私の存在


LITTLE MERMAID





深い深い海の中。太陽の光も月の光も通らない海の中に私は住んでいる。暗い海の底には深海を照らさんとばかりの明るい光を灯している城があり、私は底に末娘として産まれ住んでいる。国王である父と祖母は共に優しくいつも私に新しい知識を与えてくれた。姉たちも優しく自信に溢れていて憧れはするものの、心の底から追い求めているものを与えられたことはなかった。

「私は人間とお話してみたいの」

海に流された人間のものは私の部屋の宝箱に眠ってる。片方だけのピアスや沢山の宝石。衣服など沢山の物がこの深海まで流れ落ち、それに手を触れるだけで心躍る。私達にはない2本の足で陸を歩いたり走ったりするらしい。それはどれだけ幸せで喜びに溢れたものなのだろうか。

考えるだけで心が踊る。それに今日は私の15歳の誕生日だ。15の誕生日を過ぎたら海上に出る事が許されるのだ。好奇心旺盛な私の事を心配し、父や祖母、それに姉達に散々注意を受けて私はやっと海上の世界を見ることが出来る。

一縷のような光が海中に注ぎもう少しで見られるのだと泳ぐ速度を上げた。段々と強くなる光の先には私の待ち望んでいた世界が広がっているのだと。心が弾み喜びが歌になり溶けていく。

海面から頭を出すと眩い光が私を照らした。その光が私には何かがわからなくて顔を顰めると、波が私の顔にかかる。そして男の人の声が聞こえた。

「誰かいるのか?」

その問に応えていいのかわからない。父と祖母は人間と話してはいけないと言っていた。でも、話してみたいと思ってしまう。成る可く光が当たらない場所、つまり辺りを照らしている木で出来た何かに近寄って声を出した。

「私がおります」
「…!何処にいる」

海中です。なんて言ったらきっとダメなんだろう。信じてくれる、くれないを抜きにして自分の身を危険に晒す羽目になってしまうかもしれない。

「貴方の知らないところにございます。ところで貴方は一体ここで何をしているのでしょう?」
「…隣国に行く為、船で移動中だ」

成程、この木造の名前は船というらしい。
新しく知識を得た。

お互いに顔が見えない、名前も知らないままに会話が続けられる中、空から雨が降り出した。激しさを増した雨に強風が吹き荒れ大きな波を作り出して木造船から私を引き離す。左右に激しく揺れる船は遂に波を被り横転してしまった。

「あ!!」

海面に投げ出された何かが大きな音を立てて沈んでいく。それを追いかけようと海に潜ると1人の男の人が苦しそうにもがいていたかと思えば、急に力が抜けたのか動かなくなった。
それが不思議で、落ちるその男の人を受け止め観察してしまう。そしてこのままだとこの人は死んでしまうのではないかと思い、慌てて海面に顔を上げるも依然とぐったりしている。どうしたらいいのだろうか。こんな時どうしたらいいのかがわからない。
赤と白の髪をしたこの男の人がどうしたら目を開けるのかが私には分からないのだ。

「人は海中では生きられないのね」

冷たくなっていく身体に言い知れぬ不安を覚えて、陸を目指してひたすらに泳ぐ。空はまだ暗くて月の光が淡く私達を照らしている。

暫く彼を抱えたまま泳いでいると砂浜を見つけ、そこに彼を横たわらせる。月が傾き太陽が顔を出し始めた。ここに寝ていれば彼の冷たい身体も温まるかもしれない。

鱗に砂が付くことも気にせず、冷たい身体の彼の顔を覗き込む。手を握っても冷たく彼が生きているのすら怪しい。体温をわけてあげようと頭を持ち上げ抱き締める。刹那彼の身体が痙攣し、それに驚き顔を覗き込むと微かに目を開きまた閉じた。

「生きてる…?」

どうしたら、もう1度彼と話せるのだろうか。人間についてない知識を頭の中で考えていると、女の人の声が遠くに聞こえ心臓が大きく跳ねる。焦りで両手が震える。心做しか背中に冷たい汗が伝う。
このままだと人に見つかってしまう。
未だ冷たい彼の頭をそっと砂地に置き、海の中に帰っていく。

「お願い、どうか誰か彼を助けて下さい」

私にはどうする事も出来ないから、せめて私の声があの女の人に聞こえてくれたらいい。近くの岩場の影から彼の様子を見ていると、近くの建物から出てきた私と同じ髪の色をした白い衣服に身を包んだ女の人が、男の人を見つけてくれた。
彼女は彼に何をしたのかは、彼女の背中で見えなかったが彼は大きく咳き込み目を覚ました。

よかった、よかった。生き返ってくれた。

私は音を立てぬように海に潜り、自分の城を目指して泳ぐ。彼が目を覚ました事がこんなにも喜ばしいと思えるのは何でだろうか。どうして人は海の中で生きていけないのだろうか。彼は誰なのだろうか。

私も人になれるのだうか。

気になりだしたら止まらない。
あぁ、誰か私の求めてる答えを教えてくれるのだろうか。

段々と光が届かなくなるこの海を私は怖いと思ったことはない。だってここは私の世界で全てなのだから。

それから城に着くと父と祖母と姉達が私を待ち構えていて、その場で軽い小言を言われてしまった。
私の帰りが遅くて皆心配してくれたようで、そんな家族に心が暖かくなる。

そう言えば、人間と私話したんだ。

その実感が今になって蘇る。緊張もしたし、怯えもした。自分の返事が他の人魚に迷惑をかけてしまわないかと考えたりもした。それでも、喜びや楽しさが今でも勝る。


「ねぇ、お祖母様。どうして人間は海の中で暮らせないのかしら」
「海の生き物ではないからさ」
「じゃあ2本の足で立つってどういう感じなのかしら?」
「それは人間にしかわからないことさ」

あの出来事があってからというもの、毎日のように祖母に人間について沢山の質問をしたが、祖母は渋い顔をしてあまり答えてはくれなかった。答えたくないのか知らないのか。私には分からなかったがそれ以上何かを聞く気にはなれずに祖母の前を後にした。

人間になれるのか。そんな事が頭に浮かんでは消えていく。私は人間になりたいのかと自問自答しても答えは質疑を繰り返すばかりで解決しない。泳ぎながら考えていた所為か、いつの間にか魔女の住むと言われる私達王族でも近寄らない不吉な場所に潜り込んでしまった。

「早く帰ったほうがいいよね…」

しかし、ここに住む魔女はこの国一番の賢者とも呼ばれており、対価を払えばなんでも教えてくれるという。呪いも予言も占いもだ。
人間になれるのかなんて聞いても、何を馬鹿なことをと罵られるだけだろうか。でも、聞いてみなきゃなんて答えが返ってくるなんてわからない。

私は両手で拳をつくり気合を入れて、魔女が住むという館に入った。建物の中は全体的に薄暗く僅かな光だけを頼りに前に進む。すると海蛇が私の腕に巻付き話しかけてきた。

「珍しい顔だ、珍しい。どこに行くんだい?」
「魔女を探しているの。貴方は知ってるかしら?」
「あぁ、知ってるとも。案内しよう、案内しようではないか」

海蛇は尾だけを私の腕に巻き付け、私を魔女の所まで案内する。私たちが住んでいるところよりも冷たい深海の中に魔女は住んでいるようで、肌寒いと感じる。
海蛇があぁ、着いたよ。とねっとりと舐めるように私に話しかける。目の前には私が今立っている場所よりも遥かに暗い部屋があり、本当にこの中に魔女がいるのか不安になる。

「ねぇ、本当にここにいるの?」
「勿論さ。魔女は明るい所が嫌いなんだ。嫌いなんだよ」

さぁ、行こう、行こう。と海蛇は遂に私の腕にその全身を絡みつけて力強く前に進むように促す。私は絡みついていない方の手を伸ばすが、どこも掴む事が出来ず抵抗も出来ないまま魔女の前に引き摺られる。

「連れてきたよ。連れてきた」

海蛇がどこかにそう声をかけると、私の身体に何かが巻き付き、そのまま身体が宙に浮く。何が起こったのかが理解出来ずに恐怖で声が引き攣る。

「ひっ!」
「おや珍しい客だ。君はあの王族の小娘だね」
「っ、私のことを知ってるの?」
「この国で王族の事を知らない奴はいないさ」

確かにそうだ。そう思いしっかりと相手の顔を見ようと目線を彷徨わせると赤く光る2つの目を見つけた。目が合った瞬間魔女はゆっくりと口角をあげ、私に笑いかけた。

魔女のあまりにも不気味な笑に私は自分の好奇心を深く悔やんだ。