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サクラちゃんに鍵を渡した翌日からというもの、尋常じゃないくらいに眠気を感じる事が多くなった。ある時は授業中、ある時は訓練中に眠気が急に来て気が付いたら授業が終わっていた。なんて事もある。
流石にこれはまずいと相澤先生に相談するも原因不明のものだから対処出来ない上に若干ながら内心は下がると言われた。

それを女子の皆にボヤくと透ちゃんがストレスだと断言し、両腕を上下に揺さぶりながら明るい声で話し始めた。

「轟くんのご飯とか作ってるからじゃないのかな?!ぶっちゃけずるいよね!1人だけあんな美味しそうなの食べれて!」
「透ちゃん趣旨がいきなりずれてるわ」
「わかる!轟ずるい!私も柚華ちゃんの料理食べたいもん!」

きっと違うと思うけどなぁ。なんて言葉を口にしても、じゃあなんで眠いのかと聞かれたら答えられなかった。魔力も使ってないから回復するようなこともない。まさに原因不明なのだ。


「柚華ちゃんは轟くんのご飯作るの好きなん?」
「好きかって聞かれてもわかんないかも?当たり前のように作ってたから考えたことなかった」

そんな会話を聞いていた焦凍くんが夜私の部屋に誤りに来たが、笑いながら揶揄されただけだよと伝えると、深刻そうな顔をしながら私の顔を見た。

「俺、柚華さんがいないとダメみたいな人間になっちまう」
「いざとなったら出来るよ」

そう言ったものの、轟家にいた時に料理を作るのを手伝ってくれた時の事を思い出して、ならないかもしれない。と思ってしまった。

あの手つきは流石に危ないな。

「今度また一緒に作ろうか」
「あぁ簡単なものから教えてくれ」

焦凍くんは私の手を軽く握り私の手の甲を彼の親指が撫でるようにするりと滑り、名残惜しそうに離れていく。

「おやすみ」
「おやすみなさい」

焦凍くんは私に背を向けて階段の方に歩いて行く。というのも昨日私が焦凍くんにもう寝かしつけなくていいからと、日課になりつつあったそれを拒んだからだ。

幸せな時間だったが、焦凍くんの寝る時間が遅くなってしまう為喜んで拒むと、予想以上に焦凍くんはダメージを受けたようで、普段は乏しい表情なのに明白にショックを受けてた。だけどこのままだと確実に私が焦凍くんがいないと寝れなくなって駄目になってしまうから心を鬼にして焦凍くんにお断りした。





私達の生活は人によって変わるようになった。無事にインターン先を見つけた生徒は休日はヒーロー事務所に行くようになり、焦凍くんと爆豪くんは仮免の講習に行くようになった。その間私は焦凍くんに頼まれて彼のお母さんに会いに行く事になり、そして私は今病室の前に立っている。

「……ふぅ」

軽く息を吸ってそれを吐く。目の前の扉をノックしてスライド式の扉を開けると彼のお母さんはゆっくり振り向き、私を見て春の花が咲くように笑った。

「こんにちは」
「来てくれたの?ありがとう」

こっちにいらっしゃい。優しく語りかけられる言葉を受けて中に入ると、後ろの扉は自然に閉まり、ゴムとゴムがぶつかる鈍い音をたてた。ベットの横に用意されている丸椅子に座り、手土産のヨーグルトを渡すと彼女はまた嬉しそうに笑う。

初めて会った時から思ったがこの人は綺麗に笑う人だ。花が咲くように、春の日差しで眼覚める花のように笑うのだ。焦凍くんもいつかこんな風に笑うようになるのだろうか。なんて遠いようで案外近い未来に思いを馳せる。

「今日は焦凍はいないのね」
「焦凍くんは休日講習に出る事になりまして暫く来れないんです」
「そう…ヒーローになる為に頑張っているのね」
「はい」

いつも日々頑張っています。

本当に彼は今真っ直ぐにヒーローになる為に地に足をつけて頑張っている。きっと前のような彼にはならない。

「柚華ちゃんは?あの子の面倒まで見て大変じゃない?」
「大変なことは全部自分の事ばかりです。彼はいつもそんな私の事を支えてくれています」
「そう、…よかった」

焦凍くんのお母さんはほっと息を吐くように笑い、何かを思い出したような顔をして冷蔵庫の中からリンゴジュースを取り出し私の手に置く。ここに来ると毎回飲み物をもらうのだが、焦凍くんはいつも甘ったるい飲み物をもらっていて、彼はそれを嫌な顔一つせず紙パックにストローを刺してそれを飲む姿は、母に不器用に甘えているただの子供のように見える。

「お、お…おばさんは…」
「いやーね。お義母さんでいいのよ。そのうち子供になるんだから」
「……前もその言葉聞きましたけど、嫌じゃないんですか?いきなり現れた見知らぬ女が大事な息子さんの…彼女なんて」

焦凍くんがあらかじめ言っていたとはいえ、初めましての時からこの人は私を受け入れ、お義母さんと呼ぶように言う。懐が深いとかそういうものじゃない気がする。

焦凍くんのお母さんは目を閉じて悲しそうに笑い、窓の外の遠いところを見る。その横顔はやっぱり悲しそうで見てる私まで悲しくなる。

「私はあの子の大事な時に傍にいてあげられなかったから。だから何か言う権利をないのしれない。でも信じることはできると思っているの…自分の大事な息子を、息子が選んだあなたを」
「強いんですね」
「強くなんかないわ」

そう言ってお義母さんは控えめに笑ったが、偉大なる母の愛だと思える。

羨ましいとは思わなかったが、でも侑子さんもそんな風に思ってくれたらいいのにって頭の隅でぼんやり考えた。

あの侑子さんがそんな事を思ってくれるなんて想像つかないけどね。

「それじゃ、そろそろお暇しますね」
「今日は来てくれてありがとう」

私は丸椅子から立ち上がり、頭を下げて扉の方に歩く。スライド式の扉の取っ手に手をかけてお義母さんの方に振り返る。

「お、お義母さんにはありますよ」
「…何が、かな?」
「焦凍くんに干渉する権利。むしろ干渉してくれた方があの人はきっと喜ぶと思います」

幼い子供が母の愛を知らないで育ってしまった。そして今、とても緩やかな速度で歩み寄っている。だからこそ彼はきっと干渉されることを嫌がりなんてしない。

「それじゃあ」
「ありがとう…気を付けて」

扉を閉めると同時に聞こえたお義母さんの声は涙ぐんでいるようで、私は扉をそっと閉じ病院を後にした。

擽たい気持ちのまま寮に向かって歩いていると、侑子さんに会いたくなってくる。今日電話しても大丈夫だろうか。いや、いつ電話してもあの人はあの店でダラダラしているだろうとすぐに考えを改めた。
そう言えば、前に侑子さんが夢で時が動き出したと、時間が進むって言っていた。でも常に時間は動き、進んでいる。この世界もあの世界も、どの世界もだ。

なんであの人はあんな事を言ったのだろうか。

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