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お茶子ちゃんに揶揄されたその日、私は自室で1人勉強しているとあの時と同じカードがいなくなる気配を感じた。また何かが起こるのかと辺りを見渡すとiPhoneが眩しく光り、一瞬目が眩んだ。

「うわ!」

なんとも稚拙な言葉が飛び出して、1人恥ずかしくなる。けれどもiPhoneはそんな事はお構いなしに見覚えのある懐かしい部屋と、懐かしい人を映し出した。ソファに腰掛けて、艶のある長い黒髪を床に垂らし、蝶の絵柄が施された着物からすらりと惜しげもなく出された陶器のように白い足。この世を違う次元から眺めているかのような瞳で遠くを見つめて手にした煙管を口元に近づけた。

あれは、あの人は…。

「侑子さん」

私の言葉に反応してなのか、侑子さんはゆるりと首を回して私の方を見た。そして妖艶に笑い煙管の煙を吐き出し、私の名前を呼んだ。

“久し振りね、柚華”
「お久しぶりです」

そっちの生活はどう?なんて飄々とした態度で聞いてくる。全てを見透かしたようなその目は相変わらず私は苦手なようで目を逸らしたくなった。

「学校の人も、家の人もよくしてくれてます」
“そう、それは良かったわね”
「…侑子さん、私は元々この世界の住人だったんですか?私の両親は既に他界してるんですか?」

調べてもらった時に分かったんです。と付け加えたら侑子さんはあっさりとそれを認め、揶揄するように口角を上げた。

“そっちの世界は嫌なの?それとも、帰る場所がないと感じてるの?”
「……っ!私は何処にいるべきなのか分からないんです。この世界では死亡扱いになってるし、そっちの世界ではそもそも戸籍がない」
“そうね”

私は何処にも存在してない。確かに此処にいるのに足が地面につかなくて宙を彷徨っている、そんな感覚に襲われる。暗闇の中私が何処にいるのか、ここにいていいのか、私は何なのか。

“飛王は貴方の力を利用しようと貴方の両親を目の前で殺したわ。そしてあたしがこの世界に貴方を連れてきた。貴方がまだ幼い頃よ”
「それから育ててくれてんですよね」
“それがあたしの対価だったから”

私を育てるのが侑子さんが支払う対価だった。それは何に対する対価なのか。私をこの世界に連れてくる為の対価なのか。

“そして、クロウは貴方にカードを渡して自分の魔力を超えさせる、それがあの人の支払う対価。貴方はすくすくと育ちあたしの対価は払い終わったから元の世界に帰った”
「その対価はなんで…」
“…貴方が飛王を倒す為に、歪んだ世界から生まれた貴方をこっちの世界に連れてくる為よ”

私が1人でも飛王と戦えるように、利用されないように2人は私の事を育ててくれた。あの時感じた親の愛をひしひしと肌で感じる。
目頭が熱くなり、涙で視界が潤む。それでもこの気持ちを伝えたくて画面越しの侑子さんの顔を見つめた。

「ありがとう、ありがとう侑子さん」
“……四月一日がケーキ焼いていたわよ”

侑子さんの言っているケーキがあの時の約束の事だとすぐにわかり思わず大声を出してしまった。

「四月一日くん大丈夫なんですか?!」
“心配しなくても学校にも通ってるわ”

そうなのかとホッと胸をなでおろすと、部屋の扉が2回音を立て、焦凍くんの声がした。

「柚華さん何かあったのか?」
「あ!何もなくはないけど…」
“入ってもらいなさい”

私は侑子さんの言葉に頷いて立ち上がり、扉を開け焦凍くんを迎え入れた。焦凍くんは部屋に入るとすぐに部屋に異常がないか確認し、iPhoneに気が付いた。

“はじめまして”
「…はじめまして」

余裕の笑みを浮かべる侑子さんとは対照的に焦凍くんは警戒心を解ききれないような顔をして挨拶をする。その様子が少し可笑しくてつい声を出して笑ってしまった。

「ははっ」
“そんなに警戒しなくていいわ。あたしは柚華がいた世界でお店を開いている者よ”
「あんたが侑子さんか」

ミセ、その単語を聞き焦凍くんはすぐに侑子さんだと辿り着いた。1回くらいしか話してないのにそれを覚えてられるなんて、流石焦凍くんとしか言いようがない。

「そう、この人が私を育ててくれた人」
「轟焦凍です」
“轟焦凍ね…柚華の彼氏?”
「侑子さん!!」

にやにやしながら聞く侑子さんを口調強めで叱ると焦凍くんがハッキリとした口調で侑子さんのふざけた質問に答えた。

「今は違いますが、そのうち挨拶に伺います」
「焦凍くん?!」
“あら、熱烈じゃない!やるわね柚華”

侑子さんは私を揶揄するような目で射抜く。そしてその瞳は焦凍くんに向けられ、ゆっくりと瞼を閉じた。

“その挨拶は今でいいわ。その時どうなっているかなんてわからないもの”
「それってどういう意味ですか?」
“選択は既にされ、時が来たって意味よ。止まっていた時間は動き出し、理が壊れかけ過去と今と未来が入り乱れている”
「…飛王って奴か」

でもそれと挨拶ができない、と何が関係するんだろう。理解ができなくて侑子さんを見つめたが彼女はそれ以外語ろうとはせず、代わりに四月一日くんの声が響いた。

“侑子さんケーキ出来ましたけどどうやって渡すんですか?”
「この声は…あの時の」
「うん、四月一日くんの声だ」

元気になったとは聞いていたが、実際にいつも通りの元気そうな声が聞けて心底安心した。よかった。本当によかった。無意識に隣に立つ焦凍くんの袖口を握っていたのか、焦凍くんが私の手を柔らかく包んだ。

“侑子さん何やって…柚華ちゃん?!”
「久し振り四月一日くん。ケーキ焼いてくれたんだって?」
“久し振り。そうなんだ迷惑をかけたから柚華ちゃんの好きなフォンダンショコラとあの場にいた人達にクッキーを作ったんだけど…”
「俺達にもくれんのか?」
“君は?”

画面越しに四月一日くんがクッキーを見せてくれると焦凍くんが少しだけ驚いた顔をする。それに気がついた四月一日くんが柔らかい笑みを見せながら焦凍くんに名前を尋ねた。

「轟焦凍です、傷はもう大丈夫なんですか?」
“心配してくれてありがとう、俺は四月一日君尋。えっと柚華ちゃんの彼氏かな?”
「ゆくゆくはそうなりたいと思ってます」
“今は違うの?”

見た感じ両想いっぽいけどと、頬に熱を持った私の顔を見ながら困ったように笑う四月一日くんに自然と言葉が出た。

「…私がこの世界を選んだら、四月一日くん達を捨てることになるのかなって思うと勇気が出ない。どっちも捨てたくないしでもどっちかなんて選べない。皆私の大切な人だから」
“少なくとも俺は捨てられたなんて思わないよ。柚華ちゃんが帰ってきたい時に帰ってくればいいと思ってる。それに帰るところが沢山あるなんて羨ましいよ”

君は自由だ。とにこやかに私に語りかけてくれる彼は何処か切なそうに見えたのは私の気の所為なのだろうか。四月一日くんに自由はないのかもしれない。常になにかに付きまとわれ、侑子さんの庇護の下生活する彼は確かに自由とは言いづらい。

「柚華さんがどっちの世界を選んだって受け入れてくれる奴らがいるだろ」
「うん…そうだったね」
“例え滅多に会えなくても俺はいつまでも柚華ちゃんが大切で大事な存在だよ”
「ありがとう…、四月一日くんが大好きだよ」
“うん、俺も柚華ちゃんが好きだよ”
“あら?あたしにはないのかしら?”
「俺には言ったことないくせに」

揶揄するように笑う侑子さんと割と本気で拗ねた焦凍くんを何とか宥めながらも対価を払い、無事に四月一日くんの作ったフォンダンショコラとクッキーをもらった。iPhoneの画面からお菓子が出てきた時は流石に目を見張ったが、まぁそれは仕方ないとして通話は終了したのだった。

「焦凍くんも一緒に食べようよ」
「…そんなにアイツのこと好きなのか?」
「あいつって四月一日くん?」

無言で頷く焦凍くんが何だか可愛くて、つい抱き締めてしまった。多少の恥ずかしさはあったがそれでも未だに拗ねてる焦凍くんが余りにも可愛くて抱き締めてしまった。

「そりゃ好きだよ。友達だもん」
「…他の奴にも言ったりすんのか」
「焦凍くんが嫌なら言わないよ。けど四月一日くんのはもう、おはようって挨拶するのと同じ感覚だから」

床に腰掛けて座る焦凍くんを立ち膝しながら抱き締め髪を梳くように頭を撫でるとその手を取られ、私の後頭部に焦凍くんの手が回った。ぐいっと引き寄せられすぐしたにあった焦凍くんの顔と接近して、唇が重なった。

ふわりと触れるだけのキスを何回かすると、焦凍くんが次第に腰を浮かして私の身体を支えながらも身体を押し、私の背中は床と密着した。

深くなるキスにお互いの指が絡むように握られた手に一瞬力が入る。ゴツゴツとした手の甲や指に否が応でも異性なんだと思い知らされる。
頭の後ろに回った焦凍くんの手は冷たくて冷やされてるはずなのに頭の中から与えられる熱に溶かされていく感覚に襲われる。

この気持ちを言葉にしよう。

でも今は苦しそうに眉間に皺を寄せ、瞳に猛獣が見え隠れする焦凍くんに酔いしれたい。

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