08




それからほぼ毎日体術の鍛錬をした。焦凍くんが学校に行っている間に筋トレやトレーニングをしたけど付け焼き刃では歯が立たず、大体は焦凍くんが勝利をおさめていた。
初めて訓練した日から2週間が経とうとしていたある日のこと、道場での訓練を終えて、いつも通りにお風呂を先に頂いて、道場にいる焦凍くんを呼びに行くと縁側で遠い空を見る彼を見つけた。居場所が無さげな、寂しそうに縁側に腰をかけるその後ろ姿に胸が締め付けられた。
声をかけていいのかわからない。けど、初めて見る弱っている姿は見ていられなくて、何とかしてあげたい、私に出来ることなら何かしてあげたいと思った。これが母性本能というやつなんだろうか。

「お隣いいですか?」
「っ……あぁ」

私が道場に入ってきた事も、近くまで来ていた事も気づいていなかったみたいで、普段とは全く違う焦凍くんに切なさを覚えた。本人は気が付かなかったのが悔しかったのか微かに眉間に皺を寄せていた。

「少しだけお話しませんか?」

返事はなかったが拒絶の言葉も無かったので無言の肯定とみなして1つの質問を投げかけた。今まで聞きたかった事だけど聞かなかったこと。焦凍くんの事、過去ではない、未来の話を。

「将来の夢はなんですか?」
「今答える必要ねえだろ」
「はい。でも気になります」

返ってきた言葉は拒絶を示していたんだろう。でもこの人は優しい人だから、人を突飛ばすことが下手くそだ。横目で彼を見ると空に浮かぶ月を見上げていた。

「……俺はお母さんからもらった個性だけ使って一番になってアイツを、親父を完全否定する」
「本当にそれが夢なんですか?」
「あぁ」

この人にどんな過去があったかは知らない、とても父親を恨んでいるということしか知らない。でも今聞いた夢は夢ではない気がする。だってそんな夢はあまりにも悲しすぎる。
横に座る焦凍くんはさっきと同じ月を見ているはずなのに殺したい程憎んでる人を見るような、殺気の漏れる、今の彼の目で見られたら恐怖に固まってしまうようなそんな目をして空に浮かぶ月を睨んでいた。

「焦凍くんの言った夢は炎司さんが決めている夢の反抗ですよね」
「何が言いたい」
「私は、焦凍くんがなりたいものになっていいと思うんです。炎司さんに言われたからじゃない夢を追っていいと思うんです。貴方は貴方だけのものだから」

先程月に向けていた鋭すぎる視線が私に刺さり、息を飲んだ。怖いし、目をそらしたい。けど逸らしたらいけない。

「何も知らないくせに俺の事に首を突っ込むな」

今まで聞いたことがないくらいに低い声。地を這うようなその声に唇を噛む。

何も知らないのは、教えてくれないからじゃない!

…違う。私は彼に待つと言ったんだ。だから彼が話してくれる時が来たらちゃんと聞こうって決めたんだ。彼の言う通りだ。私は何も知らない。でもそれでも貴方の夢は夢じゃないという事はわかる。
私は震える両手を彼の頬に当て、叫んだ。

「確かに何も知らないです。でもそんな顔して語る夢は夢なんかじゃありません!!」

これでもかという程目を見開き驚いた顔をしていた。私の手を引き剥がそうとしていたであろう手は空中で止まっていたが、私の手にゆっくりと触れ、悲しげに細めた目はやがて伏せられ、焦凍くんの顔は俯いた。
彼の両手の体温が違うことにこの時初めて気がついた。
私の両手の震えはいつの間にか止まっていたけど、焦凍くんの両手が震えていて、まるで私の震えが移ったみたいだ。弱々しく握る手が、俯いて項垂れている姿が愛おしくて、頬から手を離し、頭を抱えるように抱きしめた。

私の心音が聞こえますように。私の体温が伝わりますように。彼を縛り付ける全ての呪縛から今だけは解放されますように。

彼は私を抱き締め返さなかった。両腕をだらんと伸ばし無抵抗のまま私に抱かれていた。私は彼の肩ごと抱きしめゆっくりと頭を撫でた。半分に色が分かれている指通りの良い髪を何度も撫でた。

「いつか、いつかでいいんです。焦凍くんだけの夢を聞かせてください」

何度も何度も撫でているうちに、私にかかる体重が増えた。今日のトレーニングはいつもよりハードだったし、ここ最近は学校でもトレーニングをしているみたいだ。疲れて寝てしまってもおかしくない。
私の腕の中で寝てくれたのだと思うと嬉しくなる。決して気持ちよさそうに寝ているわけではないが起こしたくはない。こんな時に活躍するのは“浮(フロート)”だ。対象物を浮かすことが出来るこのカードは便利だが性格が悪戯好きで気を抜くと悪戯しようと試みる性格だ。

「彼の人を浮かせよ“浮(フロート)”」

焦凍くんの体が浮き上がり私から離れた。立ち上がりフロートにちゃんと後ろをついて来るように言いつけ部屋に行こうと足を進めた。偶に後ろを振り向き、焦凍くんが起きてないかとフロートがちゃんと付いてきているか確認する。
階段を登り終え焦凍くんの部屋の前で立ち尽くす。

流石に無許可で入っちゃいけないよね。

私は自室の扉を開け中に入り、布団を敷くとそこに焦凍くんを横たわらせた。そして“双(ツイン)”を呼び出して布団をもう一つ出してもらった。このカードはなんでも2つにする事が出来るので何かと便利だ。
1つを半分にするのではなく、1つのものをもう1つ複製出来るのだ。出来た布団を焦凍くんの寝ている布団の横に並べて私も横になった。
焦凍くんの寝顔は思ったよりも幼くて、でも、何処か苦しそうに寝ていた。時折本当に小さく、呟くように寝言を言っていた。苦しいのかと思い彼の口元に耳を寄せると彼は謝罪の言葉を言っていた。私にではなく、彼のお母さんに。

「お母さん…ごめん…」

眉間に寄せられている皺をどうにかしたくて、苦しそうに言葉を吐き出す彼を何とかしたくて、道場の時のようにゆっくりと頭を撫でる。クロウ・リードから教わった最強の呪文を言葉にしながら。

絶対に、絶対に。

「大丈夫だよ」

私の声が届いたのかはわからない。私の発した言葉が正しかったのかもわからない。けれど少しだけ柔らかい表情になった彼に安心して私も眠りについた。

その日にまた“夢(ドリーム)”が私に夢を見せた。この世界に来る前に見ていた夢とは違う夢。
あの時に見てた夢は、ボロボロになった焦凍くんがそれでも尚私の前に立ち、私を守ろうとしていたが、今回は全く違う夢だった。小狼くんとサクラちゃんが日本とは違う国で涙を流しながら抱き合う夢。
2人が幸せそうに笑う夢を見た。

そうか、確実に終わりが近づいているんだ。

違う世界。違う次元。もう一人の私。私は彼女に自身の力を与えるために今まで魔法を使ってきたのだ。あの人の飛王の野望を阻止する為に私は役割を与えられたんだから。




朝、起きると彼は、焦凍くんは隣で上半身を起こして自分の手を見ていた。寝惚けているのか時折周りを見てまた手を見ていた。そして私が起きたことに気がつき無表情で私を見た。

こんな時でも無表情なんだね。

「おはようございます。体調はどうですか?」
「悪くねえ…が、なんで俺はここにいる」
「昨日道場で寝てしまって、勝手に部屋に入るのもどうかと思い、起こすのも申し訳なかったので、私のお部屋で寝かせようと」
「…わかった。次からは起こしてくれ」
「分かりました。遠慮なく起こしますね」

私の話を聞くと焦凍くんは正面を向き溜息をついて、右手で頭を押さえるように当て項垂れた。頭が痛むのか更に溜息をついた。私はすぐに布団から出て彼の頬に両手を当て熱を測るとほんのり熱くて、薄く赤く色づいていた。風邪をひいてしまったのだろうか。
無理やり私の方に向かせ焦凍くんの額に手を伸ばし触れるが、熱があるようには感じなかった。ホッと息を吐くと驚いた顔をした焦凍くんと目が合った。
彼との距離が近くて顔に熱が集まるのがわかった。一気に心臓が早鐘を打つ。固まってしまった私の手を焦凍くんがその手で弾いた。

勝手に触ったのがいけなかったんだろうか。目を伏せ弾かれて手をもう片方の手で握っていると焦凍くんが申し訳なさそうに謝った。私は首を横に振り焦凍くんを見つめた。

「お前は、誰にでも部屋に入れるのか?」
「どうゆう意味ですか?」
「誰にでも気安く部屋に入れるのかって聞いてんだよ」

なんでそんな事を聞かれているのかわからないけど、誰にでもってわけではない。少なくても私が気を許している人しか入れない。

「焦凍くんだから入れたんですよ?」
「そーかよ」

焦凍くんはフイっと顔を逸らして素っ気なく返事をした。心なしか先程よりも頬が赤くなっている様な気がして顔を近づけると、焦凍くんは片手で顔面を隠してもう片方の手で私の肩を押した。

「こっち見んな」
「でも顔が赤くなって…風邪かもしれないですし」
「風邪じゃねえから見んな」

風邪じゃないのか。だとしたらなんで顔を見せてくれないのだろう。首を傾げて彼を見てると視線が鬱陶しかったのか外されていた視線が合った。でもすぐに逸らされてしまった。

「先に居間に行ってろ」
「え、…分かりました」

心配で後ろ髪を引かれながらも言われた通りにリビングに行く事にした。朝食の準備もしなければならない時間だったが、部屋を出る前にもう一度焦凍くんを見るとこちらをじっと見ていた。

「お布団とかはそのままで大丈夫ですからね」
「……早く行け」
「はい」

今度こそ部屋を出て台所に向かった。
さっきの焦凍くんはどうしたんだろう。動揺とまではいかないけど、いつもと確実に違った。あんなに頬を赤くさせて頑なに私と目線を合わせなかった。

……もしかして、照れてた?

そう思うとなんだか彼の言動に納得がいくような気がしてきた。私と目を合わせなかったのは恥ずかしかったから。手で顔を隠していたのは赤く染まった頬を見られたくなかったから、私を部屋から追い出したのは一人になって落ち着きたかったから。

なんて可愛い人なんだろう。

きゅうっと胸が締め付けられる。なのにトクンと心臓が大きく跳ねる。なかなか懐いてくれない弟みたいに思っている彼が私に滅多に乱されないペースを見だしたのかと思うと嬉しくて顔が緩んでしまう。
嬉しく鼻歌を歌ってしまう。なんて素敵な朝なんだろう。

「柚華今日空けとけ」

炎司さんの登場と突然の用事に素敵な朝が幕を閉じた。

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