「きゃっ!」
「失礼。貴方はどちらに行かれる予定で?」
「名前?!」
この突然の行動に驚いたマスターが私の名前を呼ぶも、意識は腕を掴んでいる女から逸らす事が出来ず、畳みかけるように質問を重ねた。
「私の顔に見覚えありませんか?」
「さ、さぁ……すみません。私たち先を急いでいるんです。旦那様申し訳ありません」
旦那様と呼ばれた男はなんの反応も示さない。それでも女は気にする事なく手綱を握り直し、足を一歩前に踏み出した。そのまま私たちとすれ違おうとしたが、矢張り違和感を感じ、もう1度女の腕を掴み、名前を呼んだ。
「燕青。この顔に見覚えはないか?」
「っ! バレてたのか!」
「え?! 嘘、燕青だったの?!」
下女の服装をしていた燕青は一瞬にして変装を解くと、馬上に乗っている男に腕を伸ばす。が、掴まれている腕を振りほどく事が出来ないようで、俊敏な動作を発揮出来ず、馬上の男に向かって伸ばした腕をだらりと下した。見上げる横顔は酷く痛ましくて、燕青の腕を掴んでいる手に力が入る。
「名前よくわかったね」
「……まぁ、たまたま、ですかね」
たまたまな訳がない。私の特技と言ってもいい程に、変装した燕青を見破る事が出来る。主人としてなのか、私自身として見破っているのかはわからないが、変装を見破られる度に悔しそうな表情を浮かべながらも、安心したように笑う彼を今でも鮮明に覚えている。
例えifの世界だったとしても、見破れない筈がない。と自信はあったのは確かだ。しかし、それを、この2人の燕青の前で言っていいのかわからず、言葉を濁した。その判断が正しかったのかはわからないが、私が腕を掴んでいる燕青は力なく息を短く吐き出すように笑った。
「……説明してくれるな?」
「っ! 俺を置いて行ったあんたが主人面すんじゃねぇよ……!」
「……だが私は今でも後悔はしていないよ」
ぴくり。と燕青の腕が反応したのがわかった。それと同時に空気が揺れたのも肌で感じた。動揺なのだろうか、はたまた琴線に触れたのだろうか。それはどちらの燕青のものだったのだろうか。アサシンなのか、目の前にいる燕青なのか、それを判断するには、どちらの燕青との間に出来た溝が深く、寄り添う事が出来ない。心情を察する事が出来ない。
「なぁ俺。俺にならわかるだろ……俺がしようとしている事が、俺は間違っているのか? 間違っているから死んだのか? 忠誠は、忠義は、侠客のなり損ないに成り下がったのか」
その問いに答える資格は、この身体で刻んだ歴史ではどこにもなく、口を噤み、視線をアサシンに移すも彼は翡翠の目を苦しそうに歪めているだけで、一文字に結んだ口を開く事はなかった。
「違う、違うよ燕青。誰が悪いわけでもないんだよ。在り来たりな言葉かもしれない。だけどね、名前だって苦しんで決めたと思うよ。それは誰よりも燕青が知っている事でしょう? 確かに裏切られたかもしれない、主を失った苦しみは……私には想像出来ないよ。新しい主を見つければいいって話じゃないのも分かる。だけど!」
「わからないなら黙っててくれよ! 黙っててくれよ……!」
マスターの言葉の何処に琴線が触れたのかはわからないが、掴まれている腕を振り、私の手を振り落した。そしてその刹那、マスター目がけて走り出し高く跳ねあがり、踵を振り下ろすもマシュが盾で燕青の攻撃からマスターを守り、横からアサシンが燕青に向かって拳を突き出す。
何事だと遠巻きに見ていた野次馬も、只事ではないと、巻き込まれないように背中を向けて逃げ出した。
「マスター! 強い聖杯の反応です! 矢張り聖杯はこの世界の燕青さんが持っていたようです」
「じゃあこの世界の名前は……!」
「燕青から供給される魔力で生かされているようですね」
十中八九馬上の男が私で間違いない。と燕青とアサシンが戦っているその隙に男の身柄を捕獲しようとするも、燕青がそれを阻止しようと私に拳を向けた。
「ぐっ!!」
両腕を顔面に構えて燕青の直接の攻撃を避けるも、その勢いは凄まじく、ただ殴られただけだというのに馬からかなり離されてしまった。燕青の攻撃は止まらず、俊敏なその動きで追撃を繰り出して来る。クラスがアーチャーである私は近距離が得意なわけがなく、弓で防御しても二打三打と打ち出される燕青の攻撃す全てを躱す事が出来ず、鳩尾に重たい一撃を食らった身体は、地面から足が離れ一瞬宙を舞ったが、重力に従って背中から落ちた。
「名前!!」
「私の、事はいいから……燕青を!」
聖杯の力で数段に強さが跳ね上がっている今の燕青に、苦戦を強いられている。例え英霊だろうとも、1人で相手をするのは楽な事ではない。アサシンが何とか相手をしてくれてはいるが、少しでも馬に近づこうものなら、コレだ。正直、燕青相手に武器は取りたくはないが、そうとは言ってられないこの状況に覚悟を決めなければならない。
燕青に攻撃を与えながら、マスターが私に駆け寄って、令呪が刻まれた手で私の肩に触れるとマスターと繋がっている回路が熱を帯び傷ついた場所が治っていく。すると丁度、お互いの攻撃に弾かれたアサシンが、マスターの隣に着地した。
「名前、行ける?」
「全力を出しましょう」
マスターの問いに頷くと、彼女はアサシンに視線を向けた。
「燕青」
「いいよぉ」
膝を地面から離し、立ち上がってアサシンの隣に立った。不意にあの頃が蘇り懐かしくなったが、感傷に浸っている暇なんて一瞬たりともないのだ。
「目標は聖杯だけど、私は2人を何とかしたい。このままなんて絶対に嫌だ! それをこの2人に言うのも可笑しいけど」
「はは……面目ないね」
「手厳しいねェ。我がマスターは」
乾いた笑いしか出てこないのは仕方がない事だろう。アサシンとの間に出来た溝と燕青との間に出来た溝は同じものかも知れない。しかし、アサシンは藤丸 立香という新しい主を見つける事が出来た。そして彼女が私が付けた傷をこれから時間をかけてでも癒していってくれる筈だ。
然し、燕青は違う。今も尚私という幻影に囚われ苦しみ藻掻いている。その呪縛を解く事が出来るのは私しかいないのだ。
「名前、特大火力でぶっ放って!!」
「諸事万端整った!」