パブロフの兎


祐未と三月兎その2

「黙れよヒトデナシっ!」

 とにかく三月兎と祐未はグルだった。それだけは確かだ。

「大きな声を出すな。子供が驚いてるぞ」

 くすくすと嘲笑うように三月兎が笑う。彼の言葉を聞いて祐未が首を動かし、ブランコに乗ったまま自分を凝視する子供たちを見る。
 そしてバツが悪そうに眉をひそめると

「……クソがっ……」

 と吐き捨てて、ベンチに深く腰かけた。

「……調子が悪いらしいんだ。昨日も体が痺れた」

「だが発病はしていない」

 三月兎が口元に嘲笑を浮かべてつぶやいた。祐未がいきおいよく男を睨みつけ、低い声を出す。

「してんだろ、もう!」

 それだけで人を殺せそうな目つきと声だ。大概の人間はそれが自分に向けられただけで恐怖に身をすくませるか悲鳴をあげるだろう。直樹も言われたのは自分でないとわかっていて体が震えた。
 だが三月兎は動じない。冷静に、口元の嘲笑はそのまま祐未に反論した。

「決定的な病状じゃない。本当に発病していたら今ごろ手遅れだ」

 祐未が言葉を失い、これ見よがしに舌打ちしてみせる。

「だからって、今から発病しないって決まったわけじゃねぇだろ……」

「ああ。だから、様子を見ろと言っている」

 笑い混じりにいう三月兎を祐未がまた睨みつけた。三月兎は相変わらず祐未をバカにするように笑っている。
 とにかく、あの二人は顔見知りだ。そして今直樹のことを話している。

「……っ」

 祐未はなぜ話してくれなかったのだろう。話せない理由があったのだろうか。
 ああ、でも……そんなこと、今は関係ない。
 とにかく祐未は、知っていて三月兎のことを黙っていたのだ。
 そして三月兎とグルになって直樹のことを見張っていた。
 なぜか祐未の幸せそうな笑顔を思い出す。
 なにが一緒にいるだけで幸せだ。
 頭にカッと血が上るのを感じた。
 一歩足を動かすと、コンクリートがザリッと小さな音を立てる。

「おい、まて……」

 その音を聞きつけたのか、それとも何か別の理由か。祐未が三月兎の肩に手をおき、振り返る。
 そして、いきおいよく立ち上がった。
 祐未の声が直樹の名前を呼ぶ。

「直樹っ……!」

 三月兎が祐未につられて座ったまま振り返った。
 サングラス越しに見える目が何色なのかよくわからなかったが、切れ長の目はひどく冷たい光を放っている。
 弾かれたように直樹は走り出した。

「まて、直樹っ!」

 背後から祐未の声が追いかけてくる。足には少し自信があるけれど、きっと祐未にはすぐに追いつかれてしまうだろう。大の男を一撃で気絶させられるような少女だ。

「直樹っ……!」

 案の定ボウリング場を少しすぎたあたりで祐未に肩を掴まれる。

「直樹、待てよ……!」

 やはり彼女の息はまったく乱れていなかった。肩を掴まれた直樹は背後を振り返り眼鏡をかけた少女を睨みつける。

「はなせよっ! あいつとグルになって、僕のこと見張ってたんだろ!」

 肩に置かれた手を振り払うと、祐未は目を見開いて一歩後ずさった。今にも泣き出しそうな顔だ。

「近寄るなっ! 今まで言ってたこと全部嘘だろっ!」

「ちがうって! 直樹、聞いてくれ!」

 カートを押した老婆が大声で言い合う二人をなにごとかと見つめ、その後すぐに歩き始める。
 遠くから踏切のカンカンカン、という音が聞こえた。田舎町特有ののどかな場所で怒鳴り散らしている自分がひどく滑稽だ。
 息を思いきり吸いこんで怒鳴り散らす。

「ついてくるなよ! くるなって! ……っ」

 突然肺が酸素をためこんだまま、突然機能を停止してしまった。

「……ぁっ……」

 真正面から突風が吹きつけてきたときのような息苦しさだ。呼吸がうまくできない。
 手足も痺れて思うように動かない。なんとか呼吸を再開しようとノドを動かす。

「……っ、……!」

 無理矢理唾を飲みこむと、激痛がした。

「直樹っ!」

 祐未が直樹の変化に気づいて手を伸ばしてきた。彼女は直樹を病院に連れていって、どうする気だったのだろう。やぱり祐未も病院と三月兎とグルになって、直樹からすべてを隠蔽してしまう気だったのだ。
 わかっていたはずなのに。
 新聞やニュースでさえ詳しい情報が手に入れられない時点で、警察が関与していることはわかっていたはずなのに。祐未の笑顔に騙されていた。

「っ、触るな!」

 少女の手が肩に触れた瞬間、自分の視界が赤く染まったような気がした。思わず怒鳴って、彼女の手をはたき落とす。

「……っ、あの……」

 拒絶された祐未が眼鏡ごしの目を大きく見開いて一歩後ずさった。
 今にも泣き出しそうな顔だ。イライラする。

「……近寄るな」

 もう一度、祐未にクギを刺して身を翻す。

「な、直樹っ!」

 彼女は背後から叫ぶだけで今度は追いかけてこなかった。
 自分の言ったとおりになったはずなのに。
 泣きそうな祐未の顔を思い出すとひどくイラついた。
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