそうだった。

「…ごめんなさい」
「違う、俺のエゴだ。俺はお前を守れると思った。けど守られたのは俺の方だった。それに対して怒るのは俺の我儘だから…」

下に向いていた顔をあげて私を真っ直ぐに見る。歩くのを止め、夕日に照らされた焦凍くんの瞳は昨日よりも熱を帯びていた。

「だから、俺が言いたかった事は守ってくれてありがとう。生きていてくれてありがとう。だ」

焦凍くんに触れる手が熱い。胸の奥が擽ったい。
私は自然と緩む口元を抑えずに、へらっと笑い繋がれてる手を強く握った。

「うん、守れてよかった。焦凍くんが生きててよかった」

好きな人を守れてよかった。

いつの間にか腰に回されていた焦凍くんの手が私を引き寄せる。頬が硬い胸板に当たった。痛いくらいに私を抱き締めているのに、まだ足りないと言うかのように私の首筋に顔を埋めた。肌に擦るように触れる焦凍くんの吐息が妙に擽ったい。

「んっ、焦凍くん…?」
「もう少しこのままでいてえ」

焦凍くんを抱きしめたくて繋がれてない手を背中に回すけど、それだけじゃ満足出来なくて繋がれている手を解いてもらおうと声をかけた。

「手、離して」
「…やだ」
「私も焦凍くんを抱きしめたい」

焦凍くんは一瞬握っている手に力を入れた。ゆっくりと解かれる手に勝手に寂しさを感じたが、両手を背中に回すと、焦凍くんへの愛おしさで胸の奥が溢れた。
高鳴る心臓に心地よさを覚え、時間の感覚が分からなくなった。夕日に照らされた影が一つになってた時間は数秒程度だったと思う。だけど私にはそれが長い時間に感じた。

「柚華さん、俺を見て」
「ん」

言われた通りに焦凍くんの温もりを感じる、少しだけ固い制服の生地から顔を離して、上を向く。
柔らかく蕩けるような瞳に目が奪われる。見たこともない彼の表情に大きく心臓が高鳴った。

「柚華…」

顔にかかる焦凍くんの吐息が熱くて、形のいい唇に目がいく。昨日みたいに頬にキスをされるのかと思いぎゅっと目を瞑り頬を彼に向けると、焦凍くんは一瞬動きを止めて私の頬に、人肌より暖かい手を添えて正面を向かせた。

「逸らすな」
「あ、…」

一瞬唇に触れたものは焦凍くんのそれだった。すぐ離された唇は啄むように重なる。次第に形を確かめるように緩くゆっくりと深くなった。

「ふ、…んぅ」

キスなんてしたことない私が息継ぎの仕方なんて分かるわけがなく、すぐに限界を迎え、焦凍くんの背中でぎゅっと手を握るとやっと解放された。

「はぁ…はっ」

大きく息を吸う私とは違い焦凍くんは目を細め口の端を緩やかにあげて余裕そうに笑っていた。それが悔しくって睨むように焦凍くんを見たが、彼はまた私の唇を奪った。角度を変えながら深くなる口付けに思わず頭を引くが後ろに回されていた手がそれを許さなかった。

「逃げるな」
「ふっ…ん」

もうダメだと、生理的な涙を浮かべ背中を叩くと最後に唇を舐められた。呆気に取られて目を丸くして焦凍くんを見ると、視線がかち合う前に私に背を向けて歩き出した。

「しょ、焦凍くん?!」
「帰るぞ」

焦凍くんの腕を引き止めようとしても、逆に手を握られ引っ張られた。斜め前を歩く焦凍くんの髪の隙間から見えた耳は紅く染まってて、彼は照れているのだとわかった。

私だけじゃなかった。

頬に集まる熱を冷やすように片手を頬に当てるが意味を成さなかった。


その日の夜いつになっても冷めそうにない頬を両手で挟んで、冷やしながらゆっくり考えた。
あの口付けの意味は何なのか、焦凍くんの気持ちは何処にあるのか。私がどうしたいのか。

私は焦凍くんが好きだ。きっと彼も同じ気持ちだと思う。だけど私達は付き合えるのだろうか。いつか私は元の世界に帰る。そうなった時に私は耐えられるのだろうか…?

私は2人に将来がないのが分かっているのに、それでも彼に気持ちを伝えたいのだろうか。

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