花園の密


LITTLE MERMAID





海を見て過ごす日を何日繰り返していたある日、私に与えられた東の部屋にショート王子がやって来たことによって変化を遂げた。王子は疲れたような顔をして部屋に来ては私と会話をしてくれた。私が紙に文字を書いている間、ショート王子は言葉を発する事がなくて私は急かされているのではないかと思い、急いでペンを走らせるとショート王子はペンを持っている私の手に自身の手を重ねた。

「急がなくていい。待ってる」

その言葉に頷いて私は、よく考えて紙にペンを走らせた。ショート王子は私の書いた文字を言葉にして読んでくれる。まるで私の代弁者のようで書いた文字に息が吹き込まれていくような気さえする。
ゆっくりと穏やかに繰り広げられる会話は私達だけの世界で、私達だけの秘密だった。

「今日は花園に行かねぇか?」

“花園…ですか?”
「あぁ、丁度見頃なんだ」

花園…花が沢山咲いている場所だよね?
花と言うものを見たことがないから是非見に行きたいのだが、いいのだろうか。私は歩くことが出来ないからショート王子の手を煩わせるのではないかと不安が芽生える。

“私歩けないですよ”
「俺が連れて行く」

“いいのでしょうか?”
「あぁ、気にするな。此処の花は国で1番綺麗だ」

お願いします。と文字を書いて頭を下げるとショート王子は穏やかに笑うと、私の背中と膝裏に腕を回して持ち上げる。急激に変わる視界と、さっきまであった安定感がなくなり驚き息を一瞬息を飲んだ。心臓が怯み変に脈を打つ。
ショート王子はそんな私を見て、声を殺してくつくつと笑う。
なんで笑われているのかわからなくて、頭上にあるショート王子の顔を見ると、王子は前を見ながらしっかり掴まれ。と言った。

どうしてだろう。
そんな事を思うよりも先にショート王子が歩き出し、不安定な体制が更に体が歩く振動で揺れて更に不安定なものとなる。私は慌ててショート王子の首に両腕を回して抱きつくと王子は口の端を僅かに上げた。

「そうだ。そのままにしてろ」

何度も頷いて両腕に力を込めると、王子はまた声を殺して笑う。
何でかはわからない。でも嫌だとは思わなかった。それが私には不思議でたまらなかった。
東の部屋からそんなに距離がなかったのか、近道を知っていたかはわからないが思っていたよりは早く目的の場所に着いたようで、王子は私に目を閉じるように促す。

「コハル俺がいいと言うまで目を閉じてくれ」

私は言われた通りに大人しく目を閉じ、ショート王子の合図を待って暫くした頃。王子が私をどこかに降ろした。素足に草が触れて擽ったい。

「開けていいぞ」

その言葉に私は閉じていた目を開けた。風が私の頬を撫ぜて髪が舞い上がる。視界には風に揺れる色とりどりの花があがあり私はその光景に心打たれた。

なんて綺麗なのだろうか。
声が出ていれば私はきっと感嘆の声をあげていたに違いない。それ程までに綺麗で素晴らしい景色だったのだ。

「気に入ってくれたか?」

頷きショート王子を見つめると王子は私の横に膝をつき、私の手を取り手前にあった花に触らせた。風に揺れるピンク色の花はなんという名前なのだろう。

いや、それ以前に花がこんなにも可憐で触れると壊れてしまいそうな程繊細だとは思わなかった。指に触れる花弁が薄くて親指と人差し指で挟むと指の熱の感覚が分かる位に薄くて簡単に壊れてしまいそうで怖くなる。
震える手で花の輪郭をなぞるように触れるとショート王子が、その花の茎の真ん中辺りを折って私に手渡してくれる。

「ほら」

両手で包むようにその花を受け取り、花の匂いを嗅ごうと花に近づける。海の中にいた頃には嗅いだことのない陸の匂い。花の匂いに太陽の日差しの匂いが混ざった匂い。温かい匂いだった。

“素敵です!こんなに素晴らしい景色もお花も見たことがありません!これを育てている方はきっと愛情深い方なんですね”
「どうしてそう思ったんだ?」

“私にはお花が生き生きしているような、綺麗に咲かせてくれてありがとう。と言っているように見えるので”
「そうか。コハルは俺の考えつかない事を考えるな」

“そんな事ありません、私なんて何も知らないただの女です”
「俺はそうは思わねぇが」

ショート王子は私の隣に腰を掛けて遠くの空を見るように目を細める。その横顔を見て私は昨夜の使用人さんの言葉を思い出した。出会って間もない私が聞いてはいけない彼の過去の一部を。
今、彼は私によく穏やかに笑いかけてくれている。そんな彼が周りから左目の周りの痣の所為で恐れられていたという。だから人を信用できなかったとあの人は言っていた。そんな彼をミドリヤさん達が救い上げてくれ、私は彼の優しさによってここで暮らせる。だから私は彼が荒んでいたという言葉が信じられない。
だけどもそれは紛れもない真実なのだろう。

私が紙に文字を書いてショート王子に見せると、彼は目を瞑り頷いた。まるで過去の事を清算し消化したようなそんな笑みに私の心が動いた。

“綺麗なお花ですね”
「そうだな」

ショート王子は私の頭に手を置いてゆっくりと、優しく撫でる。男の人に撫でられた事がお父さん以外になく心臓が忙しなく動く。不快感なんて全くなくむしろもっと撫でてもらいたくなる。

不思議だ。

風が頬を撫でて髪を掬い上げる。花弁が風に巻き上がり流れに流されて2人の間をすり抜ける。その中の1枚の花弁がショート王子の髪に引っ掛かってしまい、紙に書いて伝えると王子は乱暴に髪をかき落そうとするが花弁は依然と絡まったままで、私はショート王子の頭に腕を伸ばして花弁を取ると目を開いて驚いた顔をするショート王子と目が合った。そんな顔をされるなんて思ってもみなくて固まっていると、王子は薄く頬を染めて私から視線を逸らし、花弁を摘まんだ私の腕を取って押し返す。

そんなに近寄られるの嫌だったんだろうか。

私は急いでノートにペンを走らせると、ショート王子の手がペンを持っている私の手に重なりそれをやめさせた。顔を上げるとショート王子は顔を申し訳なさそうに顰めて一言発した。

「悪い」

“不快な思いをさせてすみません”
「違う、そうじゃねぇんだ」

ショート王子は言葉を続けようと口を開きかけたが、何も話さずに唇を閉じてもう1度私の目を見る。目が合っている筈なのに目が合っていない。そんな気がする。どうしてかはわからない。

ショート王子、どこを見ているの?

言葉が出ないのに私の口は確かにそう動いた。
喉から音が出るはずもなく、口をただ開閉させているだけ。言葉が音として出ないのがもどかしい。

ショート王子はハッとした顔で立ち上がり、また私に謝る。続いて私も立ち上がろうと足の裏を地面につけると、ナイフで抉られたような鈍い痛みに声にならない悲鳴を上げる。

「ぁ!…、っ!!」
「大丈夫か?!」

足の裏を地面につけただけなのに、魔女の呪いはそれさえも許さないとばかりに私に痛みと云う対価を与える。
痛い、痛い辛い。涙が止まらない。

ショート王子が私の肩に手を置き心配した顔で覗き込む。大丈夫じゃない。でも大丈夫と伝えないとショート王子がずっと心配し続けてしまう。私は地面に置いた紙を掴もうと腕を伸ばすが、それに気が付いた王子が先に紙とペンを回収して私の背中と膝裏に腕を回して持ち上げる。

「取り敢えず帰るぞ」

楽しかった雰囲気を壊してしまった事や、1人で歩けないことの不甲斐なさ、ありがとうもごめんなさいも言えない苦しさに涙が零れる。ショート王子の首に腕を回してしがみつく。今はこんな泣き顔を見られたくない。
こんな情けない姿は見られたくない。