きっとどちらも不正解じゃない


LITTLE MERMAID





姉たちから受け取ったナイフは私にはとても重たく感じた。
姉達の大切なものを対価にしてまで作ってくれたこのナイフには沢山の愛情が篭ってる。

私は生かされることを望まれていて、その為の道具もある。だけど最愛の人をこの手で失いたくはない。

どうしたらいいというの…?!

間近に迫っている私の命の灯火はあと3日も経たないで事切れてしまう。

魔女は私にこう言ったのだ。
“王子に愛さるとちゃんとした人間になれる”と。つまり私はあと3日の内に王子に愛されなくてはならない。
そんな事は可能なのだろうか。私はここから出れない上に王子は婚約者を迎えることになっている。

…私は此処でひっそりと泡になろう。
姉たちには申し訳ないがそれしか手がないのだ。

最期にもう1度だけショート王子に会いたかった。

枕を濡らして泣き疲れて眠った次の日、事態は思ってもみない方向に進み出した。
鉄格子の前に兵隊が1人立っている。私を見下ろすその人は重々しく口を開く。

「コハル。貴方を釈放します」

え…。
どういうこと?

急な展開についていけないでいると、遠くから忙しない足音が聞こえる。その足音はどんどん近づいてきて、私はその足音の人物を見つけた。

ショート王子…。

「コハルっ!」
「王子いけません!」

ルートルさんもいる。車椅子を押しながらルートルさんが近寄り、兵隊の方から鍵を受け取り鉄格子の壁に唯一ある木製の扉の鍵を開けた。

音を立てて開かれたそれに真っ先にショート王子が中に入ってきて私を抱きしめた。ショート王子の温もりに包まれた身体に熱が伝わり私の体に灯る。

背中や腰に回された腕には力が入っていて痛いくらいだ。

「会いたかった」

耳元で囁かれる言葉はショート王子の本心を表しているみたいで胸が締め付けられる。
この胸に溢れる気持ちは暖かいのに切ない。

ショート王子はこの部屋から出ようと私の身体を持ち上げたが、兵隊の方がそれに反対した。

「王子、コハル様は私がお連れ致します」

その言葉に心臓が嫌に跳ねた。
私の服の中には咄嗟に隠したナイフが入っている。もし、このナイフがこの兵隊に見つかったらきっとこの場で斬られてしまうかもしれない。

「…今は俺以外の奴に触れさせたくねぇ」
「王子の意のままに」
「ルートル悪いがこのまま行く。湯汲みの用意をさせろ」
「かしこまりました」

兵隊の方は食い下がったが、王子は彼を全く相手にせずルートルさんに命令すると、そのまま歩き出した。ルートルさんは深く頭を下げて車椅子を押しながらショート王子の後に続く。
途中ルートルさんはどこかに消え、ショート王子は私を湯船に入れるために浴室に向かう。

浴室につくと世話をしてくれた使用人の方たちが待ち構えていて、何もなかったかのように以前の時と同じように私の体を洗っていく。

念入りに隅々まで洗われて、綺麗なドレスを着せられる。さっきまで着ていた服を受け取ってこっそりとナイフだけを抜け取った。

使用人の方たちが東の部屋から出て行き、1人になったその隙にまた服にナイフを隠した。色んな意味で手放せなくなったナイフは重たくて鋭い。

「コハル」

ショート王子が部屋に入ってくるとまた私を抱き締めた。
誰にもはばかられない今なら私はショート王子を抱きしめてもいいのだろうか。

「悪ィ。許してくれコハル」

何に対する謝罪なのか理解出来なかった。それでも謝られる理由がないと思って首を横に振ってショート王子の背中に手を回した。
それに許しを請いたいのは私の方だ。

今私はショート王子に黙って消えていなくなるのだから。

「コハル…俺は、カナと婚約することになった」

知っていた。知っていたが本人から告げられるとやっぱり胸がひどく痛む。

車椅子に座っていた状態のまま抱きしめられていたが、ショート王子が私を持ち上げて地下牢とは比べ物にならない程の柔らかいベッドにゆっくりと降ろした。

座って向かい合って見つめ合う。左右で色の違う瞳が私の事を捕らえて離さない。ショート王子の熱を帯びた瞳が私に移って身体に火を灯す。

胸が軋むように痛い。だけど最後の最期に漸く会えた。
その幸せに涙が止まらない。声にもならない吐息が喉から抜けて行く。

嬉しい…!嬉しい!

きっとこれから先ショート王子の人生に私という生き物は存在しない。
だけれども私の人生の最後にはショート王子が存在する。それだけできっと私の人生は豊かなものだったと言えるのではないのだろうか。

私は涙を流しながら服に隠していたナイフを取り出し、ショート王子に見せた。するとショート王子は驚いた表情をしたがすぐに穏やかに笑った。

なんでそんな表情を私に向けることが出来るのだろうか。
どうして私に向かって笑ってくれるのだろうか。

「コレをどうするつもりだったんだ?」

手元にあるのはナイフだけで、紙もペンもあるわけじゃないから自分の意思を伝えるのは難しい。

だから私はショート王子を押し倒して首元にナイフを近づけた。
殺したいわけじゃない。でも心のどこかで生きていたいって気持ちがあった。その表れだったのかもしれない。

ショート王子は押し倒されて首にナイフをあてがわれても穏やかに笑って私の頬に手を伸ばした。

「俺を殺したいのか?」

わからない。どうしたいのかわからない。

「俺は、お前にだったら殺されてもいいと思ってる」

そんなこと言わないで。

「コハル、愛してる」

その言葉を聞いた瞬間、私の身体に衝撃が走った。痺れるようなそのじんわりとした痛みは身体を巡って駆け抜けていく。

「コハル?」
「わ、…たし。も…」
「お前声が…!!」

海にいた時と同じように声を出すと、辿々しくもか細い声が出た。海1番の歌声と呼ばれたあの時よりもずっと枯れてはいるが今はこれでもいい。

例えこの人と結ばれなくてもいい。ただ、私たちが愛し合った記憶があればそれでいい。例え泡になって死なない人生、つまり人として、人間として生きていく人生になったとしても、だ。

「わた、しも…あいし、て…る」

それ以外は望まない。