「よぉ名前ー。鬼ごっこはもう終わりかい?」
「はっ、はっ……まさか……」
濡れ烏色の髪を持つ男は涼し気な顔をして目の前に立っている。先程までこの男から逃げる為に、棒のような足を前に、前に。と出していたにも関わらずだ。
本来なら私たちは追う獅子と狩られる兎のような関係ではないのに。どうしてこうなったかを知るには時間を少し遡らなければならない。
始まりは、マスターである藤丸 立香の一言だった。
「名前。頼みたい事があって……」
神妙な顔つきでポツリと話すマスターの姿は、普段の様子とは打って変わっていて、何かあったのだろうとすぐに予想が付いた。レイシフト先。今は月が真上で輝いている時間だ。見張り番は私がやっている為他の英霊たちや人間であるマスターは眠りについている筈なのに。と横に座る橙色の髪が良く似合うマスターに目を向けた。
「どうかされましたか?」
「こんな事言いたくないんだけど……どうしようもなく拭えない違和感がずっとあって……」
「違和感ですか」
マスターには色々な面でお世話になっているし、同時に迷惑もかけている。それはアサシンとの関係の事が主な原因なのだが、ここ最近、その彼との関係も良好でマスターにも迷惑はかけていない筈。まぁ、あの故郷でのレイシフト以来2人揃ってのレイシフトで、慣れない事の為にマスターに違和感を与えているのかもしれない。と謝罪をすると、彼女は焦ったように両手を左右に振って否定した。
「違う! そうじゃないの……そのはぐれサーヴァントたちの事なんだけどね。何か、私たちとは目的が違うように感じて……それこそ、誘導されているような違和感が……」
「それは間者という事でしょうか?」
「間者?」
「スパイって事ですね」
うーん。と顎に指を当てて悩むマスターは間者、という言葉に納得がいかないようで、小首まで傾げている。
心優しいマスターは、仲間と認めたはぐれサーヴァントたちの事を疑いたくはないようで、疑いたくても疑いきれない。そんな様子が手に取るようにわかった。
今回レイシフトしたサーヴァントは、私とアサシンとアルトリアの3人だけだ。
ならば、この私がマスターの手となり足となり影となり動こうではないか。
「マスター私をお使いください。弓兵クラスのスキル単独行動に保有スキルの情報収集があります。私以外に適役はありません」
「ありがとう。やっぱり名前に相談してよかった。名前のスキルランクだと、もって2日ってところかな」
「恥ずかしながら、戦闘する事を考えると1日が限界かと。情報収集はお任せください。他のサーヴァントに比べて優秀であると自負しておりますから」
ははっ。と笑うマスターの表情に。憂い。という言葉は似合わなかった。その日から単独行動をし始めた私は単独行動スキルのもと、はぐれサーヴァントたちと出会った場所に赴き情報をかき集めた。情報は生きている。が生前から念頭に置いている言葉だ。情報にも鮮度があり、鮮度が落ちれば価値が下がる。
西洋の街中でサーヴァントたちの痕跡を見つけては、人に聞いて回る。地道に見えるが、1番正確に何があったのかがわかるのだから、地道だろうが何だろうがやるしかないのだ。
そうして1日が過ぎて、夜中、マスターと打ち合わせをした時間に行くと、彼女はげっそりとしていて、日中に激しい戦闘でもあったのか。と駆け寄り心配すると、マスターは緩く首を振って遠い目をして単語を呟いていく。
「ごめん……私には、もう……」
「マスター?!」
遺言かと間違える程に力の入っていないその声色に、珍しく声を上げると、マスターは反射的に私の口を塞いで、もう片方の手で人差し指を立てて静かにするように指示を出した。何度かそれに頷くと、マスターは当たりを見渡して誰もいない事を確認すると、胸に手を当て息を深く吐いて胸を撫で下ろした。
「なにかありましたか?」
「それが燕青にバレちゃって……」
私が単独行動するにあたって、他のサーヴァントへの説明はマスターに任せてあった。大方、目的地に先に行って情報収集をしていて暫く帰って来ない。と言っていたのだろう。その方がはぐれサーヴァントたちも尻尾を出しやすくなるだろう、と読んでの事だ。しかし、それが嘘だとアサシンにバレてしまったようで、質問攻めにでもあったのだろう。だからこの疲労感なのか。と納得し、今日収穫した情報をマスターに話した。
「マスターと出会う前彼女はあの街で酒場の店員に北に行くと話していたようです」
「北って……私たちと会ったのは、東の森の中だったよね。えっと、地図地図……」
懐から地図を取り出し、それを地面に広げて心許ない明かりを頼りに地名を指で辿っていく。あのサーヴァントは北に行く、と言っていたにも関わらず東に向かって歩いていたのだ。まるでそこに我々が来ると知っていたかの様に。
「引き続き情報を収集します。マスターの悪い勘が当たっていなければいいのですが」
「うん。それと燕青の事なんだけど……」
「彼の事はマスターにお任せします。私は“元”主であって、今の主は藤丸 立香、貴方なのですから」
「だけど燕青、名前の事が心配みたいで」
確かに戦闘があったのか。と聞かれればあった。ワイバーンだったり酒に酔って絡んできたチンピラだったりと、ピンキリだったが、それなりに手間取ったのは間違いはない。がその事をアサシンに伝えるとそれはそれで面倒な事になるのは目に見えている。あの男は生前の私に憤っていた癖に、妙に執着している部分がある。英霊になった今、死んだら座に帰るだけだというのに、あの男はそれをわかっていながらそれを良しとしない気持ちがあるようだ。
今、アサシンに変に動かれてはぐれサーヴァントたちに、私の単独行動の理由を悟られるわけにはいかない。
「取り敢えず、男装してやり過ごします。女の私よりは気付かれ難いと思いますし」
「え? でも男装って燕青の提案でやっていたものでしょ? 気付かれないの?」
「確かにそうですが、変装自体は私が自分でやっていましたし、顔位化粧で何とでも誤魔化せますよ」
その時、草が揺れる音が聞こえた。誰かが近付いて来たのだ。とマスターから離れて木陰に身を隠し、弓を構えた。例え誰であっても私がこの場にいてはならない存在。マスターには悪いが隠れさせてもらった。
「あれ、燕青。こんな時間にどうしたの?」
「マスターこそこんな時間に何してんだ? 花だって寝てる時間だぜ」
「はは、星を見てたんだよ」
アサシンが近くに来ていた事に気が付かなかったが、明かりだって必要最低限以下にしていたし、私が来ていた事には気が付いていない筈だ。と息を飲み、側に来ていたのが他の誰でもないアサシンでよかった。と短く息を吐いてその場から立ち去った。
流石、気配遮断スキルを持っているだけあって、全然気が付かなかった。
……あれ? 気配遮断スキルを持っているのに、どうして私は気が付いたのだ?
その日からマスターに夜毎に彼女についての情報を報告していたのだが、ある日、マスター一行を街中で見かけた。男装且つアサシンにバレないように生前の私とは違った顔にしているが、念には念を入れて、距離を取った方がいい。と踵を返した。その刹那濡れ烏の髪を持つ男と目が合ったような気がしたが気の所為だろう。
しかし、それは気の所為ではなかった。と言う事が夜になってわかった。言い知れぬ不安……否。恐怖が足先から這いずっている。それは落ち着く事を知らないようで、速度を加速させながら心臓に向かってやってくる。その心臓は忙しなく動き続け、頭の中に警報が鳴り響く。
これは、追われている。そう判断するのに1秒もかからなかった。普段だったら蹴散らしているが、マスターと離れた状態でこの得体の知れないナニカと戦闘し、魔力が枯渇すれば目も当てられない。だったら逃げるしかない。とマスターがいる方向と真逆の方向に向かって走り出した。すると、後ろにいたナニカも動き出したのがわかった。
遥か彼方の頭上で月が輝いている。街の人間はとうの前に眠っているし、石造りの建物や道路は足音がよく響く、筈なのに、私の足音しか聞こえないのが更に恐怖を煽る。何なんだ。一体何に追われているというのだ。
どのくらいの間走ったのかはわからないが、とうの昔に息は切れているし、足は棒のように重たい。今私を動かしているのは使命感と湧き出る恐怖心だ。縺れる足を無理矢理前に前にと気力だけで動かし、ナニカを撒こうと路地裏を走るも袋小路に入ってしまったようで、どんどん奥に追いやられているような気がしてならない。
視界に黒い髪が見えた。その髪を持った人物の表情月光では見えないが、月明かりに照らされた長い濡れ烏色の髪、美しい肉体美に肩口に見える赤い牡丹の花が明かりに照らされて薄っすらと見える。
「よぉ名前ー。鬼ごっこはもう終わりかい?」
「はっ、はっ……まさか……」
アサシン。お前だったとは……。と力の入らない足では立つ事も出来ずに地面に膝をつける。見知った顔であるなら逃げなければよかった。と呆れた笑いと後悔が込み上げてくる。それにしてもどうしてこんな真似を……。思ったが、そんな事はまぁいいや。と壁に背を預けてアサシンを見上げた。
「どうして私がわかった? というよりもマスターを1人にしてないだろうな」
「わかるさ。あんたの事なら」
「はぁ……端からお前に隠し事をする方が間違いだったのか」
深い溜息は2人の間に溶けて消えていく。どっと疲れた体に鞭を入れて立ち上がろうとすると、藍色のガントレットが視界の端に入り、間近にアサシンの顔があった。壁に背中を預けている私の前には逞しい肉体があり、美しい刺青が入っている。我ながら入れ過ぎでは? と首を傾げる程入っているが、生前の彼は嬉しそうに自慢してきたのだから、何も言わないでおいたのはどうでもいい思い出だ。
そんな一瞬現実逃避のような回想をしてしまったのは、この状況の所為だろう。
後ろは壁、目の前には視線を合わせるようにしゃがんでいるアサシンと、私の頭の横には、藍色のガントレットが壁に向かって伸びている。
「なんだ」
「なぁ、なんであんただけでこんな危ない事をしてんだ?」
「私が1番適役だろう。お前は諜報スキルはあるが、情報収集のスキルではないし、アルトリアは言わなくてもわかるだろう」
弓兵クラスの“単独行動”と保有スキルの“情報収集”。それらを持ち合わせる私が適任だ。無頼漢のスキルを持つアサシンでも情報収集においては私の方が抜きん出ている。それはアサシンだってわかっている筈なのに。
勿論、はぐれサーヴァントに私の動向がバレて戦闘になるかもしれない事は重々承知の上だ。マスターがその事に気が付いているのかは知らないが、少なくとも私は可能性がある事を知っていての行動だ。
「近いんだが」
「で、どっちなんだ?」
「限りなく黒だな。それと近いんだが」
はぐれサーヴァントのスキルが何なのかはわからないが、情報を残している辺り、その手のスキルではないのだろう。だから私に足元を掬われる。
アサシンは壁に手を付けていない方の腕を動かし、ガントレットで覆われた指を顎に当て考える仕草をした。その間も我々の距離は変わっていなくて、白い目で彼を見るも彼は気にも留めていないのか、全く離れる気配がない。元々こんな距離ではなかった筈では。と考え私の意識のし過ぎでは。と結論に至り、気にしないようにしようと、諦めの溜息を吐いた。
その後、諜報スキルA++を持っていたはぐれサーヴァントの企みを掴んだ私は、マスターにその事を報告し、はぐれサーヴァントの彼女と激しい戦闘になったが、見事に勝利した私たちは聖杯を片手にカルデアに帰還する事が出来た。
見事に大仕事を成し遂げたマスターは晴れやか、とは違う、どちらかと言えば目を輝かせソワソワと此方を見ている。
「どうしたい? マスター」
「ずっと聞きたかったんだけど! タイミング逃しちゃってて聞けなかたんだけど!」
「わかった、わかった。落ち着けマスター」
興奮気味に私の隣に立つアサシンに詰め寄るマスターを見て、私の方を見ているわけではなかったのか。と二人のやり取りを尻目に自室に行こうとすると、マスターに手を掴まれた。
「マスター?」
「名前も気にならない? どうして燕青が名前の変装を見破れたのか!」
「あぁ。それは確かに気になりますね」
男装姿は見慣れていたかもしれないが、顔まで化粧で変えていたのにどうして見破れたのだろうか。彼にはそういったスキルはなかった筈なのに。とアサシンの顔を見上げると、彼は一瞬視線を彷徨わせて得意気に口角を上げて笑う。
「名前は下手くそだからな」
「えー。変装した姿見たけど別人だったよー!」
「いーや。全然だったぜ。この俺に比べればな」
「ドッペルゲンガーに比べたらそりゃまだまだかもしれないけどさー。まぁー、そうかー……」
何処か不満を残したマスターはダヴィンチちゃんに呼ばれ小走りで部屋から出て行った。残ったのは私とアサシンと少数のスタッフたちだけで、そのスタッフたちは忙しなく動いて自分の仕事を熟している。完全に2人きりではないが、似たようなものだろう。と判断して私は隣に立ち、マスターが去って行った方向を見つめるアサシンに声をかけた。
「で、実際どうしてわかったんだ?」
「だから……」
「マスターは誤魔化せたかもしれないが、私にその手が通用すると思うなよ。ドッペルゲンガーは変身スキルであって、看破するスキルではない」
「やっぱ無理かー」
そう力なく言ったアサシンは、私の二の腕を掴み、肩口に額を乗せた。そこで深い溜息を吐くものだから、僅かな声が聞こえてくる。1つ縛りにしている髪を一房手に取って持ち上げてみると、さらさらな髪はするりと指から落ちていく。
いつにもまして近い距離ではあるが、これも意識するだけ無駄なのだ。頬に当たる濡れ烏色の髪が擽ったかったり、案外この男は体温が高いんだなぁ。なんて知りもしなかった事が次々にわかり、それはそれでいいかもしれない。
それよりも、気になっている事は1つだけなのだ。
「どうしてわかった?」
「…………あんただって俺の事直ぐに見破るだろ。それと同じ」
「あぁ成程。つまりお前は私の事をずっと見ていたわけだ。このカルデアに来てからもずっと」
それは見破られても仕方がないかもしれないな。と薄く笑うと、アサシンも笑ったのが気配でわかった。
何処にいようと、誰になっていようと、私たちはお互いを見破ってしまうのだろう。それがどんな関係になっても変わらない確証で、2人で築いて来た形のない証なのかも知れない。