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「冬美さんただいま」
「お帰り…大変だったね」
「……はい」

炎司さんは一言も喋らずに玄関を上がり奥に行ってしまい苦笑いしながら靴を脱ぎリビングに足を向けると奥の部屋の方から壁に何かをぶつけるような大きな音が鳴り、冬美さんと様子を見に行くと、炎司さんが悔しそうに顔を歪め個性を使いモノや壁に当たり散らかしていた。

「そっとしておこうか」
「そう、ですね…そう言えば焦凍くんは部屋ですか?」
「まだ帰ってきてないよ?柚華ちゃんの所に連絡いってない?」
「来てないです」
「私の所にも来てないんだよね…全く何してんだろう」

疲れたから少し部屋で休むと言って部屋に戻り布団の上に寝転がると何日ぶりかの気がして、やっと張りつめていた緊張が解けたような気がした。
自分から行きたいと志願したけどあそこまで酷いなんて思わなかった。いや、きっとあの場にいた誰もがスピード解決すると思っていた。あれだけのプロヒーローを集めて挑んだんだから。

でも実際は平和の象徴と引き換えに終わった戦いだった。

「これからこの世界はどう動いていくのだろうか」

確実に言えるのは犯罪率の増加だ。悪への牽制として君臨してきた平和の象徴がいなくなることで、今まで影で隠れていた者達が暴れ出す。それを止めるにはヒーロー社会の基盤を見直す必要がある、と私は思っている。
だけどそれをするのにも時間がかかるわけで、その間に犯罪者がどんどん湧いて出てくる。
これでは実質的勝利は敵連合のような気がする。

…んー、考えが纏まらない。

頭に靄がかかってきて、私は抗うことなく目を閉じ意識を手放した。


何もない真っ暗な空間にぽつんと私だけがいる。そこに立っているはずなのに立っている感覚がない。

ここは何処なんだろう…?

ふらりと足を前に出して足の裏に感覚がないまま前に向かって歩き出す。どんなに歩いても何も変わらない。次第に私は歩いていないんじゃないかとすら思いはじめてくる。

何もない…。何も…。

急に不安に襲われ、両の手を顔に持っていき頬を触る。触られている感覚も触っている感覚もある…。不安を掻き出すかのように息を吐くと首筋に私じゃない誰かの手で触られている感覚がした。その手は私の顔に移動してするりと頬を撫でる。やめて…私に触らないで!

急激に意識が浮上し目が覚める。ハッと目を開いて首を回すと驚いた顔をして私を見る焦凍くんと目が合った。

「…どうかしたのか?」
「なんだか嫌な夢を見たような気がして…」
「そうか……触っても、いい…か?」

起き上がる私の肩に手を置きながら気まずそうに私に確認する焦凍くんの顔は相変わらず無表情に近い顔をしていたが、私には少しだけ照れているように見えてとても愛おしく思えた。
空を彷徨う焦凍くんの手を取り自分の頬に当て焦凍くんに近づく。沢山私に触れて欲しい。貴方になら何をされても構わない。そんな乙女心が伝わりますように、と思いと込めて口にする。

「触って、私を抱きしめて」
「ん、…温かいな」

焦凍くんの腕が私を包み込むように背中に回り柔らかく抱きしめられる。幸せなんだと実感できる、幸福に満ち溢れた時間が私が見ていた夢を忘れさせてくれた。
背中に回していた手を焦凍くんの肩に置き押し出すように軽く力を入れると、目尻を下げながらも熱を孕んだ左右で色の違う瞳と目が合う。ゆっくりと近づく顔に目を閉じる。ただ重ねるだけのキス。それだけなのに満ち足りた気持ちになるのは好きな人とするものだからだろう。

「柚華さん」

耳元で囁かれる名前は私の名前なのに違うように聞こえた。だけどそれすら心地よく、頭の中を溶かしていく。

もっとこうしていたい。もっと焦凍くんに触れていたい、くっついていたい。そんな私の願いが通じたのか、焦凍くんは私の唇を食べてしまうんじゃないかと錯覚するくらいに性急に大胆に口づけをする。時折私の下唇を軽く噛みそして舐める。自身の鼻から漏れる声は砂糖のように甘いもので恥ずかしくなる。

もっと、もっとと焦凍くんの背中に手を回し強く握ると、ゆっくりと押し倒された。深く繋がった唇が離され瞼を開けると熱っぽい瞳をした焦凍くうと目が合う。背中に回していた手を離して彼の頬に当てて撫でる。

「柚華さん…俺、」

言葉の続きは炎司さんがまた暴れ出したことで聞くことが出来なかった。突然の音に吃驚して頭だけ起こして入口を見る。当たり前だけど変わった様子もない。それにホッとして息を吐く。熱に浮かれた頭は急速に冷えてこの状況に恥ずかしさが募る。

「しょ、焦凍くんっ!」
「はぁ…」

取りあえず退いてもらおうと声をかけると焦凍くんは深いため息を隠すことなく吐き、私の上から退いてついでに起こしてくれた。

「ありがとう」
「いや、押し倒したのは俺だからな」
「……そうだけど…」

そんなことを改めて言われると恥ずかしくて顔から火が噴き出そうになる。赤くなった顔を隠そうと下を向くと膝に置いた手に彼の冷たい手が重なった。

顔を上げると目が合い、彼は目尻を落として柔らかく笑う。焦凍くんは最近いろんな表情を見せてくれるようになった。緑谷くん達と仲が良くなって乏しいながらも表情の変化がわかりやすくなった。私はそれがとても嬉しい。

「焦凍くん」
「なんだ?」
「おかえりなさい」
「あぁ、ただいま」

平和の象徴がいなくなった事でますます犯罪率は大きくなるのは間違いがない事だ。そして飛王の野望も終わったわけじゃない。この幸福な時間をいつまでも感じていたいのに、世の中はそんな事をさせてくれない。





夏休み中盤雄英高校から1通の手紙が届き、中を開くと全寮制導入のお知らせで家庭訪問に伺うと日時が記載されていた。オールマイト先生の引退後実質的なNo.1ヒーローはエンデヴァーさんになり、実力的に超えたかった本人的には認められず、暫く篭って暴れていたが、それも収まり手紙に記載された日になると仕事をお休みして家にいてくれた。

インターフォンが鳴り出迎えるとスーツを着た相澤先生とオールマイト先生が立っていた。スーツ姿の相澤先生が見慣れずに一瞬時が止まってしまったが、なんとかそれを繕って中に案内する。

「お疲れ様です先生方」
「いや、その、エンデヴァーはどうなんだい?」
「…あの日は納得がいかなく荒れましたが今はそんなことなく、至って普通に仕事をしてますよ」
「私、彼に嫌われているから少し心配だよ」
「あぁーそれは覚悟した方がいいかも知れません。きっと沢山嫌味を言われますよ」

オールマイト先生はあからさまに肩を落として溜息を吐いた。申し訳ない事を言ってしまったと思い、後ろを振り返り苦笑いしていると、相澤先生に見られている事に気がつき首を傾げる。

なんだろう?

私が声をかけるよりも先に先生方が来たら通すように言われていた部屋についてしまい、廊下から声をかけると炎司さんの返事があったので中にお通しする。
飲み物は冬美さんが持っていってくれるのであとは、帰りのお見送りをするだけだ。
その間にやれる事はやってしまおうと思い、掃除用具に手をかけた。

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