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仮免試験を受けたその日の夜、私は夢を見た。何もない暗い空間に桜の花弁が散っては舞っている。空間全体は暗いのに不思議と恐怖は感じず、寧ろ安心すら覚える。

「ここは…?」

ぽつりと漏らした私の声に反応するように懐かしい声が私の名前を呼ぶ。

「柚華ちゃん」
「その声はサクラ、サクラちゃんだね」

柔らかい声で私を呼ぶが姿を見せてくれない。何処にいるの?前に夢に出てきたサクラは貴方なの?

言葉だけが反響して消えて行く。
どうして返事をくれないのだろうか。そんな疑問が頭の中を掠めた瞬間、舞っていた筈の桜が風向きが変わったように強風を纏いながら私の方に向かって来た。
強風で流される桜の花弁から守るように、両手を顔の前に出し目を固く瞑る。強風は一瞬だけだったようで、すぐに止んだ。何事かと目を開けると夢から覚め、見慣れつつある天井が目に映った。

「夢…」

“夢(ドリーム)”が見せた夢だ。

上半身だけを起こしてiPhoneで時間を見ると、もう起きても差し支えのない時間だったので、そのまま制服に着替える事にした。寝間着を脱いだ時に首にぶら下がっている鍵が揺れる。普段は気にならないものなのに、あの夢を見た後だからか、この鍵とお別れする日が近づいているのかもしれないと、呆然と思った。

「侑子さん」

こんな時、侑子さんに聞けば大体の事は教えてくれた。でも今はいないから自分の力で考えないといけない。それがこんなにも心細いなんて思わなかった。


夏休み明けの始業式。昨夜問題を起こしたらしい緑谷くんと爆豪くんは寮内謹慎となり出席出来ず、2人がいないまま私達は青空の下始業式を行い教室に戻った。

「じゃまぁ…今日からまた通常通り授業を続けていく。かつてないほど色々あったが上手く切り替えて、学生の本分を全うするように。今日は座学のみだが後期はより厳しい訓練になっていくからな」

久し振りに相澤先生の先生みたいな話を聞いた気がする。そんなに話す事がないのかななんて思っていたら梅雨ちゃんが手を上げて先生に質問をする。

「さっき始業式でお話に出たヒーローインターンってどういうものなのか聞かせてもらえないかしら」

梅雨ちゃんの質問に続くように百ちゃんが挙手をして先生に質問をする。

「先輩方の多くが取り組んでいらっしゃるとか…」

相澤先生は一瞬考えるような素振りを見せて、質問に答えてくれた。

「それについては後日やるつもりだったが……そうだな。先に言っておく方が合理的か…平たく言うと校外でのヒーロー活動。以前に行ったプロヒーローの下での職場体験…その本格版だ」

私で言うと神野事件がそれにあたるんだろうか…?
と、言っても仮免許証がなかったからあくまでも、学校での戦闘服は着なかったが、もし私が仮免許証を持っていたらそれは公式に雄英生徒として、戦闘服を着てあの場に立てたのだろう。

お茶子ちゃんが体育祭の頑張りはなんだったのかと、声を大にして相澤先生に質問すると相澤先生は、コネがないとできない活動だから、体育祭の時に活躍しないと活動自体が難しいとお茶子ちゃんに落ち着くように諭す。

「元々は各事務所が募集する形だったが、雄英生徒引き入れの為にイザコザが多発しこのような形になったそうだ。仮免を取得したことでより本格的・長期的に活動へ加担できる。ただ1年生での仮免取得はあまり例がないこと。敵の活性化も相まってお前らの参加は慎重に考えているのが現状だ。まぁ体験談なども含め後日ちゃんとした説明と今後の方針を話す。こっちの都合があるんでな」

相澤先生はそう言うや否や廊下に向かって話しかけた。するとプレゼント・マイク先生が勢いよく入ってきて、テンション高く英語の授業を始める。といっても授業自体はごく普通の授業で校内で生活しているのに、学校だぁとほっこりする。

けど、眠たい…。
プレゼント・マイク先生の授業がつまらないわけではないし、気温だって私にはほんのり暑いとすら感じている位なのに気を抜けば寝てしまいそうだ。

「柚華、柚華…」

頭の中で侑子さんの声が反芻する。懐かしいと感じる声に目を閉じてしまう。当たり前のようにプレゼント・マイク先生の声が遠くなり、代わりに侑子さんの声がさっきよりも鮮明に聞こえる。

侑子さん。私夢を見たの。サクラちゃんに話しかけられている筈なのに姿は見えないの。これって何かの意味があるんだよね。

「よく聞きなさい。選択はなされ時は今動き出し、止っていた時間は進みだした」

どういう意味なの?

「今にわかるわ…貴方に幸多からんことを」

侑子さん?!待って!

侑子さんに話しかけても返事がなく、沈んでいた意識が急に浮上した。ハッと目を開けると、目を閉じる前の授業風景で私はまた夢を見たのだと思った。黒板に書かれた文字は増えてはいるが、丸々違う訳ではない。時間にしてほんの数分だったのだろう。その数分で侑子さんは私に意味深な言葉を残して消えてしまった。

幸多からんことをって何?なんでそんな事を言われないといけないの?今までそんな言葉をかけられたことがない。勿論侑子さんの無茶なお使いに行った時にもだって…まるでもう会えない人に話す言葉のように感じる。






胸のざわつきが治まることなく1日の授業が終わってしまった。何をしても集中することが出来ず、ずっと上の空状態で焦凍くんや百ちゃん方に早く休んだ方が良いのではないかと心配をかけてしまった。

「そうしようかな」
「きっと仮免の疲れが抜け切れてないんですわ」
「そう、なのかな」

身体的にってよりも精神的に疲れているような気がする。今日の夢の真相が気になって仕方ない。夢なのだから寝ればまた見てしまうかもしれないが、疲れを癒すには体を休める事が1番だ。

「そしたら私寝るね。おやすみ」
「大丈夫か?」
「何かあったら言ってくださいね」
「2人ともありがとう」

賑やかな皆に水を差さないように静かにその場を後にして部屋に入る。雲に茜が差し赤く染まっている。もう間もなく太陽の光が月に反射して淡い光だけが射す時間になる。

制服を脱いで寝間着に着替えベッドに潜るが瞼が重くなることはない。授業中はあんなに眠たかったのにだ。いつか眠れるかもしれないと目を瞑りただ息をしていると部屋の扉がコンコンと軽い音を出す。誰かが来たのだと思って起き上がり扉に近づくと、焦凍くんの声が聞こえ扉を開ける。開けた先にいた焦凍くんは申し訳なさそうな顔をしなが私を見ている。

「どうしたの?」
「心配になって来た、が…」
「ありがとう。寝られなくて困ってたの」

迷惑をかけたのではないかと心配している焦凍くんにお礼を言うと彼は気まずそうに笑った。
部屋に入れて絨毯の上に座ろうとすると、横になるようにと言われ、大人しくベッドに入る。掛け布団を体にかけると焦凍くんが布団の上からゆっくりとしたテンポで優しく私のお腹あたりを叩く。

「焦凍くん…?」
「昔、お母さんがこうしてくれた気が…いや、柚華さんも俺にしてくれたよな。あの家の縁側で」
「そんなこともあったかもね」

酷く優しくされるそれに急に瞼が重くなる。もっと起きていたいような気がするのに、このまま眠ってしまいたいような気もする。どうしたいのかわからなくて焦凍くんをぼんやりとした眼で見ると、私の眼の上に掌をかぶせ、影を作った。

「そのまま寝ろ。寝た後も暫くここにいるから」
「う、ん」

おやすみなさい。その言葉がちゃんと言えたのかもわからないいまま深い眠りについた。その日、私が夢を見ることなく、その日を境に焦凍くんが私が寝る時傍にいるようになった。

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