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四月一日くんお手製の夕食を食べ終え、作ってくれたお礼に食器を洗い戻ると、四月一日くんは縁側に腰掛け侑子さんが愛用していた煙管を吸って噎せていた。
その姿は頑張って背伸びをして大人になろうとしている子供のようでぎゅっと胸の奥が苦しくなる。

「煙管、どんな味?」
「…俺には美味しさがわからないよ」
「それでも吸うんだね」

美味しくもないのに、侑子さんに近づきたくて無理して大人びて…。

「それで、話って何かな?」
「小狼くんに聞いたの」

四月一日くんが穏やかな顔で私に笑いかけてくれる。きっと私の言いたいことなんて既にわかってる。なのにこうやって穏やかに笑うんだ。

「四月一日くんが留まる事を選んだって聞いたの。それってどういう事?何処に留まるの?」
「それは柚華ちゃんも知ってるんじゃないかな」
「はぐらかさないで」

苦笑いをして私を見る四月一日くんは私の知っている四月一日くんだ。

「そんなつもりじゃないんだけど…ごめんね」
「ねぇ、私に教えて。貴方が何を感じて何を思っているのか」

私にはわからない事だらけで、この人は私の手の届かない場所に行ってしまったような気さえ思う。
だから教えて欲しい。四月一日くんの事を。

「おれは侑子さんにまた会いたい。そして侑子さんはおれが存在してくれるだけでいいと言ってくれた。だからおれはその願いを叶えたい。また侑子さんに会えるその日までおれは此処で、この店であの人を待っている」

四月一日くんはこれからどうなっていくんだろう。死んだ人を想って自らの刻を止めて世界から切り離されて。

「馬鹿。四月一日くんの馬鹿」
「うん、ごめんね。泣かないで柚華ちゃん」

四月一日くんの襟を掴み、力なく揺さぶりながら罵声を浴びさせる。でも彼の顔が見てられなくて閉じた目からいくつもの涙が零れる。彼は指で涙を掬ってくれるが止まる事を知らない涙が次々に零れ、床や四月一日くんの服にポタリと落ちて染みを作る。

「もう、四月一日くんと同じ刻を過ごせないんだね…」
「そうだね」
「この先沢山の長い時間を…知っている人がなくなっても四月一日くんは生きていくんだね。それが四月一日くんが選んだ対価だから」
「そうだね」

私がしわしわのお婆ちゃんになってもきっと彼は今と変わらない姿でいるんだろう。

四月一日くんが死にそうになった時に対価として受けた背中の傷跡がじくりと痛む。あの時はこんな事になるなんて思ってなかった。こんな未来が来るなんて思わなかった。

「ねぇ、四月一日くん」
「なに?」
「……何でもない」

酷く柔らかく話してくれる四月一日くんに何も言う事が出来なかった。彼の事だきっと誰かに怒られることも悲しまれることもわかっていたんだろう。それでも彼はこの対価を選んだ。それが四月一日くんの決意で覚悟なんだ。

「わかった。私は何も言わない」
「ありがとう」

もう四月一日くんはこの店から出る事は出来ない。世界から切り離されたから。となるとこの店は四月一日くんが切り盛りしていくのだろうか。

「このお店は…」
「侑子さんがかえってくるまでの間はおれがやっていこうと思う」

首を傾げると四月一日くんは遠くを見ながら答えてくれた。誰の事を考えているのなんて聞かなくてもわかる。

「四月一日!酒!」

なんて声をかけていいのかわからずに戸惑っていると、四月一日くんの背中を黒く丸いものが直撃した。

「モコナ!」
「お!柚華!久しぶりだなー。元気だったか?」
「元気だったよ。モコナも元気そうでよかった」
「相変わらず酒の消費は激しいがな」

背中を蹴られた四月一日くんは、自分の手を背中に回して撫でている。なんだか懐かしいやり取りに自然と笑みが零れる。仕方ないな。なんて言いながら立ち上がりお酒を取りに行く四月一日くんを見送り、立ち代りに私の隣に座るモコナにお願い事をする。

「四月一日くんのことよろしくね」
「……あぁ」

モコナにしては珍しく眉間に皺を寄せて頷き、夜空に浮かぶ月を見た。モコナにも思う所はあるのだろう。

暫くくだらないやり取りをしていると四月一日くんがおぼんに徳利とお猪口を乗せてやってきた。私と四月一日くんは未成年なのでお酒は飲めないが、そんなのは関係ないと遠慮なしにお酒を空けていく。

「全く人の気も知らないで」
「モコナ美味しそうにお酒飲むよね」
「コイツ本当に味わって飲んでんのか?」

夜も深くなり起きているのが辛くなり、一足先に就寝することにした。マルとモロに案内してもらった部屋に布団を敷き横になると、一気に眠気が襲ってきて何も考える暇もなく眠りについた。   

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