綺麗なものだけがそう呼ばれるのか


LITTLE MERMAID





コハルに一緒にカナの所に行かないかと声をかけたがあいつは一瞬眉間に皺を寄せて首を横に振った。
その表情が何を意味しているのか俺にはわからねぇ。コハルとカナの仲に何があったのか推測することもできねぇ。俺はコハルの事を何も知らねぇわけじゃねぇがなんでも知ってる訳でもねぇ。それが偶にもどかしくなる。

俺専用の白い馬を馬小屋から連れてきてもらい、白馬に跨ってカナのいる教会まで走らせる。この馬で毎回行くからかなのかはわかねぇがこの馬は道を覚えていて、俺が誘導しなくても教会の方へ行くようになった。

暫く走らせてると目的の場所に着き俺は馬から降りた。
今日は子供たちの声が聞こえねぇな。なんて頭の片隅に思いながら草むらを通り抜けるとひっそりと佇む教会があり、中に入ると窓から室内に陽が射し込み両脇に置かれたベンチの真ん中に敷かれた赤い絨毯を鮮やかにしている。

「マリア…?」

陽がよく射し込む窓がある1番前のベンチに座っているカナに向かって洗礼名を呼ぶ。ただ何となく本名を呼ぶのは憚られた。
俺に背を向けて1番前のベンチに腰を掛けていたカナが振り返り、俺をその視界に入れた。コハルと同じ瞳の色をした目が俺を見て頬を緩ませた。座ったままでいるあたりそこから動きはなく、隣に行ってもいいという意味なんだろう。
日差しが当たっている赤い絨毯の上を歩いてカナの隣に座った。そこは俺が思っていたよりもガラス窓から差し込む日差しが強く眩しさに一瞬目を細めた。カナは俺が窓側に座ったからか、正面を向いて座るカナの顔には薄い影が出来ている。

ここに来るようになってから俺は暫くカナという女の存在に揺れ動いた。心惹かれていたんだと思う。俺からカナに向かう感情は恋情だと思っていたがあの夜、コハルをこの手で抱いたあの夜に何かが壊れる音がした。それでも俺はあいつをこの手から離すことが出来ないでいる。それどころか何度もこの腕でコハルを抱いた。

「俺は俺の感情がわからねぇ」
「はい」
「俺はお前の事をどう思っているのかも、あいつの事をどう思っているのかも自分の事なのにわかんねぇんだ」
「はい」

カナは黙って俺の話を聞くだけで俺が望むような答えをくれるわけじゃない。どうしようもなく縋りたくてカナの肩に手を置いて俺の方に向くようにするとカナは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑って俺を抱きしめた。

「こうされて嫌ですか?」
「嫌じゃねぇ」

でも違和感がある。落ち着くのにすっきりしねぇ。肌に伝わる体温も感触も何か違う。

「心臓の鼓動が早くなったりしますか?」
「…いや、変わらない」

不思議と何も変わらねぇ。
カナは俺の頭をゆっくりと撫でて穏やかな声で俺を諭す。その話し方や態度や温もりはもう忘れ去っていたあの人の温もりを、存在を彷彿させた。

「きっと貴方は恋をしたんです。でもそれは私ではない」
「カナ?」
「貴方は私をとある方と重ねて無償の愛情を求めていたんだと思います」

俺は知らない間にカナと誰かを重ねていたんだろうか。でも誰とだ?誰とカナを重ねていたんだ?
未だに撫でているカナの手の温かさに全身の力が抜ける。このままこの微睡に浸っていたい。
そんな時コハルの顔が頭にチラついた。

「悪ぃ」
「謝る必要なんてありません。それに謝るのは私の方ですから」
「どういう事だ」
「私は今月中にここを出て自分の国に帰ります」

自分の国という事はカナは異国の人間だったのか。でもどうしてそれが俺に謝る理由になる?
カナに預けていた頭をあげて目の前にいるカナの顔を見ると彼女は酷く辛そうな表情をしていた。

どうしてそんな顔をしてるんだ。

そう言いたいのに言葉がうまく出てこねぇ。今まで見た事がねぇカナの表情にそれだけで動揺している自分がいる。
それだけじゃねぇ。俺は誰とカナを重ねていたんだ…?

否、そうじゃねぇだろ。俺はコハルとカナを重ねたんだ。重ねてあの夜コハルを抱いたんだ。わからないフリをしてあいつを苦しめてカナへの感謝の気持ちを拗らせて偶然見かけたコハルに欲をぶちまけた。

「俺はお前が好きだったんだ」
「いいえ。違うわ」
「俺の気持ちを否定するのか?」
「そうなりますね」

カナは悲痛そうに歪めた表情から一転して申し訳なさそうに笑っている。

俺はその表情を見ても心を痛める事はなかった。この気持ちはその程度のもんだった、それだけの事だったのだろう。カナから与えられる無償の愛情を、感謝の気持ちを拗らせて好意だって錯覚して暇さえあればここに通ってそうしてまた無償の愛情を受ける。それが心地よくてコハルといる時とまた違う温かさに肩の荷が降りる。そんな感覚があった。

あの感覚はきっとコハルの隣では味わえない。

コハルと体を重ねたあの日はカナとコハルを重ねた筈だったが、気が付けば俺はコハルの名前を呼んでいた。けど腹の底から吐き出したくなるような罪悪感が体を蝕んで浸食していった。吐き出してしまえたら楽になれたのかはわからねぇが、原因は俺はカナとコハルを重ねたからだ。でもコハルはそんな俺を受け入れようと俺の頬に手を伸ばしてゆっくりと指の腹で撫でて、泣きたくなるくらい穏やかに笑っていた。

だから止まらなかったんだ。コハルの身体をこの腕に掻き抱いてしまった罪悪感に。一瞬でもコハルの存在を道具として扱った事に罪悪感が止まらなく、零れた言葉は謝罪の言葉だけだった。

あれだけ罪悪感が体を蝕んだのに、俺はコハルの温もりを知ってしまいそれが手放せなくなった。
果たしてこの感情はカナの言う恋なのだろうか。