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「それじゃあ行くね」
「また遊びに来いよ」
「お前が言うなよ!…でも本当に何時でも待ってるからね」
「向こうでも気を付けてな!」

四月一日くんや百目鬼くん、モコナにマルとモロにに見守られながら杖の先で空間に文字を書いていき最後は地面に魔方陣を書く。書いた文字や魔方陣が光だし風が吹き上がる。

「また貴方が生まれた日に会おうね」

さようなら。とは言わない。また会えると信じているから。だから振り返らず前を見よう。今私が会いたいあの人のもとに行けるように。

眩しい光に目を瞑り、焦凍くんの顔を思い浮かべる。次に目を開けた時彼が側にいますように。

瞼の裏にも透き通って入って来た光がなくなり、視界一面真っ暗になると会いたくて仕方なかった人の声が聞こえた。その声に反応するように眩い光で眩んだ瞼を開けると、目の前には嬉しそうな心配しているような形容し難い表情をしている焦凍くんがいて、その距離の近さで瞬時に顔に熱が集まる。

「柚華さん…!」
「焦凍、くん。あの、え?」
「おかえり柚華さん」

状況も把握できないまま私の口からは自然と、ただいま。の4文字が零れた。
でも言葉にすると実感が湧いてきた。帰って来たんだ。離れている間恋しくて堪らなかった焦凍くんの所に帰って来たんだ。私は帰って来た嬉しさを胸にもう一度4文字を声にした。

「ただいま!」
「おかえり」

私がどうこの世界に帰って来たのかは知らないが、背中には焦凍くんの腕が回っていて、彼の顔越しに天井が見える。背中には焦凍くんの腕が回っており、肩口に焦凍くんの頭が埋まり彼の柔らかい毛先が頬や首に当たり擽ったい。優しく両腕を私の身体に回して抱き締めてくれるそんな焦凍くんの身体を離すのは忍びなくて擽ったさを我慢していると、焦凍くんが顔を上げて薄く笑う。その表情は懐かしんでいるようで首を傾げる。

「あの時を思い出すな」
「あの時って?」
「初めて会った時も柚華さんは俺の手の中に現れた。あの時は光の粒で今回は桜の花びらだったけどな」

まだ焦凍くんが私の事、あんた。って呼んでいたあの頃をふと思い出した。父への憎しみを、復讐を糧に生きていたあの頃の焦凍くんは見ていられなくて、勝手な事をしたし言ったりしたなと思う。でもあの時は彼をなんとかしたいって気持ちが先走っていた。

焦凍くんに支えられながら上半身を起こして周りを見ると、どうやら寮の共用スペースのようで電気はつけられているものの窓から見える景色は暗くて広間には私達以外誰もいなかった。私と焦凍くんがソファに横に並んで座っているだけで会話が途切れると一気に静寂が襲う。それくらいに静寂が空間を支配している時間帯だった。

「懐かしいね」
「そうだな」

それにしても私は向こうをお昼前に出た筈なのに、こっちはもう遅い時間帯だ。多少のタイムラグは仕方ないものなんだろう。
…と、いうかどうして焦凍くんはこんな時間にこんなところにいるんだろうか。

「なんでここに?」
「…柚華さんが帰ってくる気がして落ち着かねぇからここにいた」
「それが見事に当たったのね」
「あぁ」

会えた。と穏やかに笑う焦凍くんの表情にちゃんと帰って来れてよかったと心の底から思った。
焦凍くんの指先に触れると指が絡められる。掌が座っているソファの皮生地に触れる。ソファのスプリングが軋む音がして頬に焦凍くんの温かい手が触れゆっくりと目を閉じる。軽く唇が重なりすぐに離れる。重なった一瞬で心臓が大きく跳ねて落ち着かなくなる。
薄く目を開けると焦凍くんと至近距離で目が合いまた大きく心臓が跳ねる。

「柚華さん」
「…っ!」

熱っぽく名前を呼ばれまた唇が重なる。焦凍くんの唇が私の唇の形を確かめるようにゆっくりと啄むように時折離れては完全に離れる前にまた熱が触れ、頬に熱が集まり繋がっている手に力が入ると焦凍くんの握る力が強くなる。

「しょっ、い…きできな」
「我慢してくれ」
「んン、」

我慢してくれと言われても酸素が吸えないのだから限界はもうすぐそこまで来ている。薄く開けた視界に色っぽい目で私を見る焦凍くんが入りまた目を閉じる。
いよいよ限界を迎えて閉じていた口を開けるとローテーブルの上に置いていたiPhoneから振動が鳴り、焦凍くんがハッとしたように距離を取ってiPhoneを取り舌打ちをしたので、その反応に誰からなのかがすぐにわかった。

炎司さんからだ。
ずっと振動しているそれは着信を知らせているのだろう。中々出ようとしない焦凍くんを見つめていると彼は画面を指で何かをなぞり振動を止めた。電話に出る事なく切ってしまっていいのかと声をかけると焦凍くんは黙って頷く。

「何度も同じ電話をかけてきてるからな」
「えっと、炎司さんその、焦凍くんの事が気になって仕方ないんだよ」
「遠慮する」
「私に言われても」

苦虫を噛み潰したような顔で遠慮を申し出られても炎司さんに届くわけがない。

2人を包んでいた甘い雰囲気も炎司さんの電話のお陰ですっかりときれいさっぱりなくなり、夜も更けていることから各々の部屋に戻ることになった。
相澤先生に戻った事を伝えるのは明日でも構わないはずだと結論づけて侑子さんの着物が入っている紙袋を手に取り立ち上がる。

「それなんだ?」
「侑子さんが着てた着物を1式貰ってきちゃったの」
「侑子さんは…」

焦凍くんは少しだけ顔に影を落として聞き辛そうに言葉を漏らした。
私も四月一日くんの所にいって自覚したくらいだ。焦凍くんは実感が未だに湧かないのは当然だし、殆ど会ったことのない人の話だから余計にそうなのだろう。

「うん、もう他界してる。本当はいつ亡くなったのかは分からないんだけどね」
「大丈夫なのか?ここ数日は特に」

確かに焦凍くんが言うようにここ数日で様々な変化が起こった。先ずは侑子さんが夢の中で私に自身の刻が動き出したことを教えてくれた。その直後飛王が現れてこの世の理を守る為に、人が死なない世界を阻止する為に戦い、その後侑子さんと過ごした世界に戻って四月一日くん達とまた会う約束をして帰って来た。

「大丈夫。って言ったら半分嘘になるけど、ここで挫けたり立ち止まったら侑子さんに申し訳ないから」

侑子さんは私を信じるって言ってくれたから、私もその信頼に答えられるように成長し続けていきたい。そう思えるから私は大丈夫だ。

「心配してくれてありがとう。おやすみなさい」
「…あぁ、おやすみ」

焦凍くんと分かれて自室に入る。紙袋から着物を取り出して着物用のハンガーにかけて壁に引っ掛ける。桜があしらわれた着物に触れる。亡き母である侑子さんをきっとこの着物を見る度に思い出しては感傷に浸るのだろう。それでもいい。それでもいいから侑子さんがいたんだという証が欲しかった。

「絶対、大丈夫」

私はこれからも前を向いて歩いていけるから。
だから見守っててね。侑子さん。

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