想い出回廊


LITTLE MERMAID





ショート王子と花園を一緒に眺めた翌日、ショート王子が東の部屋、つまり私の部屋に訪ねて来た。足の具合は大丈夫かと昨日からずっと心配をしてくれている。

“痛みはもうないので大丈夫ですよ”
「そうか」

“それよりもお話を聞かせてください”
「話…?」

“何でもいいです。なにかショート王子のお話が聞きたいです”

私の足の話題から話を逸らそうとショート王子にお話を聞かせてくれと言うと、王子は私が普段使っているベッドの淵に腰を掛けて窓の外を見ながらぽつりと言葉を漏らし始めた。

「俺はある女の人に命を救われた。嵐の夜に俺の乗っていた船が転覆して岸まで流された俺を…お前と同じ髪をした女の人が助けてくれたんだ」

その話は王子と再会した時に聞いた話だった。

「彼女にもう1度会いたいが、難しいだろうな」

もう会っていますよと伝えたい。でも伝えられない。なんて説明をしたらいいかもわからないのにそんなこと言えない。

私は何も言えないまま、王子がミドリヤさんと出会った時の事、そこから色んな人たちと出会い、山奥の更に深い人や獣も近寄らないと言われる場所に住んでいる邪悪なドラゴンを討伐に行ったというまるで物語のような話を私に聞かせてくれた。
それからと言うものショート王子は私の部屋に来てはお城のお話やこの国の話をしてくれた。

そんな毎日が続いたある日、普段のショート王子よりもどこか浮ついたような、そんな雰囲気で王子が私の部屋にやって来たので紙にペンを走らせた。

“何かあったんだんですか?”
「あぁ、コハル外に行こう」

“外ですか?”
「行くぞ」

外とは室外の事なのか城の外の事なのか、どちらにせよ私は歩けないからこの前のように迷惑をかけてしまうのじゃないかと、首を横に振ると王子は私を横抱きにして部屋から出て廊下を歩く。
私に与えられた東の部屋はあまり使用人の方がおらず、すれ違うのも片手で足りる程度だ。色んな人に見られるわけじゃないのが唯一の救いなのだろうか。

それでも恥ずかしい。

王子は人通りの少ない道を選んでくれたお陰か、東側を抜けた先でも場城内で人目に合う事はなく馬小屋まで来れた。ショート王子は私を小屋近くのベンチに座らせて、小屋の中に入っていき、再開した時に乗っていた白馬の手綱を引っ張りながら出てきた。

「これに乗って行くぞ」

“遠いのですか?”
「少しな」

ショート王子は私を横抱きにして白馬の横に置いた台の上に乗り、私を馬に乗せたあと台を片付けて自身も馬に跨った。私の後ろにショート王子が跨り、手綱を握り馬を踵で蹴り走らせる。駆け足で走る馬の揺れに慣れず思わず鞍に掴まる。

「コハル顔を上げろ」

目の前の鞍に掴まる事に必死で下ばかり見ていた私にショート王子が前を向くように声をかけて馬を止める。私はその言葉通りに顔を上げると、平野の先に海が広がっており自然と笑みがでた。東の部屋から見ていた景色とはまた違い、今は傾きかけた太陽の光が海に反射して輝いて見える。

「もう少し海に近づくぞ」

ショート王子の言葉に頷くと、王子もまた頷き返してくれてまた馬を走らせた。駆け足で駆けて行くリズムに段々と慣れていき今は近づいていく海に胸を躍らせる。早く、早く海の傍に行きたい。
この気持ちは私が人魚だったからだからか、それとも心の底では海に帰りたいと願っているからなのか。

馬を暫く走らせると浜辺に着き、王子は馬から降りた。手綱を握り寄せては返す波の傍まで連れて行ってくれて、触れられはしないものの潮の匂いに懐かしさを覚える。感謝の気持ちを文字にしてショート王子に伝えると王子は口の端を僅かにあげて笑った。

「お前がこの間の花園の事を気にしてんじゃねぇかと思ってな」

それでここに連れてきた。

なんて優しい方なんだろうか。足の事を気にかけていたのはショート王子もなのに、私の気持ちまでを気にかけてくれている。なんて、なんて慈愛に溢れている人なんだろう。

“ありがとうございます”
「いや、俺がしたくてしたことだ気にするな」

“それでも嬉しかったので、本当は言葉にして言いたいのですが、すみません”
「俺はお前の声が出なくてもいい。こうやって会話が出来ているんだからな」

ショート王子が手綱を引きながら海辺を歩く。たまに立ち止まってはぽつりと会話をしてはまた歩き出す。太陽が徐々に傾き赤い太陽の光が海をオレンジ色に染まる。窓の向こうに広がっていた景色が今、目の前に広がっている事に感動を覚えた。
雄大で壮大な光景に心打たれる。

「綺麗だな」

はい。私もそう思っていたところです。
“はい、とても”

夕日が差し込む海辺を歩いていると何処からか女の声が聞こえてきて、私達は顔を見合わせた。誰かいるのかと驚いていると、王子は様子を見に行くと手綱を離そうとするので、手綱を引っ張り私に注意を向けさせる。

“私も行きます”
「けど…」

1度書いた紙をショート王子に向かって突き出す。絶対に一緒に行くと言う意思表示だ。王子は軽い溜息を吐き手綱を握り直す。

「わかった」

“ありがとうございます”

ショート王子は腰に差している細剣をちらりと見てから声のする方に手綱を引きながら歩いていく。草根の先には私と同じ髪の色をした女の人がいた。

あの人、どこかで…。

何処かで見たことがある。でも何処で見たかを思い出せない。
何処だ、どこで見たんだ。

「あんたはあの時の…」

ショート王子の言葉に思考が完全に止まる。
それは私だけだったようで、女の人はショート王子の顔を見て思い出したのか和らげに笑って王子に言葉をかける。

「…貴方はあの時の方ですね?その後大丈夫でしたか?」
「あぁ、あんたが助けてくれたお陰だ」
「いえとんでもございません」

何も考えられないまま2人の会話は進んで行き、私は取り残されたように急激な疎外感を感じる。
ショート王子に彼女の事を聞こうにも、会話が流れるように進み紙にペンを走らせる暇がない。

「名前はなんて言うんだ?」
「カナに御座います。ここの近くにある修道院にて神にお祈りを捧げております」
「修道院…」

カナと名乗った女性と私の目が合い、彼女は酷く穏やかに笑って私に話しかけてくれた。

「髪の色私と同じなんですね」

その言葉に頷き、ショート王子を見るが、王子は私ではなくカナさんを見ていて目が合わない。その事に胸が痛む。
カナさんは不思議そうに小首をかくが踏み入るべきではないと判断してくれたのか、それ以上私に話しかける事はなく、ショート王子に向かって話しかけた。

「それでは私はこれで。ご縁がありましたらまたいずれ」
「あの時の礼は…」
「いりませんよ。あれは私がしたくてした事ですので。それでは」

カナさんは修道服の黒いスカートの端を両手で摘み軽く持ち上げ、私達に恭しく頭を下げ最後に笑顔を見せてから背を向けて歩いていき、残された私達は動けないでいた。
何が起こったのかが理解できない。それでも1つだけ理解したことがある。ショート王子が言っていた命の恩人は私の事ではなく、カナさんのことだったという事だ。

ショート王子が私の事を覚えていたわけじゃなかった。
あの時、あの花園で王子と目が合わなかったのは私を通してカナさんを見ていたからなのかもしれない。
そう思うと急に胸が痛くなる。どうしてなんだろう。私はショート王子に見ていて欲しいのだろうか。

王子は気を取り直したように私に振り返り、嬉しそうに笑った。
私も貴方を救ったんですよ。と言ったら彼は私にこんな笑顔を向けてくれたのだろうか。
まるであの時に見た花のように綻ぶ顔を見れたのだろうか。

カナさんが恨めしいわけじゃない。あの時彼女にショート王子を託したのは確かにこの私だ。人間に対する知識が何一つとしてなかった私の責任だ。

帰りの道中王子はカナさんの事ばかり話していた。時に私の髪に触れていた。
こんな時私が声を出していたら、触らないでと言えたのだろうか。

駆け足に合わせて揺れる体では文字もかけやしない。ましてや胸の痛みで顰めた顔なんて見せられない。

色んな嫌なものが胸の中で渦を巻いて苦しくて切なくて、張り裂けそうになる。
人はこの感情をなんと呼ぶのだろうか。