響き渡る監督のオッケーのサインに現場にいた役者たちは緊迫した雰囲気を緩めほっと息を吐く。スタッフからお茶が入ったペットボトルをお礼を言って受け取ったスイに「お疲れ」と労いの言葉をかけながら近付いてきたのは、この現場を取り仕切る監督だった。 「さっきの演技すごくよかったよ。さすがは大女優の息子……っと、演技力はあんた自身で磨き上げた賜物か」 「ありがとうございます。はは、俺はあの人みたいに才能があるわけじゃないですから。幼い頃からの夢を叶えるのに必死だっただけです」 スイの人の良い笑顔を見ながら男は心の中でふむ、と唸る。スイは決して才能がないわけではない。むしろこうして彼の演技を見ていると母親譲りの才能が受け継がれていることがよくわかる。 (…驕らず自身の実力だけでここまできたのも一種の才能か) 親の威光を利用してこの世界に入ったのは数多いが、そういう人間は遅かれ早かれ消えていく者がほとんどだ。実力ではなく人の力を借りて上り詰めた者などすぐにメッキが剥がれてしまう。 親の七光りではなく、自身の才能に驕ることなく。 そうして懸命に努力してきたからこそ俳優として人気が集まり、今の彼がいるのだろう。 「…大したモンだよ、ほんとに」 「はい?」 「ああいや、こっちの話だ。ま、俺はあんたに期待してるからさ、これからもよろしく頼む」 「! 本当ですか!監督にそう言っていただけて光栄です。こちらこそご指導よろしくお願い致します」 二人はしばし雑談を交わしていたが、なにやらスタッフたちがざわめいている。 監督はどうしたと近くにいた女性に聞くと、上空に見慣れない飛行船が飛んでいるとのことだった。 「…?…なんだありゃ…?」 確かに空に浮かんでいるのは見慣れない黒い不気味な飛行船だった。 ただ一つわかったのは、船体に青い文字で“P”と書いてあること。 皆が訝しげに見ているなか、船が砲撃の準備を静かにはじめたのを見てスイは背筋がぞくりと粟立つ。 「逃げろ!!」 叫んだのは誰だったか。 氷の砲撃が飛んできたのを各々に避けなんとか事なきを得たが、船は無情にも次の砲の準備をしている。 「コジョンド!波動弾で氷を砕くんだ!」 コジョンドはボールから出てくるなり氷の砲撃に向けて波動弾を撃つ。 が。 「砕けない…!?」 スイとコジョンドは驚愕に目を見開くも、船から発射させられる砲撃は待ってはくれない。 次々に撃ってくる氷の大砲をコジョンドにできる限り軌道をそらすように指示を出していると、灰色の小さな身体が視界に入った。 「チラーミィ…!」 おろおろと不安げに辺りを見回しているチラーミィにスイは考える暇もなく走り出す。 あと数メートルと迫ったとき、コジョンドが突如鳴き声を上げスイに知らせるように長い体毛を上にあげた。コジョンドが指し示した方角を見上げれば、船は氷の砲撃を撃つ準備をしている。 (間に合うか…!?) ーーー船が氷の大砲を発射する音、周囲の悲鳴。地面に砲撃が直撃した大音。 白煙が晴れ、そこには主人であるスイを守ったコジョンドと、チラーミィを抱えたスイの姿があった。 「ッ、…チラーミィ、無事か?」 スイの問いかけに腕の中にいるチラーミィは震えながらも小さく頷く。 スイの無事な姿に歓喜の声をあげた周囲だったが、すぐに悲鳴があがった。 スイの右腕はざっくりと切れ、ぽたぽたと赤い液体が氷の上に落ち血溜まりを作っている。頬には横一直線の切り傷ができており、かすり傷ではないことは血の量を見れば明らかだった。 「ありがとう、コジョンド。お前が軌道をそらしてくれて助かったよ」 怪我をした主人を心配そうに見つめるコジョンドと、かたかたと揺れている五つのボールをスイは安心させるように撫でた。 寸でのところでコジョンドが砲撃の軌道をそらしたため最悪の事態は避けられたが、辺り一面を凍らせることができる威力の大砲を直撃していればどうなっていたか想像に難くないだろう。 「スイさん!!」 「スイさん、け、怪我…!!早く病院行きましょう!!」 次々に怪我は大丈夫か、早く病院にと言われ口を開こうにも矢継ぎ早に心配の声が被さられ少し困ったようにスイが笑みを浮かべているのを見かね、監督が一喝した。 「お前らうるせえ!!まずは応急処置だろうが!おい、誰か早く救急箱を持ってこい!」 「か、監督……それが先ほどの砲撃で救急箱が壊れてしまっていて……あと機材も……」 「ああクソッ…!!とりあえずお前ら壊れてない機材をすぐに片付けてここから離れるぞ。またあの砲撃を撃ってこないとは限らないからな。ああ、スイ」 「なんでしょう監督……ッ、」 「ああ、立たなくていい。スイ、お前は今からソウリュウシティに行け。機材の片付けを待ってたらお前の怪我が悪化する可能性があるだろうし、なんといってもシャガさんがいるからな。ここから見えるぐらいだから距離もそう遠くないだろう」 「っ、そうですね…。ではお言葉に甘えて俺はソウリュウシティに行きます」 砲撃によって辺り一面蒼く彩られた氷の世界の冷気が容赦なくスイの体力を奪う。出血と怪我の痛み、それに加えてこの冷気。 応急処置もできずにただ腕から血を流しているスイの顔色は悪い。痛みを訴えることは言わないがスイが危険な状態なのは誰の目から見ても明らかだった。 「そうと決まればお前をソウリュウシティまで送るポケモンを誰かに借りなきゃな」 「あ、それは大丈夫ですよ。俺の手持ちに頼みますから」 レントラーのボールを出そうとした瞬間、勝手にボールから出たのは立派なツノを持つスイと一番付き合いが長いメブキジカだった。 「メブキジカ、お前なんでーーー」 勝手に出てきたんだ、と後の言葉は続かなかった。心地良い春を感じさせるような優しい匂いがスイを包み痛みが和らいでいく。 「…アロマセラピーか。ありがとう、メブキジカ」 アロマセラピーで主人の応急処置を施したメブキジカは、背を低くし乗れと言うように鳴き声を上げた。 メブキジカの意図を汲み取ったスイだが、辺りは一面氷の世界だ。草タイプで あるメブキジカには辛いだろうと思いレントラーにのせてもらおうと考えていたのだが、長年の相棒はどうあっても怪我をした主人をのせるのは自分だと譲らないらしい。 「…はあ。頑固だなお前は。わかったよ、ソウリュウシティまで頼んだ」 「はは、いいポケモンじゃねえか。お前ら、スイをよろしくな」 「スイさん!!怪我しっかり治してくださいね!」 「うわっ、怪我本当にひどいですね…傷痕が残らないといいんですけど」 「私も一緒に着いていけたらどんなによかったか…」 「怪我が治るまで絶対に安静にしていてくださいね!」 「あ、ハンカチ!よかったら使ってくださいというかぜひ使ってください!!」 いつの間にかわらわらと集まってきたスタッフたちや共演していた役者たちの心配の声に押され気味になりながらも笑顔で返事をするスイを見た監督の怒鳴り声が響き、蜘蛛の子を散らすように誰もいなくなった。 「ったく…仕事ほったらかしにしてけが人に詰め寄りやがって」 「はは、ありがたいことにみなさん俺を心配してのことですから。…じゃあ監督。行ってきます」 「おう。近いとはいえ道中気をつけろよ」 監督の言葉にスイは小さく会釈をする。その背を氷の世界に溶け込んでいくまでじっと見つめた。 * * * 「……ひどいな」 普段の人の良さを感じさせる柔らかな表情を一変させ、眉根を寄せて目の前の惨状を見つめスイはただ一言呟く。 ソウリュウシティの近代的な雰囲気はなく、町全体を覆っているのは冷たく凍てついている氷。 ポケモンセンターはところどころ凍っているものの他と比べて全体には被害が及んでいない。 「まずは回復をさせなきゃな。メブキジカ、コジョンド、ありがとう」 二匹をボールにしまい、チラーミィを腕に抱えたままセンターへと入るもスイを一目見るなりジョーイは驚きに目を見開いた。 「ス、スイさんその傷どうされたんですか!?」 「いや、まあ、ちょっとざっくりやっちゃいまして。あ、ポケモンの回復お願いできますか?」 「ポケモンの回復もしますけどまずはスイさんの手当てをしますからこちらに来てください!」 他のジョーイにメブキジカとコジョンドがそれぞれ入ったボールとチラーミィをお願いしたジョーイはスイを医務室へと半ば強引に連れて行く。 スイは今まで見たことのないジョーイの剣幕に押され、あっという間に手際よく手当をされた。 「…とりあえずはこれでよしっ、と。後でちゃんと病院に行ってくださいね、と言いたいところなんですけど…氷漬けにされてしまって今は機能していないんです」 「…黒い飛行船が氷の砲撃を撃ってきたからですか?」 「はい。見慣れない飛行船が浮かんでいるなと思ったら突然町を氷漬けにしてきて…。どうやらプラズマ団がやったことみたいなんです」 「!プラズマ団が…!?」 「ポケモンを預けにきたトレーナーさんが言ってました。あ、でもそのプラズマ団をシャガさんと一緒に追い払った勇敢な子がいるんですよ!」 「へえ…!それは頼もしい子ですね。なんだか二年前を思い出します」 「ふふ、ですよね。私もその話を聞いたとき二年前を思い出しました。あ、スイさん、ポケモンの回復が終わったようですよ」 ジョーイから二つのボールとチラーミィを受け取り礼を言ってセンターを出て行き、チラーミィをそっと近くの草むらに下ろした。 「大した怪我がなくてよかったよ。気をつけて帰るんだぞ」 「チラー!」 元気よく返事をしたチラーミィの頭を撫で住処へと歩いていく小さな背を満足げに見つめていると、ふいに後ろに気配を感じスイは振り向く。 黒のコスチュームに胸元には組織を主張する“P”の文字。 二年前と出で立ちは違うものの、すぐにその正体がわかった。 「…プラズマ団」 「その怪我、さっき私たちが撃った砲撃のせいかしら?せっかくの綺麗な顔に傷痕でも残ったら大変ね」 「ご心配どうも。それで?俺に何の用かな」 「そうね、例えばあなたのポケモンを奪いにきたとか………ミルホッグ!ひっさつまえば!」 「レントラー!ワイルドボルト!」 ボールから出たレントラーは電気を纏いミルホッグに突進していく。ひっさつまえばでレントラーに襲いかかろうとしたミルホッグだったが、速さはレントラーのほうが上のようで避ける暇もなくワイルドボルトが直撃したミルホッグは目を回しぱたりと倒れる。 「ちっ、使えないわねこのポケモン…!いいわ、いくのよダストダス!ヘドロばくだん!」 「10万ボルトで相殺するんだ!」 「くっ…!スモッグで身を隠すのよ!」 辺りは紫色の靄に包まれ一気に視界が見えなくなり、毒素を含んでいるためレントラーとスイはつい咳き込む。 レントラーに大丈夫かと問いかければ力強い咆哮が返ってきたのをスイは口角をつり上げてふっと笑う。 「相手も俺たちの姿が見えないはずだ。…スモッグが晴れたとき勝負に出るはず。気を付けろ」 徐々に晴れていく視界。そして後方に気配を感じスイは即座にレントラーに指示を出す。 「レントラー!右斜め後方に10万ボルト!」 「! ダストダス…!さっさと起きなさい!まだやれるでしょ!」 レントラーの10万ボルトを浴びて地に伏せたダストダスは主人の言葉に苦痛を堪えながら起き上がる。 そこには、自分のポケモンに対して愛情はなく、単に命令し“道具”として手酷く扱うトレーナーの姿と、主人に怯えるポケモンの姿。 ブルーミストの瞳に静かに怒りを湛えながらプラズマ団の女を見据えるスイに、レントラーも同調するようにパチリと電気を纏い唸り声をあげる。 「決めるぞレントラー!ワイルドボルト!」 「ダストシュート!」 レントラーはとん、と軽やかに飛び上がり電気を纏いながらダストダスに突っ込んでいく。いくつかのゴミがレントラーに直撃するも構わず突っ込んでいき、ダストダスの体は音を立てて倒れた。 「おいおい情けないな。せっかくもう一度イッシュを支配しようってときにそんな負けっぷりじゃ後でヴィオ様にどやされるぜ?」 「……ふん。うるさいわね。だったらあんたたちが相手してみなさいよ」 一人、二人と次々にボールを構えながら現れたプラズマ団をスイはレントラーと共に見据える。 状況は一気に不利になってしまったが、やるしかないとスイはボールを投げる。翼を羽ばたかせながら出てきたのは、砂漠の精霊といわれるフライゴン。 プラズマ団の団員たちが一斉にポケモンを繰り出し、スイはレントラーとフライゴンで応戦しようとした時。 突如スイの前に現れたのはオノノクスとムーランド、そして二つの影。 「一人相手に複数で勝負をしかけるとはなんと卑劣な集団よ。スイ、私らも参戦するぞ」 「全く…数だけはいるメンドーな連中だな。スイさん、大丈夫ですか?」 「シャガさんとチェレン!?え、シャガさんはともかくチェレンはどうしてここに?」 「スイさん、その話は後でしますから。まずは目の前にいるプラズマ団を倒すのが先です。…ムーランド!」 チェレンはムーランドを呼ぶと噛みつくを命じさせ、そのままハブネークを氷の地面に叩きつける。対するシャガはオノノクスにドラゴンテールを命じ、圧倒的な力でプラズマ団をねじ伏せていく。 「レントラーはゴルバットにワイルドボルト!フライゴンはラッタにドラゴンクローだ!」 スイもチェレンとシャガに続きレントラーとフライゴンを指示をしてプラズマ団を追い詰める。 数ではプラズマ団が勝っていたものの、実力差ではスイたちが上だったようだ。瞬く間に手持ちのポケモンは地に伏せていき、団員たちはプラズマズイ!と訳のわからない言葉を発しながらまるで嵐のように走り去っていった。 「シャガさん、チェレン。二人ともありがとうございます。俺一人じゃ倒しきれなかったでしょうし。ところでチェレンはどうしてここに?」 「どういたしまして、スイさん。間に合ってよかったです。ソウリュウシティに来たのはプラズマ団の船が飛んでいくのが見えたからで…というかスイさん、怪我大丈夫ですか?」 チェレンはスイの頬と右腕を見、顔を顰める。シャガも同じように険しい顔をし、スイは二人を安心させるように笑みを浮かべた。 「ああこれ?見た目ほど酷くないし大丈夫だよ。ジョーイさんに手当てしてもらったから痛みも引いてるし」 「ならいいが…。しかし傷痕は残らないだろうな?万が一残ってしまったら仕事に支障が出るんじゃないか?」 「それほど傷は深くありませんからしばらくしたら綺麗に治りますよ」 多分、とスイは心の中で付け足す。頬の傷はともかく右腕はわりと深く、シャガの言う通り痕が残る可能性がある怪我だったが、余計な心配はかけさせたくなかった。 「すみませんスイさんシャガさん、僕はこれからセイガイハシティに向かうので失礼します」 「ああ、そうだったな。頼むぞチェレン。…プラズマ団は二年前と比べて強くなっている。くれぐれも気をつけるんだ」 「はい。お二人もお気をつけて」 チェレンはそう言うとセイガイハシティに向けて走り出したのをスイとシャガは見つめ、シャガは「それにしても」と自身の髭を触りながら呟いた。 「スイのフライゴン…よく育てられているな。先ほどのプラズマ団とのバトルも見事だった」 「ありがとうございます。こいつとはナックラーの頃からずっと一緒でしたから。どんなときも一緒にいて、苦楽を共にした大切な家族です」 それはフライゴンに限らず他の子たちも一緒ですけど、とスイは笑う。 スイの言葉にフライゴンとレントラーは甘えるようにすり寄り、スイも応えるように二匹の頭を撫でてやる。 ポケモンに惜しみない愛情を与えるトレーナー。そんなトレーナーを慕い、そして信じ共にするポケモンたち。 (…トレーナーとポケモンの在るべき姿、だな) 「スイ、私はそろそろ行かねばならん。市長としての仕事もあるからな。怪我が治ったら顔を見せに来てくれ」 「ええ、もちろん。またアイリスちゃんの話も聞かせてくださいね」 チェレンに続きシャガの背を見送ったスイは、フライゴンとレントラーを回復させるため二匹をボールに戻し、センターへと向かった。 * * * フライゴンの背にのり、ソウリュウシティとその周辺を見下ろせばプラズマ団による惨状が改めて知らしめされる。 (…そういえば) プラズマ団の一人が言っていた「イッシュを支配する」という言葉。真実と理想を求め、争った二匹の伝説のドラゴンはそれぞれ英雄と認めたトレーナーと共にどこかへ飛び立ち、イッシュにはいないはずなのに一体どうやって支配するのか。それに、町全体とその周辺を覆うほどの氷はどこから調達したのか。氷タイプのポケモンを駆使すれば集められないこともないと思うが、砕くことのできない氷は本当にポケモンの技から発せられたものなのか。 「イッシュで何が起きようとしているんだ…?」 二年前を彷彿させる嫌な予感にスイは表情を険しくさせると、5つのボールがかたかたと震えフライゴンは鳴き声を上げる。まるで自分たちがいるから心配するな、というように。 「…そうだな。どんなことがあってもお前たちが側にいるなら大丈夫だな」 例え、二年前と同じようにイッシュが危機に陥ったとしても。 共に歩んできた仲間たちが側にいるなら何も恐れることはない。 パートナーたちが入ったボールとフライゴンの頭を撫で 眼下に広がる、自身が生まれ育ち大切な幼なじみがいる、賑やかでどこよりも輝いている街を柔らかい眼差しで見つめた。 |