一瞬の悠久


LITTLE MERMAID





あの日から私はショート王子と出かける機会が何度かあり、夕陽が綺麗に見える小高い丘に行ったり城下町にお忍びで遊びに行ったりした。城下町の方は皆ショート王子の顔を覚えていてお忍びどころじゃなかったが、よく慕われていて果物屋さんから果物を貰ったりしていた。
真っ赤に色づいたリンゴがショート王子の髪の色のように鮮やかで食べると蜜が甘くて、リンゴとはこんなに甘いのかと驚いた位だった。

私を見つめるショート王子の表情は愛おしいものを見るような、時折悩ましげ表情をしたりと忙しくしていたが、1番多かったのは遠くを見つめていた事だ。

ショート王子、どうされたんですか?
そう聞けたら良かった。言葉で聞けたら少なからず反応を見ることが出来る。でも文字におこしていたら予測され作られた表情しか見れない。
きっとショート王子は笑いたくなくても私が、どうしたのですか?と聞くと、何でもねぇ。と安心させようと笑う。

私はそんなに頼りないですか?

私が地上に出てからもうどのくらいだったのだろうか。少なくとも麗らかな日差しから肌を照りつけるような日差しになり、喉がよく乾く季節になった。最後にショート王子と話したのはどのくらい前だったろうか。

「コハル様」

ルートルさんが私の名前を呼ぶ。今は私は東の部屋にいて室内には彼と私の2人きりだ。窓際で車椅子に乗り外の景色を眺める私はなんて何も持っていない女なのだろうか。

「この僕が遊び相手をしてあげましょう」

遊び相手をしてあげるんだから喜べ。とでも言いそうな顔で私を見下ろす。ルートルさんの中で私の価値とはどれ程のものなのかは到底想像もできない。私自身そこまで自分に価値があるとは思わない。でも彼は定期的にやって来ては私を城内案内する。
これが彼の言う所の遊びだ。

“ありがとうございます”
「今日は図書館に行く。車椅子で行けるところだ」

“ありがとうございます”
「僕も忙しい人間なんだ。王子の命令がない限り相手にはしないよ」

そう。彼はショート王子が私を気遣って宛てがってくれたのだ。その時に王子は暫くは用事で来れないと報告してくれた時は申し訳なさそうな表情をしていて、この方は本当に優しい人だと胸を打たれた。

“ショート王子はちゃんと休まれているでしょうか?”
「貴方が心配しなくともちゃんと休まれている」

“よかった”

ルートルさんが私の後ろに立ち車椅子の取手を握って車椅子の方向を変えている途中、大きな音をたてて部屋の扉が開き私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

「コハル!」
「お、王子…?」

ショート王子が私の名前を呼んで私達の所に早歩きでやって来た。
その様子にルートルさんがたじろぎ握っていた取手から手を放したらしく前に押し出す力と僅かに感じていたルートルさんの体重がなくなった気がした。
どうしたのかと紙にペンを走らせている途中、珍しくショート王子が私に話しかけた。

「何処に行こうとしてたんだ?」
「図書…」

ルートルさんが私の代わりにショート王子に答えようと行き先を伝えるが、ショート王子が離している途中で片手をルートルさんの顔の前に持っていき話すのを止めさせた。止められたルートルさんは素直に口を噤む。

「何処に行こうとしてたんだ?」

同じ質問をもう一度優しく私に向かって投げかけた。私にだけの質問でどこか胸が浮ついた。なんとなく、本当になんとなくだがショート王子は私を通して違う人を見ている気がしていた。でも今は私を見ている、私だけを見ている。その事がこんなにも嬉しい。

「どうしたんだ?そんなに笑って」

“図書館に行こう。とルートルさんが提案してくれたので”
“ショート王子の顔が見れたのが嬉しくて”
「図書館か…よし、俺が連れて行く」
「ですが執務の方はよろしいのですか?」
「あぁ、問題ない」

ショート王子の言葉に私とルートルさんが驚くが王子は、問題ない。とそれを一刀両断して私の正面から後に回って車椅子の取手に手をかける。
ルートルさんは1歩後ろに下がり私達を見送る為に先に移動して部屋の扉を開ける。その扉をショート王子に車椅子を押してもらいながら潜り抜けると、ルートルさんが軽く頭を下げてショート王子に声をかけた。

「行ってらっしゃいませ」
「あぁ」

ルートルさんの横を通り過ぎる瞬間に頭を下げるがルートルさんは私の顔を見る事はなかった。

タイルの上を車椅子の車輪が回り、ショート王子の履いているブーツの音がコツコツと響く。すれ違う臣下の方や使用人の方たちが私達を見て…正確に言うとショート王子を見て立ち止まり頭を下げる。
私がいた城でもあった光景だ。

「どうかしたか?」

頭上からショート王子に声をかけられたが緩く首を横に振って真っ直ぐ前を見据える。

タイルで足音を響かせながら歩き続けることどのくらいだったのだろうか。基本的に動いている車椅子の上で文字は書けないので無言の空間が続き、実際の時間よりも少し長く感じるような気がする。
漸く見えた大きな扉の向こうがこの国1番の蔵書量を誇る図書館らしい。

「着いたぞ」

大きな扉を抜けると膨大な数の本がびっしりと隙間なく天井まで続く本棚に収まっておりそれが隅から隅まである。

「驚くだろ」

何度も何度も首を縦に振る。

海の中にはなかった本という存在がこんなにもあるなんて…!

ショート王子が日当たりのいい場所に案内してくれ、丸い小さめのテーブルを挟んで向かい合って座る。私は車椅子に。ショート王子は座り心地の良さそうな1人がけのソファに。

“素敵です!こんなに沢山の書物があるなんて!!”
「コハルが来たい時に来て、読みたいものを読めばいい」

“いいのですか?”
「流石にこの部屋を与える事は出来ねぇが、自由に出入りはできるから届かない本があったら司書に言え」

こくりと頷いて壁一面の本棚を見る。天井まで続くそれに言い知れぬ喜びを覚える。

これからは私は色んな感情の予習をするのだろう。共感できる話は少なくとも今後私がその感情になった時にきっと私はより一層人を理解できるのだろう。