いつものようにマツバお兄様に会うためにジムに行き、緋色と藍色が混ざり合う空を見上げながら先ほどのバトルを映画を再生するようにくっきりと脳内に浮かべる。 (…ポケモン、かあ…) 自分のポケモンがいたらどんな日々を送るんだろう。一緒にバトルをして、強くなって、絆を深めて。勝った嬉しさも負けた悔しさも共有して共に歩んでいく。想像するだけで胸が踊り、思わず顔が緩む。 同年代の子がバトルをしているのをぼんやりと横目で見る。私も自分のポケモンを持ちたい。けれど、欲しいからといって草むらに入ってポケモンを捕まえに行く!なんて無謀なことはしない。ポケモンを持っていない私は両親やマツバお兄様、ミナキお兄様から草むらに入っていけないとキツく注意されているし、万が一野生ポケモンに襲われて怪我でもしたら大好きな人たちはきっと悲しむだろうし、入ろうなんて考えは微塵もなかった。 エンジュの近くの林につい、と目を向ける。あそこにはどんなポケモンがいるのかしら。今度マツバお兄様かミナキお兄様に訊いてみよう。そう思いながら帰路に着こうと再び歩きはじめた瞬間、がさりと何かがうごめく。緊張で自ずと身体は強張り、足が前に動かない。そんな私を真っ直ぐ睨んでくるように出てきたのは、大きなツノを持ったポケモンだった。 「っ、…!!」 逃げなければと思えば思うほど身体は言うことを訊いてくれない。私の身体でしょう。私の足でしょう。お願い動いてーーー…!! 私が走り出したと同時にポケモンが突進をしてくる。あと一秒でも遅ければ命を落としていた事実に頭から冷水をかけられたように背筋が冷たくなる。焦りと恐怖、命の危機に私は判断を鈍らせてしまった。 身を翻し逃げ込んだのは、先ほど目を向けていた林だった。 * * * 「っ、はあ、はあっ…!!」 呼吸を整えるため膝に手を置き、ゆっくりと息を吸い込んで吐き出す。なんとか撒いただろうか。 時間帯も相まって辺りは不気味な雰囲気を醸し出している。 ああもう、どうしてこんなところに逃げ込んでしまったんだろう。 がさり、 「ーーーー!!」 草むらを揺らす音に心臓が激しく脈打つ。さっき襲ってきたポケモンかもしれないし、ここに住む野生ポケモンかもしれない。どちらにせよ危ない状況なのは変わりない。 ガサガサと音が大きくなり、逃げようとした矢先に飛び出してきたポケモンに思わず目を丸くする。 赤い大きな瞳に小さな身体、首(?)には数珠のようなものをかけているその姿は、マツバお兄様の手持ちの中に見たことがある。 「…、ムウマ…?」 今の私は相当間抜けな顔をしているだろう。ムウマは私に攻撃を仕掛けるでもなく、それどころか大きな赤い瞳から涙を流していたのだから。 (ううん、) ムウマは相も変わらず泣いているが、このまま攻撃をしてこないとは限らない。そっと逃げるのが吉だろう。でも、泣いているこの子を置き去りにして逃げるのは気が引ける。もしかしたらどこか怪我でもしてるかもしれないし、そうなれば早急にセンターへ行って治療してもらわなければ。 よし、と一人意気込み、ムウマに近寄り話し掛けた。 「あなた、泣いていますけどどこか怪我でも?」 「ムウー」 ふるふると身体全体を使って私の問い掛けに否定の意を示すムウマ。見たところ外傷はなく、それに関してはほっと胸を撫で下ろした。 「怪我がないのなら良かったですわ。でも、あなたはどうして泣いていたのですの?」 「ムウー…」 悲しそうに目線を下にさ迷わせ、悲痛な鳴き声を発するムウマ。 うーんと一人唸りながら答えを導き出すべく、またもムウマに問い掛けた。 「ええと…、もしかして仲間とはぐれてしまったとか?」 「ムウー…」 「…もしかして迷子、とか?」 「ムウッ!」 ムウッ!ってそんな、迷子なのに元気よく返事をされても。 迷子ということをわかってもらえて嬉しいのか、ムウマは私にすり寄って小さく鳴き声をあげた。 (、わ) 人懐っこいムウマに少し驚くも、そろりと戸惑いがちに頭を撫でれば気持ちよさそうに目を細めている。 野生ポケモンに襲われそうになったばかりで少しだけポケモンに対して恐怖心があったけど、この子のおかげでそんなものは微塵もなくなっていた。 「ムウマ、私もあなたと同じ迷子ですの。あなたと会えたのも何かの縁だと思うし、もしよろしければここを出るために私と一緒に行動してくださらない?」 「ムウッ!」 「ふふ、少しの間だけれどよろしくお願いしますわ」 先ほどまで泣いていたのに満開の笑顔になったムウマにつられて私も笑う。 頼もしい仲間ができたところで林を出ようと歩き出す。もしかしたら出口ではなく奥に向かっているかもしれないなんて考えを振り払いつつ、野生ポケモンを刺激しないようなるべく音を立てないよう歩いていく。 「…そういえば、あのポケモンはどこに行ったのかしら」 「ムウ?」 私のひとり言にムウマが不思議そうに見やり、何でもないですわと笑顔を取り繕う。 私を襲ってきたポケモンがここに来ないとも限らないけど、不確かな情報を与えてムウマをわざわざ不安にさせることはない。 歩を進めているはずなのに代わり映えのしない景観にいつになったら林を出れるのかと少しだけ息を吐く。私の隣をふよふよと浮いているムウマの表情にも疲れがみえる。 早く出なければと焦りばかりが頭を埋め尽くしている時、がさ、と草むらが動く。私とムウマは同時にびくりと身体を震わせお互い息を呑んだ。 現れたのは紛れもない、私を襲ってきたポケモン。動こうとはしないものの敵意がある目で私たちを睨んでいる。 「っムウマ!!逃げましょう!!」 それまで固まっていたムウマがはっとしたように鳴き声を上げる。踵を返し走ろうとした瞬間、ムウマの身体が不自然に止まる。ムウマ、と声を掛けるより先にムウマの小さな身体がまるで操られたかのように後方に吹き飛ばされ木にぶつかった。 「ムウマ!!?」 「ム、ムウー…」 急いで駆け寄りムウマを抱き抱える。ムウマが急に動けなくなったのも、操られたように後方に吹き飛んだのも、きっとあのポケモンが放った技のせいだろう。 「ムウッ!」 先ほど受けた技の痛みがあるだろうに、ムウマは私の前に出る。その小さな身体から伝わってくるのは強い意思。 「ムウマ、一緒に戦ってくださる?」 「ムウッ!」 ムウマの力強い返事にマツバお兄様と挑戦者のバトルを見たときのような高揚感が沸き上がる。まさかこんなところで初バトルをするとは思わなかったけど、と内心苦笑ながらムウマに指示を出す。 「ムウマ、あやしいひかり!」 人魂のような不気味な光がポケモンの周りをとび、ぐるりと一周した後に消える。ポケモンは私たちを襲ってくるわけでもなく、ぐるぐるとその場で回っている。 「ムウマ、やりましたわ!さ、今のうちに早く逃げましょう」 混乱しているポケモンを尻目に私とムウマは走り出す。 先ほどあのポケモンがムウマに放った技はたぶんエスパータイプの類いだろう。だからといって使ってきた技とポケモンのタイプが一致するとは限らない。マツバお兄様のジム戦を見てきてわかったことだ。 あのポケモンがエスパータイプだったらゴーストタイプであるムウマがタイプ的に有利だけど、もしゴーストタイプの技がきかないノーマルタイプだったら命取りだ。 あやしいひかりなら相手がノーマルタイプでも効くし、混乱させて時間を稼ぐことができる。 成功してよかったと安堵から息を吐く。最も、成功したのは他でもない私の指示に従ってくれたムウマのおかげだけど。 「!ムウッ!」 「!、え…!」 すっかり逃げ切れたと思い、安心していたのがいけなかった。 ムウマが叫んでくれたおかげで気付くことができ、なんとか致命傷は避けたが、そのまま草むらに倒れ込んでしまった。 「いっ、…っ、」 「!ム、ムウー!!」 心配してくれたムウマを宥め、今しがた私を襲ったポケモンを見やる。 混乱が解けてしまったのだろう。それならもう一回あやしいひかりをとムウマに指示をしようとするが、それよりも早く私を襲ったポケモンがムウマに技を放つ。 「ムウマ!!」 小さな身体はいとも簡単に吹き飛んでしまう。ムウマが力なくこてんと倒れてしまったのが目に入った。 「ムウマっ…!!」 私のせいだ。もっと、的確に指示を出していれば。私が、ムウマに一緒にここを抜けようなんて言ったから。 駆け寄れば気絶をしているようで小さく呼吸音が聞こえる。すぐにセンターに行かなければと私の思いを阻むようにじり、とあのポケモンがにじり寄ってくる。 ムウマを庇うように抱きしめながら走ろうとし、ポケモンが技を放とうとしたその刹那、一陣の風が吹き私の前に立っていたのは。 『ユリ、私はあるポケモンを追っているんだ。紫の鬣を靡かせながら白い羽衣を纏い北風の化身ともいわれているとても優雅で美しいポケモン。いや、優雅や美しいなどという言葉で形容するのが勿体無いな。まあそれは置いといて、そのポケモンの名は───…』 「───…スイクン」 目の前に立っているスイクンはちらりと私を一瞥し、野生ポケモンと対峙している。 ミナキお兄様からスイクンは神出鬼没で滅多に姿をみせないということを訊いていたけど、どうしてこんなところに? 疑問ばかりが渦巻くなか、スイクンは静かに佇んでいる。 二匹の動向を見守っていると私とムウマを襲ったポケモンが技を放つ。 技が直撃する瞬間透明な壁がスイクンの目の前に現れ、攻撃を跳ね返すように不思議な光が技を放ったポケモンに当たりよろめいた。 勝てないと悟ったのかダメージを負ったポケモンは草むらの奥へと消えていった。 じ、とスイクンの澄んだ目と私の視線が交わる。圧倒的オーラと美しさを持つ目の前の伝説のポケモン。そんなポケモンがどうして私たちを助けてくれたのかわからないけど、お礼を述べればスイクンは僅かに目を細めた。 「スイクン、ムウマが怪我をしていますの。早くセンターに行きたいけれど出口がわからなくて…。あの、案内をお願いしてもよろしくて…?」 エンジュの、というかジョウトを代表する伝説のポケモンに何を言っているんだと思ったけれど、腕の中で小さく呼吸をしているムウマを思うとどうでもよかった。 スイクンは私からムウマに目線をやり、身体を屈ませる。 「…乗っても、いいんですの…?」 小さく頷いたスイクンにそれを肯定の意を取り、恐る恐る背にのる。顔だけを振り向かせ私がのったのを確認し、スイクンは前足を蹴って走り出した。 風に髪を煽られながらムウマをぎゅっと抱きしめる。大丈夫、もうすぐだからとムウマに囁き、数分の内に変わり映えのしない景色から一変、見慣れた町並みが見えてきた。 スイクンは私をのせた時のように身体を屈ませて下りるのを促し、改めてスイクンと真正面から向き合った。 「スイクン、本当にありがとうございますわ。助けてくれてもらっただけでなくこうしてここまでのせてもらって。本当に感謝してもしきれないですわ」 スイクンの瞳にどこか優しげな色を宿しているのは、きっと気のせいではないだろう。 スイクンは先ほど抜けてきた林へと足を向ける。その際に私に一瞬視線をやると、風のように去っていった。 スイクンの姿が林の奥に消えたのを見届け、私は急いでセンターへと向かった。 * * * ───私が野生ポケモンに襲われそうになりムウマと出会い、更にスイクンと出会ったという夢のような時を過ごした翌日。私はいつも習っている和稽古を休み(普段は厳しい両親も今日だけは許してくれた)、マツバお兄様と一緒にムウマを預けているセンターへと向かっている。 昨日は私が家に帰ったあと、それはもう大変だった。夕日はすっかり沈んでホーホーが鳴いている頃に帰った私は両親に厳しく叱られたものの、事情を話すと「よかった」と涙を流した両親に強く抱きしめられた。 マツバお兄様には私がジムの帰りに野生ポケモンに襲われそうになったことで、ひどく罪悪感を感じさせてしまった。頭を下げて謝られたお兄様に私も謝るのを何度か繰り返し、 センターが近付いてくると自然と早足になり、自動ドアを開け受付へと進む。昨晩ジョーイさんに渡された番号札を渡せば、それと引き換えに一つのモンスターボールが差し出された。 かたかたと小さく揺れたかと思ったら、ぽんっ!と勢いよく飛び出した姿に満面の笑みになる。 「ムウマ!」 「ムウッ!」 そのまま私の胸に飛び込んできたムウマをしっかりと受け止める。 「ジョーイさん、本当にありがとうございますわ」 「いえいえ、ムウマが元気になって何よりです」 ジョーイさんの温かい笑顔と言葉にもう一度お礼を言って頭を下げ、センターを後にした。 センターを出て幾分か歩けば昨日私とムウマが会った林へと辿り着く。 「…ムウマ、お別れですわ。昨日は私と一緒にいてくれて、戦ってくれて本当にありがとう。…それと、怪我をさせてしまってごめんなさい。もう迷子になっては駄目ですわよ?」 ムウマには帰るべき場所が、仲間がいるから大丈夫、二度と会えないわけじゃない。泣きたいのを我慢してムウマに無理に笑いかける。ちゃんと笑顔を作れているだろうか。 ムウマはぽかんとしたあと初めて会ったときのように赤い大きな瞳からぽろぽろと涙を流す。ああ、ムウマが泣いてしまったら私まで泣きたくなってしまう。 ムウマは相変わらず泣いていて私の腕から離れようとしない。それまで私たちを静かに見守っていたお兄様がユリ、と私の名を呼んだ。 「ムウマはユリと一緒にいたいんじゃないかな?」 マツバお兄様の言葉にムウマは同意するように鳴き声をあげ、私をまっすぐ見ている。 「…本当に?ムウマ、私と一緒にいたいと、そう思ってらっしゃるの?」 「ムウッ!!」 「わ、私、あなたに怪我をさせてしまったのに…?」 本当に、私と一緒にいてくださるの? 堪えきれず目から零れた涙をそのままにムウマを見れば、満面の笑みで頷いている。 涙で視界が滲んだなか、マツバお兄様が優しく微笑んでいるのがわかる。お兄様の手の中にある空のモンスターボールをそっと受け取り、ムウマは自分からこつんと当たりボールに吸い込まれていった。 ボールから伝わる小さな命の鼓動に心の底から震えるような嬉しさが全身を駆け巡る。 「お、お兄様!!ムウマが!ボールの中にムウマが!いますわ!」 「うん。ユリの最初のパートナーだね」 興奮しすぎて自分でも何を言っているかわからないけれど、そんな私にマツバお兄様はにこりと笑いながら頭を撫でてくれた。 最初のパートナー。私の、最初のポケモン。 ムウマが嬉しそうにかたかたとボールを揺らして笑っている。開閉スイッチを押せば、ぽんっと音が出て元気よくムウマが飛び出た。 「そういえば自己紹介がまだでしたわね。私はユリ。これからよろしくお願いしますわ!」 「ムウー!」 元気に返事をしたムウマと顔を見合わせてお互い笑う。 いつかスイクンに、ムウマが私のパートナーになったことを伝えることができるだろうか。 そう思いながら林へと目を向ける。同時に、今の時期には季節はずれの冷たい風が吹いて私の髪を揺らした。 |