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「おい、あれ!」

切島が黒板に指さすと天蓋付きベッドに寝ていた四月一日がゆっくりと目を覚ました。

「あの傷で生きとる…」
「佐倉さんが対価を払ったから…なのか」

“俺、生きて…”
“貴方を生かしてほしいと願った人達が対価を払ったのよ”

起きようとした四月一日に黒色の髪の長い女の人がそれを止めさせた。

人達…という事は柚華さんの他にも何人かの人間が対価を払ったのか。

俯き悲しげに笑う四月一日を見た柚華さんが声を出そうとするが、声が届かない事に気が付いたのか、何かを発する事なく悔しげに口を閉じた。

「佐倉、血は大丈夫か?」
「はい、すっかり止まりましたよ。グロテスクなんで今消しちゃいますね」

相澤先生の言葉に笑って頷くと鍵を杖に戻して呪文を唱えると、カードから道化師の服装をした女の人が出てきて、一枚の布で柚華さんごと血溜まりまですっぽり覆った。3つカウントして布を剥がすと、柚華さんが流していた血や床に溜まっていた血それに制服に付着していた血まで綺麗に消え去った。

「佐倉の魔法はなんでもありだな」
「なんでも、ではないよ。ヒーローやってたら限界はすぐに見えてくるよ」

それよりも、と柚華さんは立ち上がり黒板を見つめた。すると映像の中に悲鳴をあげた髪を巻いた女が四月一日が寝ている部屋に入ってきた。

「ひまわりちゃん」
“ひまわりちゃん”

2人にそう呼ばれた女は四月一日ににっこり笑って自身の生い立ちを話し始めた。表情を変えず、淡々と。

「関わる人が不幸になる体質って…」
「そしたら誰とも仲良く出来ねぇってことかよ」
「さっき佐倉が言ってた体質ってこの事か」

“これで分かったでしょ?私に関わると不幸な事が起きるの”
“そうかもしれないけど、俺はひまわりちゃんといると幸せだよ。一緒に話したり触れられたりすると天に昇る気になる”
“死んじゃうかもしれないんだよ”
“死なないよ。俺ひまわりちゃんのこと泣かしたくないから”

シフォンケーキを一緒に食べる約束をして女は出て行った。ちらりと見えた首元には痛々しい傷跡があり、この人も対価を支払ったのだとわかった。

「四月一日くん、四月一日くん!」
“柚華ちゃん?!”
「四月一日くん!」

繋がった。きっと柚華さんがいた世界と、今いる世界がこの場でこの教室で繋がったんだと、誰しもが思った。

瞳いっぱいに涙を浮かべ嬉しそうに笑う柚華さんは今にも駆け出していきそうで、無意識に手を握った。

“柚華ちゃんにも心配かけたのかな”
「うん。心配した。それにクラスの皆が四月一日くんが学校から落ちるところを見た」
“そっか、怖がらせたね”

苦笑いする四月一日に対して柚華さんは顔を俯かせて涙ぐんだ声をだした。

「怖かったよ。死んじゃうんじゃないかと思った、もう会えないと思った」
“ごめんね、お詫びに何か作るよ”
「そしたらフォンダンショコラがいい。甘くないやつ。沢山食べたい」
“わかった。大変そうだけど美味しいのちゃんと作るよ”

穏やかそうに笑う四月一日に安心したのかへらりと笑い耳を疑うようなことを言った。

「四月一日くん、大好きだよ」
“俺も柚華ちゃんが好きだよ”

俺が言われたことない言葉を俺じゃない男に向かっていう彼女にどうしようもない怒りを感じる。身勝手で傲慢な独りよがりの怒りだ。握っている手を強く握ると柚華さんは一瞬俺を見たがすぐに黒板に映る四月一日に目をやった。

「私ね…、やっぱりいいや。お大事にね」
“ん?…ありがとう柚華ちゃん。元気で”

黒板が真っ暗になった途端ひらりと1枚のカードが柚華さんの足元に落ちた。黒板は元に戻っていて、普段と同じ姿になっていて、今見たことは全て夢だったのだろうかと錯覚してしまうほどだった。

「柚華ちゃん…今のって、その…彼氏?」
「大好きとかって言ってたし」
「マジかよ佐倉の彼氏かよ!」

そう騒ぎ立てると爆豪が机を足で蹴り立ち上がった。ずかずかと柚華さんに近寄り胸ぐらを掴み自身の方に引き寄せた。

「今の何だよ!なんであんなに血ぃ流してたのに治ってんだよ!!」
「…対価を払ったからだよ。四月一日くんを生かしてくださいって何人かが」
「対価を払えりゃ死ななくていいんかよ!」

緩く首を振ると爆豪の手に自分の手を重ねて口を開いた。

「いつかは皆死ぬよ。私達がしたのはそれを先延ばしにしただけ。侑子さんは強い魔力を持っていて対価を払えば願いを叶えてくれるの」

爆豪は食い下がろうと口を開けたがそれよりも早く柚華さんは女子達の方を向いてにこりと笑った。

「あと、四月一日くんとは付き合ってません。彼ひまわりちゃんの事が好きだし」
「…はっ、」

怒気が削がれたのか、爆豪は荒々しく柚華さんを解放すると、そのまま教室を出た。よろけた柚華さんを受け止めようと手を伸ばしたがそれより先に相澤先生が彼女を受け止めて血を流していた所を確認していた。

「念の為婆さんのところに行くか?」
「大丈夫です。痛みもありませんし」

それならいいがと相澤先生は出て行き、緑谷は約束が!と叫びながら教室を飛び出して行った。このまま皆が帰る流れになり、俺達も帰ることにした。

「荷物持つか?」
「大丈夫だよ」

柚華さんの気持ちは未だに分からないが、兎に角四月一日って奴が彼氏じゃなかった、って事だけでも収穫だろう。他のことはいつか聞ければそれでいい。

家に帰りいつも通りに飯を食って、道場で訓練する。そして風呂に入り寝る。これが俺のルーティンだ。だが今日の柚華さんが支払った対価が気になり隣の部屋にいる柚華さんを訪ねた。
傷跡を一部貰うこと。確かこれも対価だった筈だ。訓練した時に一瞬腹が見えたがそこに傷跡はなかった。そして映像に映ったひまわりと呼ばれた女の後ろの首筋に痛々しい傷跡があった。という事は後ろにあるのかもしれない。

「柚華さん、少しいいか?」
「どうぞ」

俺が知っても何も変わらない。傷跡がなくなるわけでもない。それでも知っておきたかった。

俺は扉を開けて柚華さんの部屋に足を踏み入れた。彼女はローテーブルに何冊か本を置き、クッションを抱えながら何かを読んでいた。

「どうしたの?」
「…背中痛むのか?」
「ん?…あぁ、対価の事?」

少し考える仕草をしたがすぐに俺の言いたいことが分かってにこやかに笑った。

「多分背中にあると思うんだよね。自分からじゃ見れないからわかんないけど」
「見てえ」
「…痛々しいしあんまり綺麗じゃないから」
「見てえ」

遠回しに断られたが何度も粘ったら柚華さんが折れてくれた。恥ずかしそうに顔を紅く染めて深い溜息を吐くと、俺に背中を向けて服の裾を少し上げた。

「一瞬だけだよ」
「ん、けど見えねえ」
「えぇ…」

柚華さんは何度も捲るが服の重力ですぐに肌が隠れて傷跡が見えない。恥ずかしそうに服を捲る姿は中々くるものがあったが、理性が働いている内に本題を済ませてしまおうと柚華さんに近づき、一気に服を捲った。

「ひゃ!」

柚華さんの白い肌に背中から腰まで縦に一つの傷跡があった。それを指でなぞると薄皮で神経が敏感になっているらしく柚華さんは俺の指から逃げるように前に身を乗り出した。

「ひゃっ、擽った、っい!」

まるで俺から逃げてるみたいで無性に捕まえたくなり、なぞる手とは逆の手を柚華さんの腹に回して動きを止めた。

「ん!焦凍くんもうやめてっ」
「もう少し」

傷跡に唇を乗せて吸い付くと柚華さんは敏感に反応した。緊張からなのか焦りからなのか分からないが少しだけ湿ってきた体に口が緩んだ。

そして気がついた。柚華さんの背中には何もないことが。部屋着は俺が捲ってるからカウントはしない。つまり下着もつけていない。

俺はすぐさま捲っていた部屋着を降ろして少し距離をとった。

これはダメだ。理性が欲に負ける。大事にしたいのにできなくなってしまう。
けれども俺の心境なんか知らない柚華さんは顔を紅く染めながらも俺に近づいてくる。
大体急とはいえ男が部屋に入るんだぞ、なんで下着をつけねえんだ。無防備すぎるだろ。襲われても文句は言えねぞ。それとも俺は男に見られてねえのか?

「焦凍くん?」
「柚華さん、俺も男なんだから少しは警戒をしろよ」
「男の、ひと」

口元に手の甲を当て、何かを思い出したかさらに顔を紅くさせ、視線を彷徨わせる柚華さんがあまりにも可愛くて理性なんて何処か遠くに追いやった。細い肩を押して柚華さんを押し倒して上に馬乗りになる。突然の事に逃げようとする柚華さんの両手を掴み指を絡ませると、ぎゅっと力を込めて握られた。

「ははっ」
「笑われた…」

可愛らしい行動に無意識に声を出して笑った。

俺を男として見てくれている。それだけでも嬉しい。一つ一つ気持ちを確かめながら2人の将来を歩んでいきたい。例えそれがどんな道でも俺はきっと幸せだから。

だから。

「好きだ。柚華さんが好きだ」
「…っ!」
「返事はいらない、何となくわかるからな。けどなんかに悩んでんのも知ってるから急かさねぇ」

ゆっくり考えてほしい。そう伝えると柚華さんは泣きながら何度も頷いた。好きだと何度も声に出しその度に唇を重ねる。2人の想いは確かに一つだった。

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