帰るべき場所

「あの…す、好きです…!」

風舞高校弓道場の施錠を終え、職員室へ鍵を返しに行こうとしたその時だった。
どこからか自分を呼び止める声に応じた結果、この状況に陥った。

目の前には顔を真っ赤に染め上げてこちらを直視できないといった様子で俯く女子高生。
あまりに突然の出来事に「え?」という間抜けな声を発し瞬きを数回繰り返しながら、どうしたもんかと首をかいた。

「ええっと、俺は君の事を知らないと思うんだ…」
「わ、私…たまたま弓道部を見に行った時に滝川コーチを見かけて、その時に一目惚れ…して…その、」

”お付き合いをしたくて”

震える声で紡がれたその言葉は雅貴の頭をフリーズさせるには十分であった。
自分には愛妻がいるし、目の前の彼女は弟子達と同じ高校生。つまり未成年である。
何とか傷付けないように断れないものだろうかと頭を捻った。

「うーん、そうだな…気持ちだけ受け取っておくよ。君から見たら俺はおじさんだろ?高校生と交際をするような20代の男は碌でもないから今後も辞めた方がいい」
「…っ彼女、いないんじゃないんですか?」
「ん?誰がそんな事言ったんだ?」
「その、指輪をしている様子がなかったので…」
「弓を引く時は邪魔になるから外してる。それと今日は家に忘れて来ちまってな。妻から忘れていると連絡が来たよ。」
「お、奥さん…いらっしゃったんですか…」
「ああ。そういう事で諦めてくれると助かる。君には俺よりもっと相応しい同世代の男がいるさ」

直後、彼女の頬をほろりと涙が伝った。
それを手で隠すように覆った女生徒は、すみませんでしたと口にしながら走り去っていく。
あっという間に遠くなる背中に雅貴は呆気にとられたまま立ち尽くしていた。

「はは…若いな。」

しかし、こういうのはあまり気分の良いものではないなと思いながら静かにため息を吐く。
出来るだけ傷つけないように断ったつもりではあるが、どこか説教じみてしまった自覚があるし彼女にとっては苦い思い出になるかもしれない。

「さて、気を取り直して鍵を返しに行くか」

小さく呟くと職員室へ足を向け直した。
青春真っ只中の若人の様子は自身の学生時代を思い起こさせる。
弓に夢中だった高校時代、雅貴は色恋にさほど興味は無かったものだ。
告白をされて特別嫌いではないからという理由で付き合った異性が居たこともあるが、早気に苦しみ出した辺りであなたは弓道ばかりでつまらないと愛想をつかされた。

しかし例えば学生時代、名前が同じ学校に通っていたらどうなっていただろうか。
そんなありもしない想像に考えを巡らせてみる。
一度見せてもらった名前の学生時代の写真はしっかりと目に焼き付けたので、妄想するのは朝飯前だった。
きっとその頃に出会っても、俺は変わらず彼女に一目惚れをするのだろう。
彼女は今も昔もとても美しいから。
もちろん彼女の中身も含めて愛しているのだが、顔もタイプのど真ん中であり「顔で好きになったのか」と聞かれれば否定できない節がある。

そんなこんなで妻に思いを馳せつつ弓道場の鍵を返し終え、少し車を走らせればあっという間に自宅に着いた。

「名前、まだ寝てたりしてな」

今日は平日なのだが、名前は”有休消化をしないと上司から怒られる”と言って午後休を取っている日だった。

仕事帰りにどこかショッピングにでも出かけるのかと思いきや、雅貴の予想に反して昼に帰宅した名前は早々に風呂へ直行したのだ。
よほど疲れていたのだろう。風呂を出たかと思えばベッドにダイブし、あっという間に昼寝に入ったのである。
自分の身体を抱くように丸まって眠るその姿は猫の様で、その可愛さに思わず頬に口付けてしまったのは内緒だが。

数時間前に指輪を忘れていると連絡を寄こしてきた彼女だが、再び眠りに落ちているかもしれない。

「今日の夕飯は俺が作るとするか。」

冷蔵庫の食材を思い出しつつ、静かに玄関の鍵を回す雅貴だった。