「随分と反抗的な息子で困るな」
「!いっ…、」

あと一秒。いや、一秒未満の時間が届かなかった。ミカゲがプテラのボールに触れる前に背後から父親の手が伸び、髪と腕を掴まれる。

「逃がしはしないさ。お前は組織や俺にとって利用価値がある道具なのだから」
「自分の息子に暴力奮って道具扱いするクソ親父の元なんざ誰がいたいと思うかよ!」

少年の心からの叫びに呼応するようにボールから勝手に出てきたのは一番の付き合いであるブラッキーだ。先程のアブソルとの戦闘でとっくに力尽きてもおかしくはない。

だが、紅い瞳は主人に仇なす敵を捉え、鋭い牙で男の喉元に噛み付こうとする───…!

「!っやめろ!ブラッキー!」

ミカゲのブラッキーは元は実験に使われていたと少年の父親は言っていたが、それは他でもない父親が実験の被験体に使っていたのだ。

苦痛しか与えられなかった日々の実験。使えないと判断され用済みとなり処分されそうになったところをミカゲに手を差し伸べられ、今を生きている。

自分を実験に使った憎き相手。そして、自分を救ってくれた主人に仇なす相手。

憎しみと、主人を守るという強固な意思。ミカゲの制止の声は、今のブラッキーには届かない。

「チッ、アブソル!」

父親の珍しく狼狽した声が響く。ブラッキーの黒い肢体とは反対の白い獣が立ちふさがり、鋭い爪でいなす。

突然襲い掛かってきたブラッキーに気を取られ、自分を拘束している父親の手が緩められる。

(今だ───…!)

「ブラッキー!」

父親の拘束から逃れ相棒の名を呼べば窓枠に足を掛けた主人と同じようにとん、と飛び乗り、振り向き様彼らの視線が交錯する。そして、下される指示は同時。

「「“あくのはどう”!」」

爆発。黒煙が立ち上るなか、ばさりと勇猛な羽ばたく音が耳に届く。

煙が晴れ、現れたのは灰色の翼竜の背に乗った少年の姿。切れ長の桔梗色の目に父親を真っ直ぐに見据えながらミカゲはプテラに指示を下す。

「“りゅうのいぶき”!」
「翼を狙え!アブソル、“サイコカッター”!」

互いの攻撃がぶつかり合い相殺され、白煙に包まれる。

視界は晴れたがプテラの姿はない。元々本気で戦うつもりはなかったのだろう。先程は目眩ましのための攻撃。

こちらにも飛行タイプであるドンカラスはいるが、プテラのスピードには追い付かないだろう。警察がシルフカンパニーを取囲みつつあるなか、貴重な戦力をわざわざ無駄にすることはない。

『っやめろ!ブラッキー!』

あの時、切羽詰まった制止の声は父親である自分を案じたものだとしたら。

「…どこまでも甘い奴だ」

壁にもたれ掛かり小さく息を吐く。

男は昏い紫紺色に自身の面影を色濃く持つ息子が去った夜空へと映す。

「だが、その甘さが命取りになることをいずれ知るだろう」

男の呟いた言葉は夜空に溶けていく。昏い紫紺色の目は、夜の闇よりも深い色を宿していた。



































ぐらりと自身の身体が傾く。少年の鍛えられた体感の前には落下の危機などないが、背に騎乗している灰色の翼竜が力尽きれば少年は夜空に吸い込まれるだろう。無論重力に従い、真っ逆さまに。

「悪いプテラ、もう少し頑張れるか?」

赤い瞳の少年とのバトルで疲弊しきっている身体を労るようにそっと撫で、ミカゲはプテラに落下しても最低限の怪我で済むような高さで滞空するよう指示をする。

響く怒号。団員達と警察の激しい攻防。鼓膜を揺らすサイレン。

「…終わりだな」

少年が呟いた言葉は喧騒にのみ込まれる。首領が、組織が築き上げたものが風に吹かれる砂の如く崩れさっていく。

(でも、俺にとっては始まりだ)

18年。18年の歳月を要した。

少年のリスタートは、ようやく切られる。

───だというのに。

「まだ終わってはいませんよ」
「、え……」

背後からパン、と乾いた音が響く。物静かな───だが、底冷えするような男の声色。

「ぐっ、……!」

衝撃と共によろめき、バランスを崩し夜空の下に放り出される。

主人を助けようと灰色の翼竜は猛スピードで滑空するも、それを阻止しようと地上から一直線に灼熱の炎がプテラに向かっていく。

普段の彼なら容易に受け身を取れる筈だが、突然の急襲と怪我のせいで反応が追い付けずミカゲは成す術なく地面に叩き付けられる。

「い"っ、はあ…!」

激痛に耐えながらも何とか呼吸を整えようと何度か息を吸う。ざり、と靴が土を踏む音と同時にボールから勝手に飛び出たブラッキーが少年を守るように近付く男を威嚇する。

纏う色は組織を主張する黒ではなく白。だが組織に、いや、首領への忠誠は他の追随を許さないであろう現最高幹部。

「この状態でまだ気概があるとは。それだけは称賛に値しますよ。────ミカゲ」
「…アポロさん」

脇腹から流れる血が地面を濡らす。

だが、目の前の男は自身の瞳の色と同様の冷たさを湛えた目で少年を見下ろしていた。



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