人になるための対価


LITTLE MERMAID





「それで末の姫君は何をお望みなんだい?」
「私に教えて欲しいの。私達は人になれるのかを」

ここにしてしまったのだから収穫は欲しい。“ある”でも“ない”でもどちらでもいい。その答えだけが欲しいのだ。この際どうしようもなく震える身体なんてどうでもいい。

「末の姫君はどんな答えをお望みだい?」
「…あって欲しいと思う。私はもう1度彼に会ってみたい」
「だったら対価を払ってもらおうか」

対価?とはなんだ。対価を払えば私も人になれるのか?彼ともう1度あの日のように話せるのか?期待に胸が膨らみ、矢継ぎ早に魔女に問いかける。もう私の中に恐怖心はなかった。

「あの人にまた会えるの?またあの人とお話ができるの?そうなの?!」
「そうかい、末の姫君はその人に恋をしたんだね」
「恋、って何?私にはわからないの」

この気持ちが恋というのなら、恋なのだろうか。誰かを想った事もない私には魔女の言葉は新鮮で強烈な違和感を覚える。

「すぐに分かるよ。その彼にもう1度会えばね」
「会えるのね」

暗闇の中そう問いかけると何かが動く気配がした。いつまでも見慣れないこの暗闇が今は普通に思える。

「なれるさ。但し対価を払ってもらおう」
「払うわ」
「しかとその言葉聞き入れたよ」

その言葉と共に何かが私の首に巻き付く。首を締められるわけではなく、酷く緩く巻かれるそれをそのままにしていると魔女はくすくすと笑う。

「いい子だねぇ」

魔女は私の掌に何かを乗せ、私の拘束を外す。自由になった身体で掌に乗れられたものを確認しようとするが、やっぱり暗くてよく見えなかった。

「これは…?」
「人になるための薬さ。飲めばその美しい声は失われ、地面に足の裏が触れる度に肉を抉るような痛みがあるだろう」

声がなくなってしまったらもう彼と話せないのかしら。でも彼にもう1度会えるならそれでいい。それに足の裏の痛みなんて私には関係の無いことだわ。

「わかったわ」
「そして、末の姫君が恋焦がれるその人に愛されなければその姿は泡となり消えてしまうよ」
「…わかったわ」

それでも彼に会いたい。この気持ちはどうしても抑えられない。私は力強くその小瓶を握り魔女にお礼を言って城に向かって泳ごうと後に振り返る。

「しかし本当に珍しい。我々300年生きる人魚と違い短命な人になりたいとは」

その言葉には何も答えなかった。なんて答えたらいいのか分からないからかもしれないし、この気持ちに明確な名前なんてないのかもしれないから。

それでも、私の知らない事を知るのがこんなにも楽しみなのだから私はきっと後悔はしない。

その日の内に私は自室に篭もり、国王である父と祖母、それに姉達に手紙を書いた。それは別れの手紙のようで書いているうちに涙が止まらなくて何度も書き損じてやっと出来上がったものだった。

「さようなら」

人は短命だが死ねばその魂は天国という場所に行くという。それを手に入れるには人と結婚するしかない。だから私は人になる。どうしても私は魂を手に入れたい。彼と同じ魂が欲しいのだ。

人知れず城を飛び出して海面を目指して上に向かって泳ぐ。水面に顔を出すと時刻は太陽が差し込み始めたばかりのようで、浜辺には人っ子1人といなく、私は浜辺に上がり魔女からもらった薬を一気に飲んだ。
なんとも飲み心地の悪いとろみのあるそれを飲み干すと、私の月の光に反射した美しい鱗がポロポロと落ち、腕や顔と同じ皮膚の色をした2本の足に変わる。

凄い!本当に人間になったんだわ!

ぺたぺたと自身の足を触り何度も撫でる。早速立ち上がりこの足でこの浜辺を駆け回ってみようと、立ち上がり足の裏を地面につけるとナイフで足の裏を刺されるような痛みに襲われ、立っていられなくなり地面に手をつける。激痛に涙が流れる。あまりの激痛に横たわり身体を震わせながら止まらない涙をそのまま流していると、砂浜を踏む音が聞こえた。

誰か助けて…。

愚かにも私は魔女の言っていた言葉を忘れていたのだ。そうかこれが人間になる為の代償なのかと涙を流さずにはいられない。

「誰かいるのか」
「…ぁっ…!」

声を出そうと思って口を開けるが、音が出ない。あの魔女に声を取られてしまったからだ。国一美しいと謳われた私の声はもう欠片すら残っていない。

足音は次第に大きくなり、遂に私に声をかけられた。涙を流したままその人の顔を見ると、あの時私が助けた赤と白の髪をした男の人が私の顔を心配そうに覗き込み私の頬に手を当てる。
あの時とは違う暖かな体温に彼が生きてる事を実感する。

「大丈夫か?」
「…っ、」

口を開けては閉じてを繰り返し何度も声を出そうと頑張るが、その努力は全くの無駄だと言うように声は出ない。私は声を出す事を諦めて大人しく首を横に振り足に手を当てる。

「足が痛むのか?」

縦に頷くと彼は私の背中と膝裏に腕を回して持ち上げてくれた。それに戸惑うと彼は優しく微笑みかけてくれる。

どこに連れて行くのかもわからないまま、大人しく揺られていると白馬に乗せられた。すると彼が私の後ろに座り、私の前に垂れていた手綱を握りる。私は初めて触る地上の生き物に恐る恐る触ると、後ろにいる彼が私の手に自分の手を重ねて、ゆっくりと白馬を撫でる。触れる彼の温もりが心地よくて胸の奥から温かくなる。

「お前名前は?」

声が出ないのだから名前も教えられない。静かに首を振ると彼は心配そうに私の目を見る。

「声が出ないのか?」

その言葉に縦に首を振ると、彼は重ねていた私の手を離して、掌を私に見せた。どうしたのかと首を傾げると彼は私の手を取り指先をその掌に乗せる。

「指で名前を書いてくれ」

それだったら出来るかもしれないと、たどたどしく指先で彼の掌の上で文字を書く。すると彼は優しく微笑み私の名前をその唇で呼んでくれた。

「コハルだな。いい名前だな」

コクリと頷く。父と亡き母が与えてくれた大切な名前だ。誇らしく思う。そしてふと気がつく。彼の名前は何と言うのだろうと。

「ぁ、…」

それを聞く術を持たないからどうしたものかと首を傾げると、彼は私の質問に気がついてくれたのか白馬のお腹をその両足で叩き歩かせてから自分の名前を名乗ってくれた。

「ショートだ」

ショート、ショート。そうか彼はショートと言うのか。教えてくれてありがとう。と伝えたいのに伝えられないもどかしさに顔を顰めると、ショートさんは私の頭をぽんぽんと撫でてくれた。

「そんな顔をするな」

でも、と顔を上げると彼はもう少しの我慢だと言った。

「城に帰ったら知り合い…友人に魔法を使えるのがいるから診てもらおう」

ショートさんの一言にいろんな情報が詰まってて、一瞬何を言われたのかが理解出来なかった。魔法使いって地上にもいるんだ。こっちじゃ魔女と言うけどここでは魔法使いと言うのか。それに城って聞き慣れすぎた単語が出て来て思わず流しかけたが、ショートさんってもしかしたら王子様なの?

ショート王子?うん、しっくりくる。

驚きのしっくり加減に満足げに何度も頷くと、ショート王子はくつくつと笑う。
それを不思議に思って下から見上げるとショート王子は酷く優しい瞳で私を見る。

「お前あの人に似てるんだ。少し前に俺は船から投げ出されて助けてくれた人がいたんだ。その人にコハルが似てるんだ」

髪の色なんてそっくりだと甘く蕩けるような視線を私の髪に寄せる。梳くように撫でられる。それが心地よくてつい目を瞑ってしまう。

彼は覚えていたのか、と驚きをしたもののすぐに打ち明ける事が出来ないこの身体を憎んだ。いや、打ち明けた所でどうなるというのか。私は褒美が欲しいわけじゃない。彼らと同じ魂が欲しいのだ。
私はショート王子を助けたもう1人の髪色の同じ女の人の存在を忘れ、ひっそりと覚えていてくれたことを喜んだ。

そして、魔女の言葉をも忘れていたのだ。