芽生える気持ち


LITTLE MERMAID





朝、起きて直ぐに水瓶から水を飲み乾いた喉を潤した。第3王子としての身分を示す衣服に身を包み机に向き合う。元々この国の領地は少なく、周りが海に囲まれている為侵略してくる隣国もなく平和そのものの安寧がある中、俺は極僅かな領地の管理をしている。

与えられた領地をより豊かに、秩序維持をして行く為に日々終わりもしない書類の山に囲まれる。

「あいつが来て1ヶ月か」

コハルを浜辺で見つけ、ここに住まわすようになってその位の日数になった。城に、この国に使えてくれている者達はよく、コハルを受け入れてくれたもんだと感心する。否、俺がこの国で暴れている魔獣を倒しに行くと言った時から何かしらは諦めてるのかもしれねぇ。なんて思いつつもこの国の平和が人々に豊かな心をもたらしているのかもしれねぇな、とも思う。

そして修道院の彼女に会って、正確に言うと再会してだが、それから何日が経っただろうか。あの日俺の命を救ってくれたカナという女を忘れたことはないのはコハルがどことなくカナと似ているからだろう。
コハルを見る度にカナの顔が過ぎる。特にここ最近はずっとそうだ。

「会いてぇな」

もう一度彼女の姿をこの目に焼きつけてぇ。欲しても手に入らねぇと思えば思う程手に入れたくて仕方なくなる。
処理しないといけねぇ物は既に終えた。

お互いの頭からお互いの存在が消える前にもう一度会いてぇ。

その一心で俺は飼い慣らしている馬に跨り、手網を握り足で馬の腹を蹴る。駆け足で走り出した馬で先日の浜辺を目指す。そして人目を避けるかのように雑木林の中に建てられた教会を見つけて馬から降り、教会に向かって歩くと子供たちの声が聞こえる。

「マリア!このお花綺麗だねぇ」
「そうだねぇ。白くて綺麗な花ね」

遠目でその様子を見ていると、黒い服に身を包んだカナが俺の存在に気が付いて視線だけをこちらに寄越し、カナの腰より下位の身長しかねぇ女の子の頭を撫でて教会に行くように促し、少女が教会に向かって走って行った事を確認し俺の方に体を向け穏やかな顔で微笑む。

「お久しぶりですね」

カナのその一言に俺と言う存在が忘れられてない事に安堵した。
近づきすぎず遠すぎずの位置まで近寄り、穏やかに笑うカナの顔を見ていると彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめた。

「あまり見つめられても困ります」
「あぁ悪ぃ。それよりマリアってなんだ?」
「私の洗礼名です。本名とは別に名前を授かり生活していくんです」

成程、だからマリアと呼ばれていたのか。

「俺もそう呼んだ方がいいか?」
「どちらでも。ですが他に誰かいる時はマリアとお呼びください」

名前を教えたのは私が私としての尊厳を見失わない為ですし。とカナは続けて言ったが俺はそんな事よりも2人だけの秘め事が出来たようで胸の奥が擽られる。忙しないのに心地の良さを覚えるそれはなんなのだろうか。

俺はこの気持ちを知らない。

「カナ」
「はい、なんでしょう」

何かを伝えようと思ったわけでもねぇのに名前を呼んじまった。
小首を傾げて俺を見るカナの足元にさっきの少女が近寄り不安そうな顔して俺を見上げる。

「マリアちゃん…この人だあれ?」
「知り合いよ」

少女の背丈に合わせてしゃがみ優しく頭を撫でている。少女は嬉しそうに頬を緩め花が咲いたように笑う。
その光景がどこか懐かしく羨ましく思え、切なくなる。

「カ…マリア、」

カナと間違って呼びそうになった俺に視線を向けて笑みを向け、また少女と穏やかに話をし始めた。
ここにいちゃいけねぇ。そんな気が俺を逸らせその場から弾かれるように背を向けた。後ろからはカナの笑い声が聞こえ、それだけで頭ン中にカナの笑った顔が浮かび上がる。

心臓が苦しい。

真綿で締め付けられるような苦しみに首を傾げる。
命を救ってくれた彼女に何か感謝以外の何かを持っているんだろうか。そんなはずはねぇ。そんな事はあってはならねぇ。考えれば考えるほど何にも染まる事のない気高い黒の修道服に身を包み俺に向かって柔らかく微笑むカナの事が脳裏に焼け付いて離れねぇ。
マリア。まさに彼女に相応しい名前に目が合い会話をする事さえ神に後ろめたい気さえする。

…神か。

もしそんな存在がいるのだとしたら教えて欲しい。
俺は誰に何を求めているのか。俺は何をしたいのか。

鐙に足をかけて馬に跨り両足で横腹を蹴り走らせる。帰ろう、俺の居場所に。あいつが待っている。

城について王家しか使えない門から入ると門番が俺を迎え入れ、馬をそのまま歩かせ従者に馬を預ける。その足で俺はコハルの部屋に向かおうと東の一室に足を向けるとコハルと一悶着した俺よりは年上の臣下の中では若い男が近づく。

「王子お帰りですか?」
「ルートル、だったな」

ルートルは腰を曲げて俺に向かって頭を垂れる。
なんのつもりだとは言う気はない。先日の事を謝罪しに来たんだ。そんな予想は簡単に組み立てられる。

「…はい、先日のご無礼お許しください」
「俺よりもコハルに言え」

そういうとルートルは何処かほっとしたように笑い、頭を上げて俺から目線を逸らした。

「コハルさんはお優しい方ですね」
「話したのか」
「はい。失礼なことをした私を許してくださいました」
「そうか」

彼女はコハルはどんな気持ちでルートルを受け入れたのだろうか。この表情の裏に何かを隠した得体のしれない何かにコハルはどんな事を思ったのだろうか。

ルートルとの会話を切り上げ俺はコハルに与えられた東の部屋に急いだ。また泣きそうなのを我慢しているんじゃねぇかと心配にかられ、部屋の扉をノックし中に入ると大きな瞳は閉ざされており肩をゆっくりと上下させながらいきをしていた。

「寝てんのか…?」

コハル。と名前を控えに呼ぶが返事は案の定なくほっと息をついた。よかった、何も無かった。
時折眉間に皺を寄せるものの規則正しく肩を上下に揺らしている。

「コハル、俺はどうしたいんだろうな」

教えてくれよ。

そんな事を呟いてもコハルの耳に入るはずもなく、空気となって空間に溶けていった。