家族を……燕青を思うばかりに皇帝に殺されに行った女と、そんな愚かな女主人を助けられなかったと後悔する男。たったそれだけなのに、こんなにも息が詰まる。
「アサシン、お前何か知っているだろう」
「何の事だかねぇ」
「ふざけるのも大概にしたらどうだ」
幾ら逆旅だからと言っても警戒しておく事に越した事はないと、アサシンと2人寝ずの番をしているこの時が機会だと、少し離れて腰を掛ける男に話しかけるも、男は薄く笑ってはぐらかすだけだ。
窓から差し込む月明かりは淡く、丁度良く月明かりに当たっているマスターの寝顔は気持ち良さそうに寝息を立てている。そんなマスターに向かって時折アサシンは視線を向け、安堵、と言う表現が合うような笑みを一瞬浮かべる。その光景を見て、胸の奥に何か重いものが落ちて来たかのような衝撃を感じる。人はこれを後悔、と呼ぶのだろう。
艶のある長い烏色の髪を床に垂らし、片膝を立て座る男は浪子と囃し立てられるのも納得する面持ちだ。本人曰くわかりやすい性格をしている、との事だが、そんな事は全くなく、今、この場でその翡翠の目で何を見て、何を考えているのだろうか。と考えても、飄々をしているアサシンからは何も読み取る事が出来ない。
「お前は……君は後悔しているのかい?」
「……それ、あんたが言う台詞じゃねぇなァ」
「だが、私以外は言えない台詞だろう……アサシン。君ならこの世界の彼が何を考えているのかわかるんじゃないか?」
「さーねぇ」
普段よりものんびりとしたこの話し方は教えてくれる気がない時の話し方だ。この話し方をしている彼に何を聞いても無駄な事くらい、生前で何度も学習している。何も話す気はないのか……と生前の私なら諦めていただろうが、今は違う。この身には主が、マスターと呼ぶに値する存在がいるのだ。臣下はマスターの為に動く存在なのだ。嘗ての彼がそうだったように。
「話せないのか、話したくないのかはわからないが、私が傀儡である事に
「……っ!」
生前の私なら諦めていた。というのも生前の時から知っているアサシンは翡翠の目を大きくさせて此方を見た。それはそうだろう。“いつも”ならこの会話は終わっている筈なのだから。
然し、アサシンはすぐに表情を戻すと、月明かりが零れる窓の外に視線を向けた。矢張り彼は何も言いたくはないらしい。何かこの男からも情報が聞き出せたら、と思ったが、アサシンは頑なな部分があるが故にこれ以上追求すれば逃げられてしまうだろう。それは望むところではない。
はぁ……。と小さく吐き出した溜息は、マスターとマシュの微かな寝息しかない部屋に溶けて消えて行った。
翌朝、朝ごはんを食べていると、店主の男と店員の女がアサシンに浪子と似ていると、声をかけて来た。のらりくらりとアサシンが店主の話を躱していると、マスターが身を乗り出して店主に話しかけた。
「あの! 玉麒麟について何か知りませんか?!」
「玉麒麟……そいつの名は禁句なの知らねぇのか嬢ちゃん」
「禁句、とは?」
店主の男は何度か視線を彷徨わせ、他の誰にも聞こえないように右手を口元に持って行き、小声で話し始めた。
「ここだけの話、玉麒麟の野郎は狂っちまってるんだよ……ある日を境にごっそりと感情が抜け落ちたみたいに笑わなくなっちまった。何を言っても反応もしない。皆気味悪がっちまったが浪子だけはそんな玉麒麟を世話してんだよ」
「どうして玉麒麟はそんな……」
「噂だと魔物に魂を売っちまったらしい」
そんな馬鹿な話があってたまるか。と一蹴したいものだが、何でも信じやすいマスターは顔を青くさせ、魔物……と呟き、マシュはマシュで「魔物が存在していたとは驚きです……っ!」と目を輝かせている。然し、この時代を生きていた私はどうもこの店主の言い分が正しい、真実だとは思えず、町に出て玉麒麟の話を聞くも皆、同じような内容が返って来た。
これは流石におかしい。と首を傾げる一方。マスターは魔物を倒しに行こうと意気込み、アサシンはそんなマスターを囃し立て煽っている。いつもなら止めてくれるはずのマシュも、魔物見たさなのかアサシンやマスターを止める事をしない。
「名前! 魔物がいそうな所に心当たりはない?」
「マスター、少し落ち着いて考えてくれないか? 魔物なんてこの時代で聞いた事がないんだ」
「確かに……ですが此処は“if”の世界です。魔物がいても可笑しくはないのでは?」
「マシュの言い分もわかるが、魔物に全くの心当たりがないんだ」
それに、この景色見覚えもあるがないものもある。流石に町全体を覚えているわけではないが、違和感なら感じる事が出来る。見た事がない景色が混ざっているのだ。見た事がない景色があるという事は、この世界は私の死後の時間軸と推測出来る。
「マスターそれよりもこの時代、私が知らない景色が幾つかあるんだ。恐らくこの時代は私が死んだ後のものにも関わらず、私は生きている……否、生かされている。あの彼の手によって」
「それって、つまり、この時代の燕青が名前を無理矢理生かしてるって事?」
「そんなっ、どうして……この時代の燕青さんに一体何が……」
マスターとマシュが息を飲み、信じられないと言った表情を浮かべるも、その言葉を口にする事はなかった。無意識だったのだろう2人はアサシンに視線を向けると、彼は、ガントレットに包まれたその手を頭の後ろに回して、乱雑に頭を掻くと、深い溜息を吐いた。
「……俺が、俺のままであるなら、何となく想像は付くがね」
腰に手を当て、遠くの空を見るアサシンのその翡翠の目は酷く不安定で、頼りなく、彼の口から語られる内容は私の胸を締め付けた。