はちみつのような甘さで



「もう無理だよー!」
「んな弱音言ってる暇あんならちゃっちゃと覚えろや!!」
「かっちゃんみたいに私頭良くないんですー」

この春から学生という身分から社会人という身分に変わり、めでたく決まった就職先での業務内容の多さや聞き慣れない用語に本やメモ帳を片手に覚えようとするがその量の多さに辟易してしまう。

真剣に本を読んでいた筈なのにいつの間にかローテーブルに上半身をだらしなく乗せて腕を伸ばしていた。

「へこたれんな」
「だってー…」
「しゃーねぇな」

ため息を吐きながらそう言って私の後ろに配置されていた真っ白のソファから立ち上がってどこかに言ってしまった。

呆れられてしまったのだろうか。

そりゃ高校の時に出会って、かっちゃんの愚直なまでの真っ直ぐさに惹かれて私も頑張ろう!って思ったけれども、入社したばかりの事務所なんだから緊張もするしその所為でうまく頭が回らない。

「んんー、」
「何してんだよ」
「!…かっちゃん」

戻って来たかっちゃんの手には湯気の立つマグカップが握られており、それをローテーブルにコトリと置いた。
中を覗くとミルクティーで紅茶のいい香りが漂ってくる。

「名前好きだろ。それ」
「うん、でもどうして?」
「いいから飲めや」

言われるがままマグカップを両手で持ち、口元に近づけて息を吹きかけほんの少量ずつ口に含む。優しいミルクの甘みとは別にまろやかな甘みもありティーパックのただのお茶を美味しくさせている。

安い紅茶しか家にないのに、こんなに美味しいミルクティーを淹れれるかっちゃんはやっぱり凄い。

「美味しい…」
「やる気、出たんか?」
「うん、すごく」

折角夢が叶って今の職場に就いたのだからと、私は気合を入れ直してメモに向き合い聞きなれない用語と格闘する。



「だけど無理だぁ」
「テメェ!!人が折角良くしてやったと思ったらまたすぐにへこたれやがって!!ナメてんのか?あぁ?!」
「怒鳴んないでよー。やる気なくなっちゃう」
「怒鳴りたくもならァ!!」

数10分真面目にメモ帳と睨めっこしたが、完全に切れた集中力を繋ぎ直すのは大変難しく、私はすぐにギブアップするとかっちゃんの個性である爆破をさせそうな勢いで私に怒鳴り、三白眼の目を更に吊り上げる。

「巫山戯んのも大概にしろよ!!」
「巫山戯てないもん!」

慣れない用語はカタカナばかりで、何が何だか分からなくなる。真剣に覚えたいのに混乱して覚えられない。

「私は!…私はかっちゃんみたいに何でも出来る人間じゃないんだよ」
「名前…」

私の後ろの白いソファに座っているかっちゃんに向かって怒鳴ろうと後ろを振り返るが、かっちゃんに怒鳴った所でどうにもならない事に気が付いた挙句、八つ当たりしようとしていた自分に虚しくなり目頭が熱くなる。

「私だって頑張ってるもん」

情けなさ過ぎるこんな私の姿を見られたくなくて、俯くとかっちゃんの腕が私の視界に入り彼の暖かい手が私の横腹に触れる。そして軽く力を入れて持ち上げようとするので促されるままかっちゃんが腰をかけている白いソファに座る。

「名前顔上げろよ」

首を緩く横に振るとかっちゃんは私を引き寄せて柔らかく抱きしめる。密着する身体から伝わるかっちゃんの体温に言い知れぬ安心感を感じる。
背中に回る腕が手が労わるように抱き締めてくれる。普段の彼からは想像出来ない優しさだが、かっちゃんはこういう優しさを持っている人なのだ。

「んな泣くなや」
「泣いてないもん」
「ブスが余計ブスになんぞ」
「失礼すぎる…!」

なんて事を言うんだと顔を上げると、私の頬をかっちゃんが掌で挟む。むぎゅう。と効果音が付くのではないかと思うくらい挟まれ、それを見てかっちゃんが可笑しそうに笑う。

なんて理不尽な。

「肉つきすぎじゃねぇか?」
「にゃにしゅんのよっ!」
「…てめぇは、名前は笑ってる方がまだ見れる顔だな」

どういう意味なのか。と内心キレ気味で質問する前にかっちゃんは私の頭を撫でる。そして不意に顔ごと私から目を逸らす。

「てめぇはいつもみてェに能天気に笑ってろよ。じゃねぇと俺が落ち着かねぇ」

かっちゃんに顔を逸らされたとはいえ、金髪のつんつんした髪からちらりと見える耳は赤くて胸が高鳴る。

「うん」
「名前頑張れよ」

未だ顔が逸らされたまま横目でかっちゃんから大変珍しいエールを貰い、首を大きく縦に動かし満面の笑みをかっちゃんに向けると少しだけ離れていた距離がまた密着する。

「ん、」

かっちゃんの薄い唇が私の唇と重なり、甘い痺れが背中に走る。啄むように短く何度も時折角度を変えながら重なり、最後にかっちゃんの舌が私の唇を舐めて離れる。
最後に唇を舐めるのはかっちゃんの癖だ。

「けど今日は休め。休息も仕事のうちだ」
「ん、わかった」

ローテーブルに投げ出されたメモ帳を仕事用の鞄に戻し、熱のなくなってしまったミルクティーが入ったマグカップを持って1口含み喉に流す。

口に広がるミルク以外のまろやかな甘みがまるで今のかっちゃんみたいで、少しだけ可笑しくて思わず笑が漏れる。

「かっちゃん、私頑張るね」
「ったりめェだろ」
「うん」

私を元気付けてくれようと紅茶を入れてくれたり、不器用な慰め方も頑張れ。応援の一言も何もかもが嬉しい。
中々仕事が覚えられない自分に情けなくなって苛立っても、かっちゃんが私を慰めてくれる。そうしたらまた明日からも頑張れるから。

「ありがとう」
「なんか言ったか?」

なんでもない。と首を横に振ってまたマグカップに口をつける。
かっちゃんのようなまろやかなこの甘みはなんだろうか。



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