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あの日、柚華さんにキスをしたあの日から妙にあの人がよそよそしくなった。最初は照れているだけかと思ったが、どうもそうではないようで、時折心ここに在らずと言った具合に何処か遠くを見る事が多くなった気がする。

柚華さんの気持ちを考えねえであんな事をしたからだろうか。

嫌だったんだろうか。そう思ってもあの日の柚華さんを思い出すとそんな事はないと言える。熱を孕み、紅くなった頬、漏れる吐息は熱く潤んだ瞳の奥に期待と欲があった。
確かにあの瞬間はお互いの想いが通じ合ったと感じられた。
蕩けるような笑顔を見て俺は初めて、人は幸せだとこんな風にも笑うのかと知った。

オールマイトを助けるという実習で白い翼を広げ、大空を舞う柚華さんを見て誰にも渡したくねえ、ここにいる誰かじゃなく、俺が彼女を守りたいと思った。


実習が終わり機動力という面でそれぞれの課題が見えた所で、更衣室でどうするべきなのか話し合っていると峰田が騒ぎ出した。

「芦戸の腰つき、麗日の麗らかボディ、葉隠の浮かぶ下着、八百万のヤオヨロッパイ、佐倉の魅惑ボディ、蛙吹の意外おっぱい!!」

峰田がそう叫んだ直後峰田の目に耳郎のイヤフォンジャックが刺さった。それだけでなく壁から細剣が出てきて峰田の頭のボールみたいな髪を真横に斬った。

「鋭さと正確さが強みの耳郎さんのイヤフォンジャックに未知数の能力を持った佐倉さんの細剣の凶悪コンボっ!」
「目がぁ!目がぁ!!」

緑谷がそう言いながらガタガタ震えてるが、もし耳郎が一瞬でも遅かったら、俺が峰田を燃やすか凍らすかしてたと思う。絶対に。
服の中身を想像される事すら許せねえのに、実物を見ようなんざ腸が煮えくり返る。


教室に戻り柚華さんと話し合おうとするがいつも蛙吹や麗日、芦戸達といて2人きりになれねえ。深い溜息がでた。
その後もチャンスはなく放課後を迎えようとしてしまった。このままだと家で話す他なくなるが、柚華さんは家事に俺との訓練に勉強と何かと忙しく部屋にでも入られたら話す機会がなくなってしまう。

さて、どうすりゃいいんだ。

俺の心境を知らない柚華さんが相澤先生のHRの時にぽつりと声を漏らした。

「…あれ?」

普段の教室の賑やかさだったら、かき消されている位の小ささだったが今は誰も喋らずに静かにしていた為、予想以上に響いた。

「佐倉どうかしたか?」
「いや、なんと言うかカードが足りない気がして…」
「…確認してみろ」

たかがカードが足りないだけだが、個性じゃない柚華さんの魔法に慎重になった相澤先生が指示すると柚華は机から本を取り出して中身を確認し始めた。数えてるカードが中盤に差し掛かった時に爆豪が声を上げた。

「なんだありゃ。おい鳥女!てめぇの仕業じゃねぇだろうな!!」
「はい?」

爆豪の声に前を見ると黒板に何かが映し出されていた。見たことがない制服に身を包んだ男女が仲睦まじく建物の中を歩いている。女は男の肩に軽く触り、男はそれに幸せそうに顔を緩めている。

「わ、四月一日…くん?」

柚華さんが信じられないものを見るかのように黒板に映し出された映像を見ていた。
四月一日とは黒髪の眼鏡をかけたやつの事だろう。

「鳥女!おめぇの仕業か!あぁ?!」
「…違うよ。私じゃない誰かが私のカードを使用してるんだと思う…だって…」

だって、その言葉の続きは映像に映し出された髪を巻いている女の悲鳴に遮られた。教室は騒然とし爆豪までも口を噤んだ。

柚華さんが四月一日と呼んだ男は背中を預けていた窓ガラスが割れ、そのまま落ちてしまったからだ。
ガタガタと椅子が動く音がしたと思ったら柚華さんが勢いよく飛び出し黒板に向かって走ったのが視界のはしに見えた。

「四月一日くん!!…っいだ!」

黒板に何処かぶつけた柚華さんは一瞬だけ痛がる様子を見せたがすぐに黒板に手を当て、映像の四月一日に向かって何度も呼びかけた。その叫び声は悲痛で目から涙を零していた。
映像に映る四月一日は頭部や背中、至る所から血を流していた。恐らく助からないであろう出血量で何人かの生徒は口を手で隠し目を伏せていた。

「お、おい佐倉、ただの映像だろ?そんなに必死になる事ねえだろ」
「…ただの映像じゃないよ、私はこのカードを使用してない。つまり誰かが使い私にこの状況を知らせようとしている」
「例え使える奴がいたとして悪戯じゃねぇのか?」

柚華さんはゆっくり首を振ると目を逸らさずに四月一日を見た。

「それはないよ。ひまわりちゃんの体質を知ってるのは極わずかな人間だから」
「…ひまわり?…体質?」

何を言ってるんだと誰かが呟いた時、黒板の映像の中にひらりと一匹の蝶が現れ、女の人の声を出した。そしてその蝶はこちらに向かって飛んで遂には黒板に映し出されている映像から飛び出して教室の中でひらりと舞った。

「侑子さん」
「柚華、貴方はどうしたい?」
「助けたい、お願い四月一日くんを生かして!」

蝶は対価が必要よ、と言い放った。

「なんで、人を助けんのに対価がいるんだよ!」
「そうだよ!善意なのに!」

何故人の命を助ける為に対価が必要なのかと何人かの生徒が口を挟むと蝶は何ともないように平然とした声で答えた。

「何かをするには必ず対価が必要よ。与えすぎても奪いすぎてもだめ、平等に均等に。この世界だってそうでしょう?敵を倒してお金をもらう。立派な対価ね」

ヒーローは確かに国から給料が出る。それを対価と言ってしまえばそれまでだ。後はそのヒーローの心構え次第だ。腐った心なのか正義感が強い心なのか。俺は職場体験のヒーロー殺しの事を思い出した。

「侑子さん、私の対価は何?」
「四月一日が流した血の4分1の血の量を流す事、今回受けた傷跡を一部貰うことよ」
「分かりました」

淡々と進む話についていけずにいると蝶は黒板の中に入っていった。それを見送り柚華さんを見ると体の至る所から血を流していた。

「柚華さん!」
「柚華ちゃん!」

俺や緑谷、麗日等何人かの生徒が相澤先生にもたれかかってる柚華さんに近づいた。
相澤先生は今日はもう解散だと宣言したがこの状況で誰一人として動ける人はいなかった。

柚華さんの頬に手を当てて顔色を見ると、彼女は涙を流していた。幸せそうに笑い何度もよかったと呟いていた。

俺じゃない誰かの為に流す柚華さんの涙を見て言いようのない不安にかられた。俺はこれから先この人の隣に立てるのか、この人が流す涙を拭う事が出来るのか。

2人の間に将来があるのだろうか。

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